LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

渡邊洋治

渡邊洋治(わたなべ ようじ、1923年6月14日 - 1983年11月2日)は、新潟県直江津市(現:上越市)出身の建築家。陸軍船舶兵出身で随所にその影響がうかがえる独特のデザインの建築物を手がける。狂気の建築家、異端の建築家と呼ばれた。代表作に第3スカイビル(鉄のマンション)。この東京都新宿区職安通り沿いに残る通称「軍艦マンション」第3スカイビルなどの建築のほか、黒マジックペンを使用し背景を黒くして描かれる数々のコンペ案のドローイングで著名。そのため勤務していた大学の大学院生らに「マジラ」とあだ名をつけられ、また師の吉阪隆正によると、万博会館コンペ審査で浦辺鎮太郎から「鬼軍曹」と命名されたという。建築設計事務所をはじめた当初は日本古来の木造工法を用いた作品を多く発表。コンクリート造では大スパン工法を用いていた。その後ユニット型・カプセル形式の建築を手がけ始め、晩年は龍や虎を模したものや渦巻き型の建築プランを嗜好した。久米建築事務所勤務当時より建築設計競技に参加し多くの入賞を果たしている。競技設計で佳作は、全日本無名戦士の墓(1950年)、東京天理教会館(1952年)、愛知県文化会館(1954年)。入選は静岡県文化会館(1954年、一等と三等)、店舗住宅(1958年)、日本万国博覧会本部ビル(1967年、優秀賞)、北海道百年記念塔(1967年、準優秀賞)、最高裁判所庁舎(1969年 優秀賞)セントラル硝子建築設計競技(1972年、2等)。その他、国立国会図書館(1954年)、長崎市役所庁舎(1956年)、仏陀生誕2500年(1956年)、国立劇場(1963年)、京都国立国際会館(1963年)、ハリウッド住宅計画(1964年)、浪速芸術大学(1964年)、四条大橋高覧図案(1964年)、アレゲーニパブリックスクエア(1964年)、日本ランド観光開発(1965年)、建築センター(1965年)、旧国鉄四ッ谷駅(1966年)、農村住宅(1966年)、建築家会館、アビタ70(1967年)、箱根国際観光センター(1970年)、タンザニア政府機関建築群、ユーゴスラビア国際オペラハウス群、フランス文部省現代芸術会館ポンビゥーセンター(1971年)、光明池泉北ニュータウン、ハウジングプロジェクト(1973年)、シリア国会図書館(1973年)、ポルトサント島開発計画、マニラ貧民救済開発計画(1975年)、アラブ首長国連邦開発銀行国際ホテル(1976年)、パーレビ国立図書館(1977年)、名護市庁舎(1978年)、マドリッドイスラム文化会館(1979年)、水戸タウンハウス82(1980年)、建築会館(1980年)、ホンコン・ザ・ピーク(1982年)、バスティーユ・オペラハウス(1983年)などのコンペに参加し、いずれも黒マジックでのドローインク作品が残されている。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。