少年隊(しょうねんたい)とは、日本の男性アイドルグループ。所属事務所は、ジャニーズ事務所。レコードレーベルはジャニーズ・エンタテイメント。リーダーは錦織一清(東山は、少年隊夢という番組内のみでのリーダーだった)。現在、ジャニーズ最長の活動歴を持つグループである。グループの愛称は「ショーネン」(発音は“笑点”のアクセント)。各メンバーの詳細については各ページを参照。ジャニーズ事務所公式サイトのプロフィールをもとに記述。「少年隊」は、元々は彼ら3人を含めても当時まだ20〜30人しか居なかったジャニーズJr.に対する総称だった。しかし、1981年10月6日からテレビ東京で始まった『ザ・ヤングベストテン』という番組のスタートに合わせ、錦織・植草・松原康行の3名で結成されたグループ「Bチーム」が、後に「ジャニーズ少年隊」(後述)となった。翌1982年、松原から東山にメンバーが入れ替わりし、「少年隊」を結成され、現在の顔ぶれとなった。グループ結成当初は、田原俊彦、近藤真彦のバックダンサーとして、歌番組やコンサートに出演していた。また、1982年6月にはレコードデビュー前であるにも関わらず、当時歌謡番組の雄として知られていたフジテレビ「夜のヒットスタジオ」にも単独ユニットとして初出演した。以後、夜ヒットには1985年9月の『サクセス・ストリート』まで、レコードデビューまでの間に既に10回前後単独のアーティストとしての出演実績があった。また、1982年11月には、「ハワイ音楽祭」で金賞を受賞した。1984年4月2日、郵便貯金ホールにて単独ファースト・コンサートを行い、1日5回公演を行なった。同年5月、ビデオ『少年隊』を発売した。その後、同ビデオ収録曲「あなたに今、Good-by」で、歌番組へ多数出演した。その後、テレビ・コンサート活動などを経て、1985年12月12日、『仮面舞踏会』でレコードデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「日本発、世界行」。1986年少年隊主演ミュージカルPLAYZONE開演。第37回NHK紅白歌合戦に初出場し、以後8年連続出場した。1987年、「ブロマイド」年間売上成績が第1位になった。1994年、第31回ゴールデン・アロー賞 演劇賞・グランプリ受賞。1995年、デビュー10周年1999年、少年隊初の看板番組少年隊夢スタート。2004年、ジャニーズビッグサプライズカウントダウンライブ出演。少年隊として初出演。2005年、近藤真彦25周年記念ディナーショー、ゲストとして出演。また、少年隊としてデビュー20周年2007年、PLAYZONE(22年目)の夏で通算上演回数900回を迎えた。また、2007年公演の『PLAYZONE2007 Change2Chance』は、共演者だった赤坂晃が覚醒剤で現行犯逮捕された事により、DVD化が急遽中止となってしまった。 2008年、23年間続いた少年隊主演ミュージカルPLAYZONEは閉幕。翌年からはジャニーズの後輩が主演。2012年、結成30周年2015年、デビュー30周年ザ・ベストテン、歌のトップテン、夜のヒットスタジオなどの歌番組が1990年までに終了した事もあり、グループとしての活動の場が限られるようになった。そのため1991年よりソロ活動を本格化させる。近年、グループとして3人揃った活動は『PLAYZONE』以外でみることは少なくなったが、ソロとグループ活動を現在でも両立させている。また、TVガイドのタレント名鑑においても、グループとしてではなく、現在活動中のシャ乱Qと同様に、個々で掲載されていたが、2010年度では再度、グループで掲載された。ちなみにメンバーは現在全員壮年期を迎えているが、今でもグループ名は「少年隊」である。三人ともバク転・バク宙が出来る。東山と錦織は『仮面舞踏会』のラストで左手にマイクを持った状態でバク宙をしている。。過去、近藤真彦にバク転のやり方を教えたことがある。グループ各個人のイメージカラーはそれぞれ「赤(錦織)、黒(東山)、黄色(植草)」となっているが、これはグループとして初めて出演した企業広告の商品が明治製菓のチョコレートで、商品のパッケージカラー(「ハイミルク・チョコレート」の赤、「ブラック・チョコレート」の黒、「ミルクチョコレート・デラックス」の黄色)が起因となっている。コンサートで歌われた洋楽のカヴァーや、PLAYZONEシリーズ(特にCD発売のない'91~'93、'95の舞台)で歌われた楽曲に未CD化が多い。ジャニーズ少年隊とは少年隊の前身グループで、主に近藤真彦・ひかる一平のバックダンサーを務めていた。1981年10月6日からテレビ東京で始まった『ザ・ヤングベストテン』という番組のスタートに合わせ、錦織・植草・松原の3名で結成された。 当時はまだ「ジャニーズ少年隊」という名前が無く、「Bチーム」というグループ名で呼ばれていた。そしてそれに対する「Aチーム」の方は、シブがき隊だった。1982年4月17日公開のひかる一平主演の映画『胸さわぎの放課後』に出演。この時は鈴木則行も参加していた。そして1982年の春に、それまで“髪の毛が短すぎる”ことを理由にメンバー入りを見送られてきた東山が、松原康行と交替で加入した。
出典:wikipedia
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