国事行為(こくじこうい)とは、日本国憲法上、天皇が行うものとして規定されている行為である。いずれも「内閣の助言と承認」が必要で内閣がその責任を負うと規定されている(日本国憲法第3条)。国事行為は日本国憲法第6条及び日本国憲法第7条に列挙されている行為をいう。いずれも内閣の助言と承認を要する(日本国憲法第7条とは異なり日本国憲法第6条には明記がないものの日本国憲法第3条の適用を受けるため内閣の助言と承認を要する)。明治憲法での輔弼が「国務各大臣」と各大臣個別の行為とされていたのに対し、日本国憲法での助言と承認は合議体である内閣が担う。なお、国事行為の委任行為(日本国憲法第4条第2項)そのものについては国事行為に含むとする説と含まないとする説がある。天皇には国事行為のほか生活上における純然たる私的な行為(私的行為)も当然に認められる。これら私的行為については公金である宮廷費ではなく内廷費(御手元金)があてられる。なお、国事行為として憲法に明記されたものではなく純然たる私的行為とも言えない国会開会式への出席などについては公的行為として憲法上の位置づけに議論がある。国事行為は具体的には以下の行為を指す。国事行為は内閣の助言と承認に基づかなければならず、内閣が国事行為の責任を負う(第3条)。条文の文言上は、国事行為に先立つ「助言」と、国事行為の事後の行為である「承認」の2つの行為が必要とも考えられる。しかし、およそ国事行為は内閣の意思に基づいて行われるとの趣旨であるとみて両者を統一的にとらえ「助言」と「承認」それぞれ別の閣議に基づく必要はないとみるのが一般的であり、実際上もそのような取扱いがされている。国事行為について天皇が国政に関する権能を有しないとすると、「内閣の助言と承認」は国事行為との関係でいかなる意味を有するのか、具体的には、「内閣の助言と承認」に従うというのは国事行為の実質的決定権の所在が内閣にある(場合も含む)と理解するのか、「内閣の助言と承認」自体も形式的なものなのかが、問題となる。このような問題が生じるのは、国事行為の中にはその実質的決定権の所在について憲法上明文がないもの(国会の召集、衆議院の解散など)があったり、内閣以外に実質的決定権があったりする(内閣総理大臣の指名、国務大臣の任免)にも関わらず、条文上は内閣の助言と承認に従うことになっているためである。天皇の国事行為について内閣は責任を負う(日本国憲法第3条)。この日本国憲法第3条に定める国事行為についての内閣の責任及び日本国憲法第4条に定める政治的諸関係からの厳格な隔離の結果として天皇は政治的に無答責となる。この内閣の責任の性質は天皇の国事行為についての代位責任ではなく助言と承認を行ったことについての内閣の自己責任である。また、内閣の責任の相手方は国民であり直接的には国民を代表する国会に対して政治的責任を負う。日本国憲法第4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」と規定しているが、上記に掲げた日本国憲法上の「国事行為」には国会の召集や衆議院の解散など政治的機能に対して行うものがある。この点につき、憲法草案の審議の過程では、天皇の意思が政治的決定に影響を及ぼすことも考えられ、第4条の趣旨につき、国事行為の他は国政に関する権能を有しないと解する見解もあった(国務大臣金森徳次郎の答弁)。このような解釈は第4条の文言からは無理とされており、国事行為を行う場合か否かを問わず国政に関する権能を有しないと解する見解が支配的である。内閣法制局は衆議院内閣委員会での答弁で以下の見解を示している。なお、天皇の政治的無答責は「象徴」としての地位に内在するものではなく日本国憲法第3条に定める国事行為についての内閣の責任と日本国憲法第4条に定める政治的諸関係からの厳格な隔離から導き出されるものと解されている。皇室典範の定めるところによって摂政が置かれている場合、摂政は天皇の名においてその国事に関する行為を行う(日本国憲法第5条前段)。また、天皇に精神もしくは身体の疾患または事故(海外訪問による日本国内不在を含む)で国事行為が遂行できない場合は、国事行為臨時代行に国事行為を委任できる(日本国憲法第4条第2項)。国会における政府答弁では憲法第4条第2項に規定される「国事行為臨時代行への委任」も国事行為に含まれるとしている。
出典:wikipedia
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