はるな型護衛艦(はるながたごえいかん、)は、海上自衛隊が運用していたヘリコプター搭載護衛艦(DDH)の艦級。第3次防衛力整備計画(3次防)中の昭和43・45年度計画において各1隻が建造された。ネームシップの建造価格は約91億円であった。本級は日本初のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)である。最大の特徴はヘリコプター3機の搭載運用能力であり、5000トン級で3機のヘリコプターを搭載運用する艦艇は、発展改良型のしらね型を含めて現在に至るも世界唯一と言ってよく、日本の特殊な用兵思想を色濃く反映している。装備面での特徴としては、ヘリコプター運用時に姿勢を安定させるためのフィンスタビライザーを自衛艦で初めて装備したほか、揺れる艦上における飛行作業の安全・効率化のための着艦拘束移送装置(ベアトラップ)をこれも初めて装備した。高レベルの航空機運用能力・指揮通信能力に加え、司令部・接遇区画も有するなど優秀な旗艦機能を持ち、各護衛隊群の旗艦として活躍した。その後、老朽化に伴ってそれぞれ2009年(平成21年)と2011年(平成23年)に除籍され、ひゅうが型(16/18DDH)と交代する形で退役した。なお、こんごう型(イージス艦)が登場するまではこのクラス(しらね型含む)が海自最大級の護衛艦であった。海上自衛隊では、その創設以前から洋上航空兵力の再取得を志向していた。警備隊の創設期には、対潜掃討群()の編成を念頭に護衛空母の供与を希望したものの、予算等の事情から未実現に終わっていた。また、1次防(1958年(昭和33年)〜1960年(昭和35年)度)においては、同様の運用思想のもと、ヘリコプター6機搭載の6,000トン級警備艦が試算され、18機搭載の11,000トン型を経て、2次防策定段階の1959年(昭和34年)には基準排水量8,000トン級のヘリ空母CVHが基本設計段階にまで進展したものの、保有時期尚早と判断されて立ち消えになった。一方、1960年代においては、仮想敵であったソビエト連邦軍における潜水艦の原子力推進化という新たな状況変化に対応する必要性に直面していた。原子力潜水艦は対潜水上艦の追尾を振り切りうる機動性を備えており、水上部隊の対潜作戦においては抜本的な革新を求められることとなった。海上自衛隊では、第3次防衛力整備計画(3次防: 1967年(昭和42年)〜1971年(昭和46年)度)の策定にあたり、船団の直衛に必要な護衛艦隻数を8隻、効果的な対潜攻撃を実施するために展開する必要のあるヘリコプターの機数を4機、この4機を常時展開可能な状態におくために必要な機数を6機と見積もり、この8艦6機体制が基本的な考え方となった。この時期、フィンスタビライザーやベアトラップ・システムなどの技術進歩により、駆逐艦級の艦でも有力な対潜哨戒ヘリコプターを艦載化しうるようになっており、これを背景に、ヘリコプター3機搭載のヘリコプター搭載護衛艦2隻を1個護衛隊群に配置することが構想されるようになった。この構想のもとで計画されたのが本型である。海上自衛隊では、1967年より揚陸艦「しれとこ」でカナダ製のベアトラップ・システムの、また駆潜艇「おおとり」でイギリス製のフィンスタビライザーの運用試験に着手した。また同時に船型に関する検討も進められ、基本的には下記の3案が俎上に残った。これらのうち、被害局限化の観点から第1案がまず棄却された。第2案は、後部主砲がヘリコプター発着の障害となる懸念があり、また所要のヘリコプター甲板長を確保した場合に船体が大型化して船価が上昇する恐れが指摘された。一方で第3案にも、主砲の後方射界がほとんど失われるという問題があった。最終的に、後方に短SAMを後日装備する含みをもたせることで合意されて、第3案による建造が開始された。所要の航空運用能力を確保するための航空艤装に伴い、基準排水量は4,700トンと、太平洋戦争中の軽巡洋艦に匹敵する規模となった。船型は、従来の護衛艦が採用してきた2層の全通甲板を備えた遮浪甲板型をもとに、その後端をカットした長船首楼型が採用された。船体の後方3分の1を占めるヘリコプター甲板の横幅を確保するため、全長にわたるナックルが設けられており、またL/B比(全長・全幅比)は8.7:1と、30ノット以上の戦闘艦としては異例の小ささになった。航空機の運用円滑化のため、上記の経緯により、二組のフィンスタビライザーも装備された。上部構造物はたかつき型(38DDA)と同じく3層構造で、ハンガーと一体化している。煙突はマストと一体化したマック方式とされ、艦載機格納庫の設計上、左舷にシフトして設置された。また、「はるな」においては、気流の乱れにより右舷側の吸気口に排気が逆流する不具合が生じたことから、右舷側に逆流止めの構造物が設けられ、「ひえい」では後部に大型の排気口をまとめる形式とされた。搭載艇は護衛艦の標準通りで、艦橋構造物の両舷の重力式ダビットに内火艇2隻を、またハンガー天井甲板後端にカッターを搭載していた。主機関には、引き続き蒸気タービン方式が採用されたが、船体の大型化に伴って、従来の護衛艦よりも大幅に強化されている。海自では、蒸気機関の蒸気性状として、戦後日本初の国産蒸気タービン護衛艦であるはるかぜ型(28DD)以来、初代あきづき型(31DD)(圧力、温度450℃)以外はいずれも圧力、温度400℃とされてきたが、本型においては、圧力、温度480℃とされている。ただし同時代の米海軍の標準蒸気(圧力、温度510℃)には及ばなかった。主ボイラーは2胴水管型を2基、蒸気発生量は各130トン/時であった。主機タービンの構成は一新されており、巡航用と高圧用の一体型タービンとダブルフローの低圧タービンからなる2胴衝動型のシリーズ・パラレル型とされ、減速機はロックドトレーン歯車2段減速式が採用された。このタービン構成により、戦闘時に主要される20-26ノットの速力域においては燃料消費効率の著しい向上がもたらされた。出力はそれぞれであった。また、前後機械室には、各室が収容する主機・主缶を完成する操縦室が併設されたが、これはたちかぜ型(46/48/53DDG)で採用された機関操縦室方式の前段階となる措置であった。電源系では、主発電機として、出力1,200キロワットのタービン発電機を前後の機械室に1基ずつ、また出力750キロワットのディーゼル発電機1基を前部機械室に設置した。また非常用発電機としては、出力450キロワットのディーゼル発電機を主船体前後部に分散配置したが、この装備方式ははつゆき型(52DD)に至るまで踏襲されることになった。本型の装備は、多くの点で、たかつき型(38DDA)のものを航空艤装に対応して再配置したものとなっている。センサー面ではたかつき型(38DDA)のものがほぼ踏襲されており、レーダーとしては対空捜索用にOPS-11、対水上捜索用にOPS-17を、ソナーとしては艦首装備式の66式探信儀OQS-3を、電波探知装置(ESM)としてはNOLR-5を搭載した。ただし、当初計画されていたOQS-101艦首装備ソナーや可変深度ソナーの後日装備は、最終的に実現しなかった。主砲としては、たかつき型(38DDA)で装備化された54口径5インチ単装速射砲を搭載するが、アメリカからの輸入によるMk.42ではなく、本型では国産化版の73式が採用された。砲射撃指揮装置(GFCS)としては、たかつき型ではアメリカ製のMk.56が搭載されていたのに対し、本型では、同程度の性能を備えた国産機である72式射撃指揮装置1型A(FCS-1A)が採用された。砲の搭載数については、「5インチ砲を1基にして飛行甲板を拡大する事により対潜ヘリコプター2機の同時発着を可能にすべきだ」との航空機関係者の意見と、あくまで5インチ砲2基装備に拘る砲雷関係者の意見が対立し、最終的に5インチ砲2基装備に落ち着いたとされている。2基の5インチ砲は、74式アスロック発射機(Mk.16 GMLSの国産化版)とともに、前部に集中して背負い式に搭載されている。アスロック発射機は、たかつき型と同形式で、艦橋構造物左舷にある弾庫からラマー・クレーンを介して行う機力補助の手動装填方式とされた。8艦6機体制の構想において、これらの5インチ砲は、ミサイル護衛艦のターター・システムを補佐して、艦隊防空に当たることとされていた。他にも、艦砲を全廃し全通飛行甲板にして、ターター・システムを搭載する構想もあった。艦中央部から後部にかけてヘリ格納庫とヘリコプター甲板を配置している。ヘリコプター甲板は全長50m×最大幅17m(平均15m)を確保し、前方に1機を駐機しつつ、後方の発着スポットで1機を発着艦させることが可能となった。当時の航空機運用艦としては小型な本型において航空機の運用を実現するためには、着艦拘束・機体移動システムが不可欠であり、カナダ製のベアトラップ・システムが導入された。これは、ヘリコプターの機体下面に設置されたプローブと、艦の飛行甲板上に設置されたベア・トラップおよびその移動軌条によって構成されており、本型では2条の軌条が格納庫の両舷側に向かって設置されている。移送用シャトルは2基装備として設計されたが、建造費低減のため、「はるな」は建造当初は1基のみを搭載しており、FRAM時に2基装備に改修された。また、ヘリコプター甲板上右舷側には、発着艦管制室(LSO)が設置されている。これらのベアトラップ・システムは、カナダ海軍がサン・ローラン級駆逐艦のヘリコプター駆逐艦改修にあたって開発したもので、海上自衛隊においては、本型での装備化に先立ち輸送艦「しれとこ」において運用試験を実施している。ベアトラップ・システムは順次に改良を受けつつ、本型以降、ヘリコプター搭載能力を持つ護衛艦のほとんど(ひゅうが型(16DDH)といずも型(22DDH)を除く全て)に搭載されることとなっている。上記の検討を経て、イタリア海軍のアンドレア・ドーリア級ヘリコプター巡洋艦と同様、格納庫は甲板上に設置された。着水したヘリコプターの回収を想定して、格納庫上に力量8トンのクレーンが設置されたが、これはあまり用いられなかった。「はるな」は就役時にHSS-2を搭載していたが、後に「ひえい」と同じHSS-2Aに改め、両艦ともHSS-2B、SH-60Jと順次更新していった。1983年(昭和58年)・1984年(昭和59年)度計画において、本型2隻に対する近代化改装(FRAM)が計画された。この改装は1987年(昭和62年)及び1989年(平成元年)にそれぞれ完了して、これにより本型は、拡大改良型であるしらね型(50/51DDH)に匹敵する内容の艦となった。最大の更新点は戦術情報処理装置を搭載した点であり、「はるな」はOYQ-6-2、「ひえい」はOYQ-7B-2を搭載している。これらはいずれも、同年度計画で建造されていた汎用護衛艦であるあさぎり型(58DD)で搭載されていたものであり、戦術データ・リンクとしてリンク 11の送受信に対応している。また、対水上レーダーは、シースキマーの探知能力を持つOPS-28に更新された。武器システムの面では近接防空火器(CIWS)として高性能20mm機関砲、個艦防空ミサイル(短SAM)としてシースパローIBPDMSを搭載して対空能力を強化している。シースパローの8連装発射機はヘリコプター格納庫上部に、CIWSは艦橋の後上部に設置された。この結果、排水量において「はるな」は250トン、「ひえい」は350トン拡大している。1974年(昭和49年)11月、「ひえい」の就役とともに、本型2隻は第1護衛隊群の隷下に第51護衛隊を新編し、第21航空群隷下の第121航空隊のHSS-2Aを搭載して、これによって第1護衛隊群は8艦6機体制を実現した。その後、本型を発展させたしらね型(50/51DDH)の就役に伴い、1981年(昭和56年)より2隻そろって第2護衛隊群に配属替えとなり、第52護衛隊を編成した。これにより、海上自衛隊は、第1・2護衛隊群と、8艦6機体制の2個ユニットを有することになった。しかし新たな戦術単位構成として8艦8機体制が採択されるのに伴い、はるな型としらね型の4隻のDDHは4個護衛隊群に分散してそれぞれの旗艦となることとされ、これらの護衛隊は解隊されて、1983年に「はるな」は、「くらま」とともに第2護衛隊群の、「ひえい」は「しらね」とともに第1護衛隊群の直轄艦となった。そして、1984年(昭和59年)、「はるな」は第3護衛隊群の、「ひえい」は第4護衛隊群の直轄艦(旗艦)となった。2007年12月14日、横須賀基地にて発生した「しらね」の火災事故により、「しらね」の指揮通信系統の部品をすべて交換する必要が生じた。「しらね」の完全な修理には時間と費用がかかるとの見積もりが出た為、損傷した「しらね」をそのまま退役させ退役予定の「はるな」を延命させる案と、退役予定の「はるな」の部品を「しらね」に移植修理させる2つの案が検討された。最終的に「はるな」の部品による「しらね」の修理が行われ、「はるな」は予定通り退役した。2011年3月16日には「ひえい」が退役した。
出典:wikipedia
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