シルキュイ・ド・スパ=フランコルシャン(Circuit de Spa-Francorchamps)は、ベルギーにあるサーキット。スパとフランコルシャンにまたがっていることから、この名称が名付けられている。現行のF1使用サーキットで、他のコースが長くても全長5km台であるのに対して、このコースは7.004kmと図抜けて長い。ベルギーの首都ブリュッセルの東南東、ドイツとの国境に近いアルデンヌの森に位置する。高低差104mという激しいアップダウンの間に難易度の高い高速コーナーが連続しており、コースに対し高い評価を与えるドライバーは多い。1924年に第1回のスパ24時間レースが開催される。ヨーロッパグランプリは1925年に開催。F1ベルギーGPや耐久レースのスパ1000kmを始めとする各種の大きなイベントが開催される。1990年まで2輪のロードレース世界選手権 (WGP) のベルギーGPも開催された。レースが開催されるようになった当時は全長14km以上ある長い公道コースだったが、スピードが出過ぎるために開催を中止しコースを改修。公道区間の一部(スタブロー - ラ・スルス - レ・コーム間)を残し、レース専用区間(レ・コーム - スタブロー間)でつなぐ形として、1978年に現在のコースの原型が造られた。現在は常にレースが開催できるように公道部分にバイパスが作られ、完全なレース専用のクローズドサーキットである。1985年には再舗装工事の遅れにより路面が剥がれ、ドライバーの訴えによりベルギーGP開催が延期されるという騒動があった。2003年にはEU圏のたばこ広告禁止によりF1が開催中止となったが、2004年には復活を果たし、その際にバスストップシケインが改修された。2006年はピットレーン周辺の問題からF1が開催されなかったが、バスストップシケインとピットレーン施設を改修した2007年に再開された。2008年のグランプリウィークには、同年他界したベルギー出身のレーサーで自動車ジャーナリスト、ポール・フレールの功績を称えてStavelotが"Paul Frère Corner"と改名され、コース脇に記念碑が建てられた。新ピット施設前の短いホームストレートを過ぎると、すぐに訪れるのが鋭角な右ヘアピンラ・スルス (La Source) 。コントロールラインからの距離が短い上に急減速するため、決勝スタート直後に度々ここで接触事故が起こる。以前はコーナーの立ち上がりのアウト側に縁石があったが、ナイジェル・マンセルがさらにその外側を走るラインを見つけた。その後ほとんどのドライバーが彼のラインをトレースするようになったためその縁石は取り除かれたが、2007年の改修により再び縁石が設けられ、コースをはみ出して大回りすることはタイムロスにしかならないようになった。それでもスタート直後の接触を避けるため敢えてはみ出すケースも見られる。ラ・スルスを過ぎると、旧ピット施設前の坂を駆け下りる(ツーリングカーのスパ24時間レースでは旧ピットを使用し、坂の途中にスタート/フィニッシュラインが置かれる)。下り坂の終点の左コーナーオー・ルージュ (Eau Rouge) へ飛び込むと急な登り坂に転じ、続くラディオン (Raidillon) を右、左と小刻みに切り返す。300km/h近いスピードで駆け抜けるこのセクションでは、地面方向へ強い縦Gがのしかかる。ドライバー視点からは壁のように見えるといい、現在世界中に存在するサーキットの中で、最も度胸が試されるコーナーのひとつと言われている。1985年には世界耐久選手権 (WEC) のスパ1000kmで、ステファン・ベロフがウォールに激突して死亡。1994年はアイルトン・セナの事故死などF1の安全性が問われ、オー・ルージュがシケインに変更されたが不評だったため、翌年からランオフエリアを広げることで元の形に戻された。2006年にF1のエンジンが2.4リッターV8になってからは、アクセル踏み切りでクリアできるようになり難易度が下がった。なお、オー・ルージュとはコーナーの下を流れる川の名で、フランス語で「赤い水」を意味する。日本の温泉地にも時折見られるもので、川の水に鉄分を多く含み、赤く見えることに関係している。オー・ルージュの出口にある左コーナー、ラディオンを越えると、上り坂のケメル・ストレート (Kemmel) に入る。長いストレートである事と、オー・ルージュの抜け方によって最高速度が大きく変わる事から、オーバーテイクが頻繁に行われる。2000年、ここでミカ・ハッキネンが周回遅れのリカルド・ゾンタを挟んでシューマッハをオーバーテイクしたことがある。このシーンは各メディアで「20世紀最高のオーバーテイク」と言われるほどスリリングで驚異的なものであった。ストレートエンドのレ・コーム (Les Combes) - マルメディ(Malmedy)付近がコースの最高地点となり、これを越えると下りの中高速コーナー区間が続く。ヘアピンのリバージュ(Rivage)を回り込み、2連高速コーナーのプーオン (Pouhon) 、S字のレ・ファーニュ (Les Fagnes) を流れるように通過し、ポール・フレール・コーナー (Paul Frère Corner) で減速する。左にカーブした全開区間の後に超高速左コーナーブランシモン (Blanchimont) が待っている。ここはヨーロッパのサーキットの中で最も通過速度が高く、オー・ルージュと並んで度胸の試されるコーナーである。鈴鹿サーキットの130R同様、ここをスロットル全開で抜けられるマシンセッティングになっていなければ、スパで良いラップタイムは作れない。1992年にリジェのエリック・コマスが予選中に大クラッシュした他、2001年にはルチアーノ・ブルティとエディ・アーバインがここで接触し高速でタイヤバリアに激突、赤旗中断となる事故が起こった。ブランシモンを抜けると、最終セクションのバスストップ・シケインで急減速する。ポール・フレールからここまで全開で走行してくるため、ここもオーバーテイクポイントとなる。かつてはバス停のように、本線から別れてまた合流するような形状の連続シケインだったが、エスケープロードとピット入口が重なって危険なため、2004年にコース内側を造成してエントリー部分が改修された。しかし、ブレーキング勝負がしにくくなったことから、2007年以降はストレートを延長し、最後にタイトなシケインを置く形に再変更された。このシケインを抜けると、ラ・スルスへ続く短いホームストレートに出る。コース全長が長いため、F1ベルギーGPではフィニッシュ後にウィニングランを行わず、ラ・スルス先のピット出口からピットレーンを逆走してパルクフェルメにマシンを駐車する。このようにテクニカルなコーナーの連続でサーキットが構成されており、マシン性能が優劣を決めやすい通常の高速サーキットとは一線を画した、ドライバーの実力を問うドライバーズサーキットとして世界に名を馳せている。サーキットが山の中にあることや、コース長が長いことから、天候が目まぐるしく変わったり、雨の降っている地点と降っていない地点が混在することがある。この天候はスパ・ウェザーと呼ばれ、レース展開を左右する要素のひとつでもある。
出典:wikipedia
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