キハ130形気動車(キハ130がたきどうしゃ)は、1988年(昭和63年)から2002年(平成14年)まで北海道旅客鉄道(JR北海道)に在籍していた気動車。北海道内の各路線では、地域輸送の主力として日本国有鉄道(国鉄)時代末期からキハ22形・キハ40形などの一般形気動車が使用されてきた。これらの在来形式は1両で運行可能とはいえ、全長20m級の大型車であり、輸送密度の小さい線区を多数有する北海道においては収容力が過大になりがちであった。従って、ローカル線での運用コストを最適化するための方策は国鉄時代から続く重要な課題であった。JR北海道の発足直後、低コスト運用可能な車両メーカー規格型の小型気動車導入が試みられ、新潟鐵工所製のNDCシリーズを基本にワンマン運転可能な合理化車両として製作された形式がキハ130形である。1988年から1989年(平成元年)にかけて新潟鐵工所で11両が製作され、専ら日高本線で使用されたが、基本構造と使用環境の不適合から老朽化が著しく、2002年までに全車が廃車された。車体機関・台車車内設備本形式は1988年度に5両、1989年度に6両が日高本線に投入され、同線のスピードアップと運行の合理化に貢献した。しかし、軽量車ゆえの脆弱さが早々と問題になっていく。1991年1月に発生した勇払付近での踏切事故で事故車は脱線転覆、特に低運転台の前頭部が大破し、運転士は両脚切断という重傷を負った。1996年(平成8年)にまたしても踏切事故が発生、この事故でキハ130-5が罹災して原形をとどめないほど大破し、修理不可能だったため、今度は廃車されることになった。さらに、サッシ露出の一重2段窓やデッキ無し構造といった、本州以南向けの汎用車と大差ない仕様のため、冬期の車内保温能力が低く、更には海岸沿いの区間が多い日高本線の路線環境から、鋼板の薄い軽量車体が早期に塩害腐食するなど、短期間のうちに問題点が顕在化し、早期の置き換えを余儀なくされたのである。老朽による淘汰は1999年(平成11年)度から開始され、2000年度までに一般の運用を終了した。イベント用に「日高ポニー」色とされた キハ130-8 のみ残存したが2002年度に廃車され、全車が除籍された。JR発足後に製作された旅客車の新形式では初の廃車による形式消滅である。本形式淘汰後の日高本線の運用は、本形式時代のダイヤを維持するため大出力機関を搭載したキハ40形(350番台)を再び投入することで賄っている。コストダウンのために投入された本形式が、かつて日高本線から追い出したはずの車両に置き換えられるという皮肉な結果となった。
出典:wikipedia
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