ルノーサムスン自動車(ルノーサムスンじどうしゃ、略称:RSM)は、韓国・ソウルの衿川区に本社を置く自動車メーカーである。釜山・江西区の昌原国家産業団地内に製造工場(敷地面積約165.000m)とR&Dセンター、ならびにギャラリーをもち、その周辺にはルノーサムスン大路(Renault Samsung-daero、르노삼성대로、르노三星大路)と名付けられた幹線道路が通っている。また、京畿道に研究所とルノーデザインアジアスタジオ(旧・デザインセンター)を有する。後述の商標使用許諾契約によりサムスンの名称がついているが、実質的にはルノーグループの一員であり、サムスングループから見ると関連企業のひとつである。CIマーク(通称:ダイナモエンブレム)は台風の目を形象化したものであり、「顧客中心の経営方針を確固たるものにする」「先んじた考えの下でのクルマ造り」という原動力を表現したものである。また、上下左右対称のデザインは「信頼性の追求」を示し、カラーは「プレミアムイメージの主張」である。CIマークはサムスン自動車設立当初より採用されていたが(その当時のカラーは青も使用されていた)、社名変更後も踏襲されている。2015年下半期からは、ルノーのヴィジュアルカラーであるイエローを各ディーラーの看板の一部に採り入れ、ルノーファミリーの一員であることを強調している。また、2016年からは公式サイトにもイエローが採り入れられている。ルノーサムスンはドメスティックブランドであり、初期に行われていた自ブランドでの「SQ5」の輸出(後述を参照)を除き、韓国以外では使用されない。CMなどを通じて掲げられていた。2016年4月現在はスローガンが設定されていない。RIGHT(=正しい)というキーワードを掲げ、全員一丸となって仕事に取り組んでいる。「Reliable(=信頼できる)」「Idential(=同一の→一定品質)」「Genuine(=本物の)」「Honest(=正直な)」「Transparent(=ありのままの)」三星グループの自動車業界への進出計画は以前からあったが、長年にわたり自動車産業への参入を時々の政権に阻害され続けてきた。しかし、当時会長であった李健煕の強い意志のもと、1990年代より計画実現が徐々に現実味を帯びていくこととなり、当時の大統領である金泳三の支持基盤である釜山を工場建設地に指定し、1994年末に日本の日産自動車からの技術導入による自動車産業への参入を申請した。政府内部では自動車産業の過剰投資を憂慮する反対論が根強かったが、既存の政府主導による産業政策から産業自由化政策へ転換すべきとの自由化論が優勢となり、三星は自動車産業参入の認可を手に入れた。1997年末の通貨危機を経て、1998年3月から同社初の乗用車であるSM5の生産が始まり、同年に約4万台が生産されるも、通貨危機で内需と輸出が激減し1998年末には大宇電子との事業交換で合意し、その後の6か月は操業中断状態にあった。そして2000年、三星自動車は会社設立から約6年、操業から1年4か月で経営破綻した。1990年代後半にデザインや商品戦略などの相次ぐ失敗で販売不振が深刻化し、経営危機がささやかれた日産自動車が1999年3月にフランスのルノーと企業同盟を結び資本提携した。その後のアジア経済危機により三星自動車も上述のような形で経営破綻し、ルノーが株式の80.1%を取得して筆頭株主となった(残りの19.9%は三星グループが保有)ルノーから引き受けを拒否された商用車部門(=サムスン商用車。工場は大邱広域市達西区にあった)が大邱地方裁判所から破産宣告を受けて事実上倒産し、撤退すると同時にルノーグループとサムスングループの間で合弁契約とサムスンブランドの商標使用許諾契約を締結したことでルノーの傘下となり、社名を「ルノーサムスン自動車」に変更して現在に至る。このアライアンスによってすべてのルノーサムスン車には(エンジンやプラットフォーム、4WDシステムなど)日産自動車の技術が多用されてはいるものの、実は日産とルノーサムスンの間に直接の資本関係はない。なお、ルノー傘下に入った後も当面は日産車のバッジエンジニアリング車を作り続けていたが、QM5以後の新車種はルノーと日産との共同開発としている。2000年、ルノーグループとサムスングループの間で合弁契約とサムスンブランドの商標使用許諾契約を締結したことで「ルノーサムスン自動車」に社名変更し、ルノーの傘下となったが、その理由はルノーサムスンにとっては「サムスンという絶大なブランド力を生かし、韓国市場で高いブランドイメージを維持できるから」であり、三星グループにとっては「ルノーサムスンと自動車用電子部品分野で開発や生産などにおける協力関係を拡大していくことができるから」という双方にとってプラスとなる要素が合致したためである。この契約は本来、2010年まであったが、国内生産ならびに2006年から本格的に開始した輸出とも非常に好調であったことと、サムスンとルノーサムスン双方のブランド力堅持のため、2009年6月には契約期間を2020年まで延長させている。よって、サムスンの商標は少なくとも2020年までは使用可能となった。なお、ルノーサムスンは最終利益が発生した場合、売上高の0.8%を商標使用料(ロイヤリティ)として三星グループに支払う契約となっている。従来、ルノーサムスンブランドの車種は主に国内向けに出荷されており、海外へはチリなどごく一部の国・地域にSM5を「SQ5」の名で輸出するに留まっていた。しかし、2代目社長であるジャン・マリー・ウェルティジェがCEO就任後はカルロス・ゴーンの指示の下、ルノー・日産グループはルノーサムスンで製造した車種を日産およびルノーブランドにリバッジして輸出を拡大する方針を採ることにし、まず2006年からSM3が日産ブランドの「アルメーラクラシック」として輸出開始された。続いて、ルノー/日産と共同開発したSUV・ルノー・コレオスの製造が全量ルノーサムスンで行われることになり(国内向けはルノーサムスン・QM5)、2008年から2010年までは2代目SM5がルノー・サフランとしても輸出された。また、2010年からはSM3 CEがルノー・スカラとして、3代目SM5がルノー・ラティテュード/3代目サフランとして輸出が開始されている。近年はエンジンやトランスミッションを日本からの輸入に頼りすぎたことによる(他社ライバルと比較しての価格高騰が原因の)赤字体質に悩まされており、そこからの脱却を図るべく2012年上半期に発表された「RSM 2012 リバイバルプラン」に応える形で、ルノー=日産アライアンスが1億6.000万ドルの出資をするとともに、工場の稼働率と生産能力の増強を図るべく、日本の日産自動車九州で生産されているクロスオーバーSUV「ローグ」の次世代型を北米日産スマーナ工場に加え、2014年より年間8万台規模で釜山工場にも移管生産することを発表し、2014年9月より生産を開始し、同月下旬に北米へ向けて輸出した(同社にとっては初の北米市場への輸出である)。また、車両としての輸出ではないが、ルノー=日産アライアンスとルノーサムスンの部品供給網を活かし、日産の商用車「NV350キャラバン」(「いすゞ・コモ」「三菱ふそう・キャンターバン」含む)のドアミラー部品や内装部品など200余の部品をサプライヤーを通じて日産車体九州に供給している。2012年8月10日、極度の業績不振に対応すべく、会社設立以来初めて希望退職者を募集。対象人数は技術職約1.000人を除いた約4.500人としている。しかし、2011年8月に結成された労働組合がこの募集に猛反発し、13日にストライキに突入することを発表。労働組合側はこの日、午後2時45分から午後4時45分まで釜山工場で昼夜勤がそれぞれ1時間ずつストライキに突入した。2016年9月現在主にセダン系に採用される「S」は「Samusung」もしくは「Sedan」、SUV系に採用される「Q」は追求を意味する「Quest」、「M」はドライブを意味する「Motoring」、末尾の数字はそれぞれの車格を意味する。2009年の販売台数は189,813台で前年比3.7%の減少となった。世界経済の低迷によって新車需要が伸び悩んだためである。輸出では、2010年第1四半期に過去最高となる2万2,408台を出荷。2前年比171.5%の増加で2009年の輸出台数の40%に匹敵する。ルノーサムスンは「海外市場において日産とルノーブランドで我々の車を売ることは販売に寄与している。しかし、ルノーサムスン製車種の注文が増加しているという事実は我が社が高品質の車によって顧客の信用を獲得している表れである」という声明を出している。上述にもあるように2010年はルノーサムスン史上初めて年間輸出台数が10万台を突破。2000年の同台数の500倍以上の成長率を記録している。2011年の輸出分を含めた販売台数は11万8135台となっており、2010年の16万1917台から約27%と大幅に落ち込んだ。原因の一つに、東日本大震災によって日産自動車いわき工場が甚大な被害を受けたことにより、同工場で生産されるVQエンジンやジヤトコで生産されるトランスミッションの納入が遅れたことが挙げられる。2012年6月の月間販売台数は4.008台で(前年同月比58%減)、4位の双竜自動車の4.033台に負け、会社創立以来の業界最下位となった。これはSM7の販売低調とキア・フォルテの後継として9月に発売予定のK3に対する期待で同クラスの準中型車・SM3の買い控えが起きてしまったためである。これ以降、双竜とは4位・5位の座が度々入れ替わるようになる。2013年1月の販売台数は3,850台と創立以来の最低台数をマーク。これは同月のBMWの韓国における全販売台数(3,600台)に近い。2014年12月の国内販売台数は10,363台を記録。月間販売台数が1万台を超えたのは2011年9月以来のことである。尚、2014年の累計販売(生産)台数は国内向けが80,003台、輸出向けが89,851台の計169,854台となり、前年比29.6%プラスとなった。この背景にはQM3の計画販売台数(8000台/年)の2倍を超える18,191台という好調な販売と、日産ローグの好調な生産状況が大きく影響している。2015年の生産販売台数は229,082台で、うち輸出向けは日産ローグの人気好調により、昨年比65.9%増の149,065台と社史最高の台数となった。
出典:wikipedia
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