白山(はくさん) は、東京都文京区の町名。現行行政地名は白山一丁目から白山五丁目。郵便番号は113-0001(一丁目)・112-0001(二丁目から五丁目)。西片、向丘、本駒込、千石、小石川と接している。主に住宅地として利用される。主要な商業地は、都営地下鉄三田線白山駅の周辺に集中しており、駅周辺をほぼ南北に貫く坂(薬師坂)の頂上の地域を白山上、坂の入口の地域を白山下、白山下から白山上と逆方向に上っていったところを白山御殿町と呼ぶ。また中学、高校、大学などの教育機関が多数所在している。特に白山キャンパスを持つ東洋大学との関係は深い。1897年7月、東洋大学の前身である哲学館が本郷区蓬莱町から小石川区原町(現在地)に移転して以来、この町は学生街として発展を遂げてきた。1977年の朝霞キャンパス開設によって学生数は著しく減少したが、2005年から文系5学部の都心回帰と白山第2キャンパス(現在は、東洋大学京北中学・高等学校)開設、また2009年4月に国際地域学部が群馬県の板倉キャンパスから移転したことによって、再び活気を取り戻した。大学人口の増加に伴い、東洋大前通り商店会も誕生した。この商店会は、文京区で一番新しい商店会である。京華通りは江戸時代の指ヶ谷町で、「御府内備考」が千川屋敷の項にある大下水の流路とした「指谷町通り」がこれに当たる。住宅地の地価は2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば白山4-28-18の地点で70万5000円/mとなっている。江戸時代まで武蔵国豊島郡小石川村、駒込村の各一部だった。1878年7月に郡区町村編制法施行により小石川区、本郷区にそれぞれ編入され、1889年5月市制施行で東京市に編入。1947年に文京区の一部になる。1967年1月、住居表示の実施に伴い、従来の丸山新町、指ヶ谷町、戸崎町、白山御殿町、白山前町、原町などの合併により白山一 - 五丁目が成立した。近代では、日本銀行原町住宅(原町家族寮)が置かれ、都市銀行をはじめとした大企業の家族寮、所謂社宅が建つ高級住宅街へと形成されていった。昭和に入ると霞ヶ関や大手町へ通う為に東京で5番目の地下鉄として白山通り(旧白山通り)の地下に、既に高島平駅 - 巣鴨駅間で開業していた都営地下鉄6号線が1972年(昭和47年)6月30日に巣鴨駅 - 日比谷駅で開通し、白山駅が開業した。地下鉄建設と平行して1969年(昭和42年)に放射9号線(バイパス道)が新白山通りとして開通。拡張のための立ち退きで、多くの住民が引っ越して去った。それまでは旧白山通りに片道1車線の道路と都電(路面電車)が走っていた。白山上交差点には千石交差点(当時は駕籠町)から春日方面に下る道に路面電車も下っていき、また交差点から向丘まき町通りに沿って向丘二丁目(当時は駒込肴町(町名)、本郷肴町(電停)、現在の本駒込駅1番出口周辺)へも路面電車が向かう分岐駅の交差点であった。つまり、今で言うところの三田線と南北線の両方を使える分岐駅であった。その為、。(ただし、まき町通り上の線路は1943年5月に営業を廃止しており、長い間レールは残されていたが電車が営業運転されることはなかった。)地名は白山神社から。縁起によれば、948年(天暦2年)に加賀一ノ宮の白山神社を分祀しこの地に祭った。徳川綱吉の信仰を受けた。小石川の名を冠された施設が見られるのは旧・小石川区を由来とするものである。
出典:wikipedia
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