双葉町(ふたばまち)は、日本の福島県浜通り中部にある町。双葉郡に属するが、1896年以前は標葉郡に属していた地域である。元々は新山町(しんざんまち)と長塚村(ながつかむら)であったが、これら2つが1951年に合併して標葉町(しねはまち)となり、その標葉町が1956年に改名して双葉町となった。福島第一原子力発電所(東京電力)の5号機と6号機が立地している。なお、1号機から4号機までは隣接する大熊町に立地している。2011年3月11日の東日本大震災で被災し、これに誘発されて同日に発生した福島第一原子力発電所事故(以下「福島原発事故」)の影響に伴い、3月19日以降は町役場を埼玉県内に移転していたが、2013年6月17日以降町役場をいわき市に移転している。2016年2月現在もほぼ全域が「帰還困難区域」(除染・復旧工事関係者以外の一般住民の自由な行き来が終日制限される)に指定されている。阿武隈山系の東に開けた浜通り地方の中部に位置し、東は太平洋に開ける。行政上では、北の浪江町と南の大熊町に挟まれた位置にある。面積は51.40km²。冬でも雪がほとんど降らないため、福島原発事故の発生前はカーネーションの栽培が盛んであった。「双葉」という町名は、標葉郡(しねはぐん。夜ノ森以北、相馬氏領)と楢葉郡(ならはぐん。夜ノ森以南、岩城氏領)の合併に因んだ名称であり、こちらの双葉町は旧標葉郡に属する。国造が割拠した7世紀前半には、現在の双葉町は、染羽国造(しめはのくにのみやつこ)の領土の南限であった。しかし、律令制が浸透した7世紀後半には、現在の双葉町(長塚)と大熊町(苦麻)の境(概ね福島第一原子力発電所の付近)を境にして、長塚以北は陸奥国に編入された。この時、染羽国造の領土は、陸奥国の標葉郡(しねはぐん)となった。718年には陸奥国から分離されて石城国に編入されるも、720年代には石城国は陸奥国に編入された。平安時代末期の保元年間(1156年 - 1158年)になると、請戸城を本拠地とする標葉隆義の統治下に入り、これ以後はの現双葉町は標葉郡を領土とする標葉氏の統治下に置かれた。現 双葉町の旧名である新山町は、元弘元年(1331年)に標葉隆連が築いた新山城に因んだ名称である。この後に、標葉氏は再び浪江を本拠地とするようになった。1492年になると、標葉氏は相馬氏に滅ぼされ、これ以後の戦国時代後半から戊辰戦争終結まで、現在の双葉町域は相馬氏の統治下に置かれた。江戸時代の中村藩政下では、浜街道長塚宿の宿場町であった。2015年は全住民避難に伴い計測不能(0人)のため、記載されていない。原発事故により双葉高等学校はいわき明星大学に校舎を設置している。また、小中学校はすべて休校している。
出典:wikipedia
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