大阪市交通局20系電車(おおさかしこうつうきょく20けいでんしゃ)は、大阪市交通局の高速電気軌道(地下鉄)用通勤形電車である。電機子チョッパ制御車である10系の試作車として1973年に製造された20系(初代)、1984年より量産が開始されたVVVFインバータ制御車の20系(2代)、1990年(平成2年)に登場したVVVFインバータ制御の新20系(21 - 25系)の3グループが存在する。本項では20系(2代)および新20系、大阪港トランスポートシステムOTS系電車について記述する。1985年の4号線(中央線)深江橋 - 長田間開業などに伴う所要車両数増加への対応や、老朽化や陳腐化が目立ち始めていた50系・30系などの抵抗制御車の淘汰とこれに伴う保守の合理化、それに冷房化率の向上による乗客サービスの改善を目的として開発・量産された18.7m級4扉車群である。3相交流誘導電動機をインバータ制御器で制御・駆動する当時最新のVVVF制御システムを搭載しており、大阪市交通局の第3軌条集電方式を用いる高速電気軌道全線で使用可能である。その外観形状から、先行する10系のそれを踏襲したアルミ合金製車体を備える20系(2代:以降「20系」とのみ表記」)と、軽量ステンレス製車体を備える新20系の2グループに大別される。本系列開発の基礎となった、大阪市交通局におけるVVVF制御の実用化研究は、元々石油ショックをきっかけとする建設費高騰に抗するべく1979年3月に局内に設置された「地下鉄小型化調査委員会」における地下鉄車両の小型化研究を出発点としている。後に7号線(長堀鶴見緑地線)向け70系や8号線(今里筋線)向け80系として結実することになるこの研究の過程では、建設費高騰の最大の要因であるトンネル断面の縮小を目的として、車輪径や床面高さの縮小が重要課題として取り上げられた。これらの課題については、折からの半導体技術の進歩、特にインバータ装置の心臓部となる主回路のスイッチング素子とそのパターン制御に必要となるマイクロプロセッサの急速な進歩によって、解決の道が開かれた。これらの技術革新により、従来は実用化が困難と見られていた、三相交流誘導電動機と小直径車輪を用いた駆動システムの実用化の目処が立った。従来、三相交流誘導電動機は整流子を持たないため保守上問題となる摩耗部品が軸受に限られ、フラッシュオーバーの危険が無く軽量・コンパクトで高回転数化や大出力化が容易、しかも直流電動機を上回る再粘着特性が得られるという大きなメリットを備えていて、鉄道技術者からは「夢の電動機」とさえ呼ばれていた。だがその反面、三相交流誘導電動機には一定周波数・一定電圧の下で一定回転数を保とうとする性質があり、起動トルクが小さいという問題があって長らく高速電気鉄道での利用は困難視されていた。この問題が、この時期になって実用段階に入りつつあった高速・高耐圧・大出力かつコンパクトなスイッチング素子と、これをプログラムに従って波形制御するマイクロプロセッサを組み合わせ、電圧型PWM制御によって可変電圧・可変周波数(Variable Voltage Variable Frequency:VVVF)制御を行うことで解決可能となったのである。しかも、この制御法により直流整流子電動機に近い、あるいはそれを上回る優れた出力・粘着特性を得ることさえも可能となった。こうした周辺技術の進歩・成熟を踏まえ、高速電車用VVVF制御システムの開発が日立製作所、三菱電機、それに東芝といった有力電機メーカー各社を交えて開始された。この制御システムについては大阪市交通局と同時期に日本国有鉄道や近畿日本鉄道と東京急行電鉄などが、それぞれの取引先である電機メーカー各社と共同で大規模な研究開発を実施していたが、直流1500Vの下での高速電車への適用にフォーカスしていた各社とは異なり、大阪市交通局のプロジェクトは低床のミニ地下鉄での使用を前提としてコンパクトな機器開発を重視していた点で一線を画していた。もっとも、ミニ地下鉄の技術的可能性を探るというその開発経緯ゆえに、大阪市ではVVVF制御そのものの開発とスイッチング素子の開発が同時進行するという異例の事態となった。この点では単純に大形高速電車への適用に特化して研究を進められた他社とは状況が異なっており、これは後にVVVF制御車の営業運転開始時期で近鉄や東急の後塵を拝する一因となった。この全く新しい制御システムの開発過程では、漏洩ノイズ等によるATSの軌道回路や変電所などへの影響を調べるため、営業線上での機器の車載運用試験を行う必要があった。そこで、当時3号線(四つ橋線)から5号線(千日前線)への転用の過程で余剰車が発生していた100形(2代)がそのテストベッドに選ばれ、ミニ地下鉄を想定した低い床面高さに設けられた支持架に装架する形で試作機器を搭載して試験運転が実施された。この試験運転では黎明期の低耐圧で動作の不安定なGTOサイリスタ素子を使用していたこともあって素子破壊が頻発しており、その開発は難航したという。もっとも、その後半は回路構成上の様々な対策や実装ノウハウの蓄積、それに何よりメーカー各社で量産がようやく軌道に乗り始めた2500V 2000A級GTOサイリスタ素子そのものの動作安定性および生産歩留まりの向上により、飛躍的に信頼性や動作安定性が向上して順調にテストメニューを消化しており、この一連の試験結果はミニ地下鉄実用化に当たっての技術的な裏付けとなり、また20系の搭載機器設計に貴重なデータを提供することともなった。こうした技術開発の成果を受け、量産先行試作車としてメーカー各社が分担して製造した20系第1編成は1984年3月に竣工した。これは日本初のVVVF制御による誘導電動機搭載鉄道車両となった熊本市交通局8200形に続くものであり、したがって高速電気鉄道用として完成したものとしては日本初のVVVF制御車となっている。本系列は20系、新20系共に以下の各形式で構成される。なお、形式の100の位の数字は先行する10系に倣って付番されている。なお、投入線区の輸送需要により編成両数が決定されるため、御堂筋線用21系以外の各グループについては、それぞれ未製造の形式が存在する。編成は両端に付随車あるいは制御車を、中央に電動車をそれぞれ置いた4両編成を2セット組み合わせた8両編成を基本に計画されており、以下の通り各線の輸送状況に応じて車両数を加減している。以下の例は20系・新20系の例である。編成の右側(2900形)は御堂筋線なかもず寄り・谷町線大日寄り・四つ橋線住之江公園寄り・中央線長田(登美ヶ丘)寄り・千日前線野田阪神寄り・各線共通で緑木検車場寄りである。なお、本系列は従来の30系や10系と同様に、車庫・工場内での入れ替え作業や保守の便を図り、編成を中間で分割可能なように設計されており、上記では簡易運転台付きの車両を ' 記号で表記している。(編成図の枠部分がの車両が該当)各系列ともに、18.7m級車体に両開き扉を4か所ずつ設置する、7000・8000形以来の標準的なレイアウトに従う。このため窓配置は2600・2900形がdD2D2D2D1、それ以外が1D2D2D2D1(d:乗務員扉、D:客用扉、数字:側窓数)となり、全車に戸袋窓が設置されていない。座席はいずれもロングシートである。10系と同様に側窓として2段上昇窓を備える切妻構造のアルミ合金製車体である。ただし、アルミ合金の加工法の発展によって大型押し出し型材や薄肉型材、あるいは中空型材の使用が可能となったことで構体設計が全面的に見直されてよりシンプルにリファインされ、また従来よりも105mm薄くなった新型冷房装置の開発によって当時の10系では1段低くなっていた両端部分の天井が他と同一平面とされ、冷房の吹き出し口も通常のスリット型となるなど内装もより洗練されたものとなっており、開発時期の相違を反映して10系より一歩進んだ設計となっている。前面は10系と同様に周縁部に枠状のFRP製縁飾りを取り付けたいわゆる額縁スタイルであるが、ガラス窓が10系と異なり上辺が屋根との接合部まで届かず本来の窓枠上部に設けられた方向幕の部分で止められ、その代わりに窓周辺をブラックで塗装する当時流行のスタイルが取り入れられている。このため、前照灯と標識灯は前面窓上部の妻板左右に各1灯ずつ角形灯具を左右に並べて一体化したユニットを振り分けて埋め込まれており、10系に近いながらも固有性の高いデザインとなっている。本系列では30系以来、久々のステンレス車体が採用された。もっとも、鋼製の構体にステンレスの外板を貼り付けたセミステンレス車体ではなく、当時最新の有限要素法によってコンピュータ上で強度計算を行って設計された、高抗張力ステンレス鋼を全面的に用いる軽量構造ステンレス車体となっており、在来のアルミ車に匹敵するスペックをより低廉な製造コストで実現している。また、エクステリアデザインについては抜本的な改良が加えられており、側窓にはバランサ内蔵の1段下降窓が採用され、前面は従来通り縁取りを設けその内側をダークグレーに塗装するいわゆる「額縁」状のデザインとされたものの、新たに緩やかな曲面を描く「く」の字状の流線型デザインが取り入れられた。この新デザインでは2つの前照灯が前面中央に左右に並べて配され、(いわゆる、おへそライト)LEDによる標識灯がFRP製外縁の窓高さに組み込まれた斬新なデザインとなって視認性の向上が図られており、シンプルな造形ながら冷房付きの新車登場を市民に強くアピールすることともなった。なお、側面には薄い板材が使用される外板の溶接ひずみを目立たなくするためにプレス加工によるビードが入っている。さらにサービス向上のため、室内灯への50系以来久々となるグローブの取り付け、座席へのコイルばねによるクッションの追加、車体側面への行先表示器の設置(後に他系列の更新車にも設置)、 非常通報装置のインターホン化、それに客用扉上部への車内案内表示装置の設置などが実施されているのも大きな特徴であるが、これらの改良は以後の10系および20系の更新メニューに反映されている。なお、本系列は短期間で大量生産されたためか、保守に関係のない部分の設計や工作方法についてはある程度メーカー各社の裁量に任されており、近車と東急製は側構体と台枠の結合部がインダイレクトスポット溶接されているが他社製は栓溶接の上カバーが被せられている、といった相違が存在している。本系列は、日本の高速電車におけるVVVF制御技術開発の揺籃の一つとなった点で特筆される。20系では上述のような開発経緯によってVVVF制御が採用された。このため、従来の10系までと比較して整流子が不要となり、主電動機容積に余裕が出来て磁気回路の容量が増強され、10系の東芝SE-617Aと比較して10kW増の端子電圧550V時1時間定格出力140kW/1600rpmが実現された。もっとも、製造メーカーはこれまで東芝の1社指名であったものが、制御器の製造に参加する3社全てから供給されるように改められており、このため東芝SEA-309、日立HS-34529-02RB、三菱MB-5012-Aと3種の4極自己通風式三相かご形誘導電動機が採用されている。また、後継となる新20系ではそれぞれ小改良が加えられ、東芝SEA-309B、日立HS-34529-04RB・-05RB、三菱MB-5012-A3・-A4となっているが、型番がサフィックスの変更で終始しているという事実が示す通り、いずれも基本的な仕様には変更はない。なお、中央線用車両である20系および24系については、けいはんな線開通による95km/h走行に対応できないとの三菱による見解で高速化改造の際に三菱製主電動機が排除され東芝製および日立製に置き換えられた。20系および24系から取り外された三菱製主電動機については大阪市営地下鉄の他の路線の新20系車両で使用されている。駆動システムは全電動車とも従来通りのWNドライブを採用しており、歯数比は103:14である。20系の段階ではGTOインバータの容量などの制約から1台の制御器で2基の主電動機を制御する1C2M構成のものを2セット搭載しており、制御器はそれぞれ東芝BS-1408-B、日立VF-HR-103、三菱SIV-V564-M-1・-2であった。なお、インバータの制御周波数は2 - 111Hzである。これに対し新20系ではGTOサイリスタの急激な容量増大を受けて1台の制御器で4基の主電動機を制御する1C4M制御が実現しており、それぞれ東芝SVF-001-A0・-A1、日立VF-HR-129、三菱MAP-144-75V26に変更された。ただし、制御器が各メーカーでの競作となった20系とは異なり、新20系では細部は違うものの、全編成日立製制御器をベースとしたOEMのものに変更したため、メーカーの違いで励磁音が違うことはなくなった。また、こちらのインバータの制御周波数は0 - 111Hzでわずかながら制御域が拡大され、起動加速がよりスムーズとなるように改良されている。いずれの制御器も高発熱のスイッチング素子の冷却用冷媒にフロンを使用して冷却システムのコンパクト化を実現している。全形式とも、10系用インダイレクトマウント・ノースイングハンガー・軸ばね式空気ばね台車であるDS-10とほぼ同仕様のDS-20が採用されている。いずれの台車も車輪内周部に異種金属による防音リングを圧入してきしり音の低減を図った、防音波打車輪を装着する。なお一時期、四つ橋線23613Fにて試作インダイレクトマウント・ノースイングハンガー・モノリンク式空気ばね台車の実用試験を行ったことがある。集電装置は10系と同様に離線等による回生失効を防止する目的で、隣接する2両の電動車の内一方(Ma車)の全台車ともう一方(Mb車)のMa車寄り台車の合計左右3カ所ずつに設置されている。ただし、4両編成時には電動車が2両ともMb車であるため制御車2両が共に全台車集電装置付きとされ、6両編成時には4両と2両で電気的に分割されることからペアとなるべきMa車の無い2両側のMb1車(2100形)のために隣接する制御車(2600形)の全台車に、そして9両編成・10両編成時にはペアとなるべきMb車を持たないMa車(2400形)のために隣接する付随車(2700形)のMa車寄り台車に、それぞれ集電装置が設置されている。なお、集電装置付台車が3台車連続するように配置されているのは、両端の集電装置付台車に取りつけられた集電装置の間の距離がデッドセクションの有効長を確実に下回るようにする=母線結合された各集電装置付台車が第三軌条のデッドセクションをまたいで電気的に異なるセクションをショートさせる事故が発生するのを防止するためである。空気ブレーキは10系のOEC-2の改良型に当たる、回生制動演算装置付全電気指令式のOEC-3を採用する。これは電動車の回生ブレーキを有効活用するために付随車の空気ブレーキを遅れ込め制御するよう改良が加えられている。なお、回生制動機能は各系列とも運転台ブレーキノッチの結線変更と主制御器のプログラム変更などで抑速制動が使用可能となっており、長田以東の乗り入れ区間に連続急勾配区間を擁する中央線用各車ではこの機能が有効化されている。また、回生ブレーキは停止寸前(3km/h)までと広い。車体の項でも記したとおり、10系での実績を基に開発された新型の超薄型冷房装置である三菱電機CU-74Cおよび東芝RPU-4410を搭載する。開発当時の技術で極限に近い薄型化を実現していた10系用冷房装置であったが、その後の技術の進歩、特にスクロール型コンプレッサーの実用化によってより一層の薄型化が可能となり、20系開発に合わせて厚さ300mmと従来比約74%として実用化が図られた。もっとも、外観上は屋根高さなどほとんど変化しておらず、薄型化の恩恵は全て客室内の天井高さ引き上げに振り向けられており、10系で圧迫感を与えていた車内両端部の冷房装置の露出部が無くなって通常部分と同じルーバーが設置されている。1984年に2000形試作車として中央線用2601Fが、1985年末に2000形1次量産車として中央線用2602F〜2605Fが、1989年には2次量産車として、中央線用2000形2606F〜2607Fのほか、谷町線用初の冷房車として2030形2631F〜2639Fが製造され、合計16編成96両が中央線用の0番台6両編成7本(42両)と、谷町線用の30番台6両編成9本(54両)として製造された。本系列の中でも第1編成(2601F)については3両の電動車の電装品を東芝(2101)・日立製作所(2201)・三菱電機(2301)の3社がそれぞれ1両ずつ分担して担当するなど試作要素が多く見られ、各社が量産に必要なデータを収集するための量産先行試作車的な性質の強いものであった。また、1985年の深江橋 - 長田間延伸開業時の祝賀列車には当時1編成しかなかった20系が抜擢され、前面に「祝 深江橋 - 長田 開通」のヘッドマークを掲げて運転した。量産車については投入線区ごとに0番台と30番台に区分されたが、編成内で電動車の電装品を1社に統一したこととラインカラーが異なる以外は基本的に同一設計であり、警笛の変更、行先表示器への英字表記追加やその設定器の変更といった量産中に行われた数少ない仕様変更点も全て、両番台車の同時期製造分に等しく適用されている。2006年3月27日の近鉄けいはんな線生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間開業時の同線における最高時速の向上に合わせて、2004年に第1編成の制御素子がGTOサイリスタ素子から日立製IGBT素子に交換され、他の編成も順次交換された。なお、30番台車は、この近鉄けいはんな線延伸開業の際に、全編成が車両番号の変更を実施せずに谷町線から中央線に転用されている。2006年までに全編成の制御装置の改造工事が完了し、最高速度は70km/hから95km/h、起動加速度は2.5km/h/sから3.0km/h/sにそれぞれ変更された。また、けいはんな線延伸開業時に近鉄線内でのワンマン運転が開始され、それに対応した機器が設置されている。改造と同時に行先表示器のローマ字表記から英語表記に変更したものに交換され、側面への行先表示器の設置も実施された。車内ではバリアフリーの一環としてLED式の車内案内表示器、ドアチャイム、車いすスペースも設置された。中央線に配属された車両のうち、2601Fと2602Fは、車体側面全体に沿線の観光地である海遊館にいる魚たちのラッピングフィルムが施されたことがあり、車体中央に大きく描かれたジンベイザメから、「ジンベイ号」や「おさかな電車」と呼ぶ鉄道ファンや子供連れもいた。この2編成はラッピングフィルムが剥がされたあとに側面行先表示器が取り付けられた。第1編成の2601Fは2014年8月21日の朝ラッシュ時の運用を最後に営業運転を終了し、同月25日付けで廃車となった。営業運転終了に際して、7月23日から「さよなら20-01編成 たくさんのご乗車ありがとうございました」と書かれた、20系のイラストの中に大阪城と海遊館も描かれたヘッドマークが掲出されていた。これにあわせて、四つ橋線から中央線に23系06編成が転属し、24系50番台56編成として使用されている。製造メーカー等は以下の通り。新20系(しん20けい)は基本設計の共通する21系・22系・23系・24系・25系の各系列の慣用的な総称である。5系列合計で572両が在籍する。非冷房車である30系と50系の老朽取り替えを目的として1990年から1998年にかけて製造され、それぞれ1号線(御堂筋線)、2号線(谷町線)、3号線(四つ橋線)、4号線(中央線)、5号線(千日前線)に配置された。製造メーカーは日本車輌製造(21・23・24系で、23系は2800形を除く)・川崎重工業(21・22・23系で、21系は2500形のみ)・日立製作所(22・23・24系)・東急車輛製造(21・22・24・25系)・近畿車輛(21・22・25系で、21系は2500形を除く)・アルナ工機(22・24・25系)の各社である。また、架空電車線方式の6号線(堺筋線)向けに、同じくステンレス車体、VVVFインバータ制御の66系も製造されている。この新20系では車両番号表記が5桁となり、万の位の「2」は20系を表し、千の位は投入線区の路線番号、百の位は車両の形式、十と一の位は車両番号を表す。ただし、法規上の正式な形式称号は千の位の投入線区路線番号が省略された4桁表記となっており、いずれも20系の対応する形式と同一である(例、2600形)。以下に各線区向けの概要を示す。御堂筋線用の車両は21系と呼び、1991年から1998年にかけて10両編成18本(180両)が日本車輌製造・東急車輛製造・近畿車輛(21500形を除く)・川崎重工業(21500形のみ)の4社で製造された。製造担当メーカーは以下の通り。この21系は10両編成への対応のため、ブレーキ性能の確保を図って編成中央部の21700形に空気圧縮機が追加搭載され、さらに高密度運転線区への投入のため起動加速度が他の新20系各系列の2.5km/h/sに対して3.0km/h/sとされるなど、同時期製造の他線区向け新20系各系列とは一部仕様が異なる。上掲表のように1991年から1994年にかけて製造された第1編成から第13編成は9両編成で落成し、1995年12月9日より10両編成の運転開始に伴い、付随車である21500形21501 - 21513が川崎重工業・日本車輌製造で新造され、それぞれの編成に組み込まれた。残りの5本は10両編成で落成した。なお、第14・15編成に組み込まれている21500形(21514・21515)は、当初は21800形(21864・21865)という扱いになっていたが1995年12月に2両とも21500形に改められた。この2本は10両編成で落成されていたが、落成してから1995年12月8日までは現・4号車が外された9両編成で営業運用されていた。この21系には、1次車は存在しない。最初の第1編成は2次車である。その後、1998年より開始された10系のリニューアル工事に伴う稼働編成数の不足を補うため、第18編成10両が日本車輌製造で追加製造されている。また、同年12月より第12編成が連結面の転落防止幌の試験のために用いられ、その結果2000年より本格的に採用されることになり、全編成に設置されている。1996年に製造された第16編成から、各扉の上部にLED式の車内案内表示器が設置された。その後1997年から2003年にかけて残りの15本に対して設置工事が施工されたが、第16・17編成が全ての扉の上部に設置されたのに対して千鳥(交互)配置とされ、1998年製造の第18編成でも千鳥配置となっている。平日ダイヤの全列車で女性専用車となる6号車には車体広告が掲示されている(掲示されていない車両も存在する)。谷町線用の車両は22系と呼び、1990年から1996年にかけて6両編成19本(114両)が近畿車輛・東急車輛製造・アルナ工機・日立製作所・川崎重工業の5社で製造された。1990年に製造された第1編成から第7編成までの42両は四つ橋線用23系の第1編成から第7編成までの35両とともに初期車(1次車)の部類に入り、前面の車両番号表記が他の車両に比べて大きい。製造担当メーカーは下表の通りで、全編成が6両編成として竣工している。1997年から2004年にかけて、LED式の車内案内表示器が客用扉室内側上部に千鳥配置で全編成に設置された。この車内案内表示は、御堂筋線(21系)・四つ橋線(23系)のものと谷町線(22系)・中央線(24系)・千日前線(25系)のそれと見た目は同じだが、文字を表示するパターンやタイミングが若干異なっている。2006年3月に延伸開業した近畿日本鉄道けいはんな線への直通運転に備えて谷町線と中央線の間での大掛かりな車両の転属が2004年から始まり、中央線の24系とOTS系から編入された24系50番台車(後述)の計9編成54両が22系に編入され、50番台の区分に分けられた。改番の際に、旧OTS24系を除いて種車の番号にそって改番されている為、22050形のうち、22651F〜22654Fは存在しない。この転属に際して谷町線では不要となる抑速ブレーキの無効化が八尾車庫にて行われている。また、24系時代には設置されなかった上記のLED式の車内案内表示器が、2008年から順次設置されている。2016年現在は、6両編成28本が在籍している。(22000形(生え抜き車)が19本、22050形(元・中央線用24系0番台)が7本(55~61)、22060形(元・OTS24系50番台)が2本(62・63))このうち22662F,22663Fが元OTS系である。谷町線に転属後は当然ながらOTS系独特の塗装を見ることはできないが、転属当初は車内は大阪市編入時のままであり座席もオーシャンブルー色のままであった。現在はモケットが交換されておりそのオーシャンブルーの座席を見ることはできないが、床や化粧板などは現在もOTS時代のままであるため容易に判別できる。現在、第3,7,4,1,2編成(施工順)がリフレッシュ更新工事を受け、営業運転に就いている。なお、第3編成には25系更新車に施された車体の高圧洗浄は実施されていないが、第7編成以降の改造では実施された。ただし、屋根の洗浄は実施されていない。車両番号および編成番号の変遷は下表の通りである。四つ橋線用の車両は23系と呼び、1990年から1996年にかけて5両編成18本(90両)と6両編成4本(24両)の計114両が日立製作所・川崎重工業・日本車輌製造の3社で製造された。1996年に当初より6両編成で製造されてた23619F〜23622Fの導入に伴い、新30ステンレス系(新3050形)冷房化リニューアル車を谷町線に転出させた。22系の項でも記した通り、第1編成から第7編成は初期車(1次車,但し、4号車の23800形は1996年度下半期製)の部類に入り、前面の車両番号表記が大きい。四つ橋線での6両編成運転開始に伴い1996年から1997年にかけて第1編成から第18編成に組み込む簡易運転台付きの付随車である23800形23801 - 23818が川崎重工業にて製造されて組み込まれ、この際23300形の簡易運転台が撤去されている。23系は1997年3月31日の6両編成化完了以降、2014年春までは6両編成22本(132両)が在籍していたが、2013年3月改正で朝ラッシュ列車減便によって余剰となっていた、第6編成(1次車)がリニューアルの際に中央線に転出(23000形としては除籍、24050形に変更)した後は21本(126両)が在籍する。製造担当メーカーは以下の通りである。なお、※印をつけた編成は後に24系に編入された(詳細は後述)。この23系では住之江競艇開催時の住之江公園駅での混雑時の乗降分離のために1号車(23900形)と2号車(23200形)の片側4か所の客用扉のうち2か所のみを開閉(ドアカット)する機能があるが、現在は住之江公園駅7・8両目降り場専用部分には固定柵が設置されているため、ドアカットは中止している。なお、営業区間は全区間とも地下線のため、本系列については日よけのカーテンは搭載されていない。23601F〜23609F(1〜2次車)における、車椅子・ベビーカースペース改造は、最初に改造された23608Fでさえ、他の新20系や新60系の1〜2次車の改造が完了した後の2000年8月であり、最後に改造された23606Fが2004年であった。(但し、23800形は1996年度下半期製当初より設置済みだった為、編成単位では最低でも4号車だけには設置されていた。)中には、転落防止幌設置改造のさらに後で、この改造が行われた車両も存在していた。2006年には第11編成の客用扉室内側上部に千鳥配置でLED式の車内案内表示器が設置され、2014年の第2編成の更新工事完了をもって全編成に車内案内表示器が設置された。2013年には、ドアガラスに貼られていた車椅子マークは、リニューアル更新工事の有無に関係なく、全て剥がされた。2012年に第1編成がリフレッシュ更新工事を受け、営業運転を開始した。各車両ごとに号車を表すステッカーを車体側面に貼付した他、車内では千鳥配置でLED式の車内案内表示器とは対面の扉上に現在地を示す電光ランプの取り付けやロングシート中間部にスタンションポールの設置、運転台ではモニターの設置と速度計などの更新(アナログ化)などが行われている。なお、車体の高圧洗浄は実施されていない。2012年11月に第1編成が大阪市営ふれあいフェスティバルの一環として運行された臨時列車にて御堂筋線を走行した実績がある。前述の通り、2014年に第6編成は中央線に転属して大阪車輌工業で24系50番台に編入・改造された。なお、2014年に四つ橋線と中央線との連絡線が本町駅構内に完成し、翌2015年より使用開始したためこの転属が大阪市営地下鉄においてトレーラー輸送を伴う最後の転属となった。中央線用の車両は24系と呼び、1991年から1995年にかけて6両編成11本(66両)が日本車輌製造・日立製作所・アルナ工機・東急車輛製造の4社で製造された。製造担当メーカーは以下の通りで、全編成が6両編成として竣工している。なお、※印をつけた編成は後に22系に編入された(詳細は後述)。また、24系50番台は大阪港トランスポートシステムの第一種鉄道事業が大阪市交通局に編入された2005年7月1日から谷町線に転属となった2006年3月3日までの期間と、2014年に四つ橋線から転属した23系を改番した車両とに存在する番台区分で、前者は旧OTS系である。24系50番台に編入される際に客室内の左右両側の客用扉上部にあったLED式車内案内表示器が千鳥配置に変更されたり、前面のOTSのシンボルマークが新20系の「VVVF 20 SERIES CAR」マークに変更されたりなどの軽微な変更がなされた。しかし、座席モケットの色はOTS時代のオーシャンブルーのまま存置されており、車内に入れば容易に判別可能であった。OTS系時代の詳細は後述する。24系0番台(生え抜き車)には1次車は存在しない(最初の第1編成は2次車)が、2014年には、四つ橋線から23系06編成(1次車)が転属して24系50番台に編入されることになり、大阪車輌工業で第03編成に準じたリフレッシュ工事及びけいはんな線乗り入れ対応改造が行われた。23系時代とは、号車番号表示(1号車は、23900形から24950形に変わっただけで、車両の向き自体は同じ)は変わっていないが、ラインカラーが青帯から緑帯に、2~5号車の4番ドア付近にあった優先席は、1番ドア付近に移動された。改造後も22・23系初期車(1次車)の特徴である正面の大きな形式番号が存置されている。(変更された十位5、千位4の箇所を含めて)4号車の24856番車は、四つ橋線在籍時に後で製造されていた車両の為、ドアの形状等が異なっている。前述の通り、24系第5編成から第11編成と24系50番台2編成は谷町線に転属した。2014年現在、中央線に在籍するのは引き続き残留した第01編成から第04編成と2014年に四つ橋線から転属した第56編成の5本30両である。この5本についても20系と同様、室内の客用扉上部に千鳥配置でLED式車内案内表示器の設置(リフレッシュ工事後はLCD式に交換)、行先表示幕の交換(英文字が大小混じりのものになったほか、学研奈良登美ヶ丘行きのコマが追加)、冷房機横に車外スピーカー設置、近鉄線内での最高95km/h運転・ワンマン運転への対応、起動加速度の向上、機器の高速運転対応化、ワイパーの形状・位置の変更などの改造が行われている。これらはリニューアル工事前に行われたものである。2014年に第3編成を皮切りに行われたリニューアル工事は、2016年の第4編成の更新工事をもって24系はすべての車両の更新工事が完了した。但し、ドアガラスに貼られていた車椅子マークは、リニューアル工事と同時、又はそれ以前に剥がされ済みに対して、2014年にリニューアルされた24603Fについては、2016年8月現在でも剥がされていない。千日前線用の車両は25系と呼び、1991年から1995年にかけて4両編成17本(68両)が近畿車輛・東急車輛製造・アルナ工機で製造された。製造担当メーカーは以下の通りで、全編成が4両編成として竣工している。千日前線は閑散線区であるため開業以来100形や200形(共に2代目)、あるいは50系や30系など他線区で余剰となった各系列の最後の運用線区となる例が多く、これまで新車が直接投入されたことはなかった。それゆえ初の直接新製投入で、かつ乗客から待望の冷房車となった本系列は歓迎された。この25系は、21系・24系0番台(生え抜き車)同様、最初の第1編成は2次車の為、1次車は存在しない。なお、全区間地下線のため、本系列も同様の使用条件にある23系と同様、日よけのカーテンは搭載されていない。千日前線ではATCにCS-ATCが採用されているため、本系列には工場への出入庫に必要となる従来型のWS-ATCに加え、CS-ATC対応機器が別途搭載されている。また、2008年に第10編成の客用扉室内側上部に千鳥配置でLED式の車内案内表示器が設置され、2014年の第2編成の更新工事完了をもって全編成に設置された。さらに同年の第8編成の更新工事をもって25系はすべての車両が更新を完了した。なお第8編成は2014年度に施工されたが改造内容は2013年度までのと同一メニューとなっている。新20系についても初期車の竣工から既に約25年が経過したため、更新工事が実施されることになった。第一陣として千日前線用25系25607Fの更新工事が完了し、2011年1月14日に営業運転を開始した。更新工事の主な内容は次の通りである。これまでもリニューアル施行の際は車内において、座席のバケット化や手すり・吊革の増設などを行ってきたが、細かい点が多く利用者から「大きく変わり映えしない」との声が多かったため、新しい発想として利用者に楽しく喜んでいただけるものををコンセプトとして従来リニューアルのデザインを御堂筋線、谷町線、中央線の車両を対象に一新することとなった。御堂筋線21系は御堂筋線の号線カラーでもある赤色で大阪市営地下鉄の大動脈を表し、御堂筋の伸び行く新緑のイチョウ並木を表現。谷町線22系は歴史的な史跡や神社、寺院が立ち並ぶ歴史がある路線で、沿線で開催される天神祭の壮大な花火と谷町筋のゆかりのある梅の華で華やかさと伝統を融合した車両空間を表現。中央線24系は朝日の昇る生駒山から太陽の沈む大阪港へ号線カラーであるグリーンベルトでつなぎ、そのまわりをかわいい魚が泳ぎまわるデザインで明るくかわいい車内を表現。OTS系は、かつて大阪港トランスポートシステムが保有していた通勤形電車で、前述したように中央線用の24系50番台に系列・形式称号変更された後、谷町線への転属に伴い22系50番台に変更された。ここではOTS時代について記述する。この車両は1997年12月18日のOTSテクノポート線開業に際し、日立製作所で6両編成2本(12両)が落成した。車体や主要機器は乗り入れ先の中央線24系と同一仕様であるが、客室案内表示は全扉に設置された。また、落成時の編成は以下のとおりである。塗装はOTS線の海浜をトータルイメージとしており、前面扉がモーニングブルー、それ以外がオリンピアブルーとされ、ラインカラー帯もこの2色の塗り分けの上下を白い細帯が挟む独自のものであった。また、車内のカラースキームも独自色の強いものであり、やはり海浜をイメージした青系統でまとめられている。OTSテクノポート線開業時には同車両に漫画「少年アシベ」のキャラクターである「ゴマちゃん」のシールが貼付されていた。
出典:wikipedia
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