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PHASE-III衛星

PHASE-III衛星(Phase-3衛星、フェイズスリーえいせい)は、AMSATの楕円軌道を用いたアマチュア衛星(通信衛星)である。1970年代なかばごろ、アマチュア衛星の世代としてに続く第3世代の衛星として、より広範囲に通信が可能なPHASE-III衛星の開発計画を立案・実行したものである。PHASE-III衛星は、概ねモルニア軌道に近い軌道を狙った衛星である。この軌道は北半球側に遠地点を持つ周期12時間程度の長楕円型である。したがって、次のような利点と課題がある。以上のように多くの点で技術的ブレークスルーを求められるが、PHASE-II衛星に比べ使い勝手は大きく向上することが期待され、文字通り新しい段階 (pphase) の衛星であった。一般的な商用通信衛星と異なりPHASE-III計画では初期段階から完全な静止軌道は採用しなかった。これにはいくつかの理由がある。過去打ち上げられた衛星および計画中の衛星は次のとおりである。AMSAT-OSCAR 6号および7号を成功させたAMSATでは、衛星ユーザの拡大と支持に自信を深めたが、同時にその限界についても認識していた。より便利に使える衛星を求めて、またよりチャレンジングな衛星の開発により技術力を蓄積することを目指して次世代の衛星が企画されることとなった。構想を具体化したのはAMSAT-DLおよびAMSAT-NAのチームが主導的で、特に衛星バスの設計はマールブルク大学のカール・マインツァー博士らのグループによるところが大きい。PHASE-III計画で最初に開発された衛星PHASE-III-Aは次のような特徴をもっていた。製作団体は、AMSAT-DL,AMSAT-NA,ブダペスト工科大学。打上げは1980年5月23日、フランス領ギアナのクールー宇宙センターからアリアンロケット2号機(L02)で行われた。しかし発射後数分で第1段ロケットエンジンの異常燃焼のため打上げは失敗し、PHASE-III-A衛星は主ペイロードの「ファイアーホイール」(西ドイツのマックス・プランク研究所の科学衛星)とともに大西洋に落下、喪失した。関係者の失望は大きかったが、欧州宇宙機関(ESA)は再打上げの要請に対し、衛星さえ製作できれば1982年の7回目の打ち上げに便乗させられるとの回答を寄せたため、代替衛星(PHASE-III-B)の製作に着手することになった。打上げの失敗に対しアマチュア無線コミュニティからは同情と激励の言葉が寄せられ、ARRL始め多くの団体から衛星再製作のための寄付が寄せられた。また、ヨルダンの故フセイン国王(JY1のコールサインを持つアマチュア無線家でもあった)からの寄付もあった。オスカー10号はアリアンロケットの打上げ失敗で海中に没したPHASE-III-A衛星の代替機として製作され、1983年にアリアンロケット第6号機で打ち上げられた。しかし、衛星がロケットの三段目と分離した直後にロケットの推力が低下せず追突された。このため軌道変更時の制御が正常に行われず、最終軌道は予定したよりも高い近地点と小さい軌道傾斜角を持つことになった。これは、衝突直後衛星の姿勢が約90度変わってしまい、太陽光の入射角の関係で衛星温度が低下したため、液体燃料を送り出すヘリウムガスタンクあるいは配管系統が劣化したことにより、近地点を下げようとした2度目の燃焼が行えなかったためである。軌道は最終形ではなかったものの、高高度・広帯域の衛星の登場は世界のアマチュア衛星愛好家から歓迎され、多くの交信がオスカー10号を通じて行われ、アマチュア宇宙通信の普及に大きく貢献したのである。しかし近地点の高い軌道により衛星がヴァン・アレン帯中を通過する時間が増えたため、電子回路が計画より早くダメージを受けた。特に打ち上げ後3年半くらいでマイクロコンピュータ制御回路の主メモリの恒久破損が進み制御プログラムの実行が困難になった。打ち上げから約20年を経た現在は、制御系の喪失に加えバッテリ(二次電池)が劣化したため、太陽電池への太陽光の入射角が良好な時にBモードトランスポンダが動作するのみである。衛星の諸元AO-10の打ち上げに先立つ1982年始め、ESAからアリアン4型の最初の試験飛行でピギーバック打ち上げの可能性が示唆された。AMSAT-DLではより大型の衛星も検討しつつ、最終的にはAO-10の改良型として製作することを1984年に決定し製作を開始した。AO-10で不調だったLモードトランスポンダーについては全面的に再設計したほか、アップリンクとして2mも受け入れるJ/L併用モードを新設、さらに430MHzから2.4GHzに変換するSモードトランスポンダーを搭載することになった。また、デジタル通信用としてRUDAKを搭載、AX.25パケット通信で使えるよう計画された。打ち上げはアリアンV-18号機の失敗などにより当初予定より遅れ、1988年6月15日にクールー宇宙センターから打ち上げられた。今回は分離に伴うトラブルもなく、6月22日と7月6日には軌道変換にも成功し、自力で予定通りの軌道に変換投入することに成功した初めてのアマチュア衛星となった。7月22日にはBモード、24日にはJLモードのトランスポンダの使用が一般に公開され運用が開始された。さらに9月17日からSモードトランスポンダが開放された。しかし、RUDAKは不調であった。AO-13はそれまでのアマチュア衛星のなかでもっとも成功したものであった。1990年、AO-13の軌道は摂動により近地点高度が単調減少することが明らかになったが、商用衛星のようなスラスタを持たないためこれを食い止めることはできなかった。1996年には近地点が150km程まで低下し、同年12月5日に大気圏に突入して消滅した。8年半の運用を通じて世界のアマチュア無線家に広く使われ、PHASE-IIIタイプの衛星の有効性が認められた。衛星の諸元

出典:wikipedia

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