多摩川線(たまがわせん)は、東京都武蔵野市の武蔵境駅と府中市の是政駅を結ぶ西武鉄道の鉄道路線である。俗に、旧路線名から是政線とも呼ばれる。駅ナンバリングで使われる路線記号はSW。多摩川線は路線名の変遷が激しい。多摩鉄道時代の1922年6月20日に是政駅まで全通後、1927年8月30日に旧西武鉄道に吸収され、路線名は多摩線と呼ばれるようになる。その後路線名は是政線と名称変更され、後に更に武蔵境線と変更、そして現在の多摩川線に変更されて今に至る。他の西武鉄道の路線群とは直接の接続がない孤立路線で、JR中央線の武蔵境駅から南西に延びている。武蔵境駅付近は2006年12月に一部高架化され、2008年7月19日に全面高架化された。保線職員や整備職員などは多摩川線専属の社員が在籍せず、新宿線の上石神井駅から出張してくる。車両の毎日の検査や清掃などは白糸台車両基地で行われ、大規模な検査や整備を行う場合は、甲種輸送の形で武蔵境駅付近からJR線に入り、新秋津駅まで貨物列車として機関車に牽かれ、新秋津駅から所沢駅を結ぶ連絡線を経由して整備工場である武蔵丘車両検修場(かつては旧西武所沢車両工場)へ回送している。中央線高架化工事が行われていた際は、甲種輸送ができなかったため、部品の輸送で対応していたが、中央線高架化工事完了後は車両の甲種輸送が再開された。以前は、国分寺駅まで西武の電車が旧型国電との併結で回送していた。自動改札機が全駅に設置されていないため、西武線では唯一パスネットが利用できなかった。かつて発売されていた、SF機能を持たないレオカードでは切符を購入できたものの、2008年3月14日を以て使用できなくなった。SFレオカードでは購入もできなかった。武蔵境駅以外の駅から乗車するときは、乗車券を自動券売機で購入しそのまま入場する。このため、切符には「入鋏省略」と記載されている。出場時には駅係員により切符が回収される。連絡乗車券はJR武蔵境駅の連絡改札口の自動改札機にそのまま投入できる。2007年3月18日からサービスを開始したICカードPASMOは当路線にも導入され、簡易ICカード改札機を各駅に設置して対応している。西武鉄道内では池袋線・西武秩父線の武蔵横手 - 横瀬間各駅にも設置されているのと同じもので、JRの簡易Suica改札機とは違いオートチャージも利用できる。また、武蔵境駅でも簡易ICカード改札機が設置されていたが、高架駅完成時に自動改札機が導入された。ワンマン運転を実施しているが、全駅の改札が初電から終電まで稼動しているため、車内には運賃箱や運賃表示機などの設備が無く、いわゆる都市型ワンマン方式となっている。運転士は運転席後部にある(通常は車掌が操作する)ドアスイッチを操作してドアの開閉を行うため、駅到着後ドアが開くまでとドアが閉まってから電車が発車するまでには少し間がある。また、武蔵境駅・白糸台駅(始発のみ)・是政駅では発車メロディが導入されているが、発車時にはチャイムが鳴らされる。途中駅ではこれが発車の合図となり、その後車内に「ドアが閉まります。ご注意下さい。」と放送される。ワンマン運転開始当初は前面に「ワンマン」の文字を掲出していたが、現在運用されている新101系ではこの掲示はなく、始発駅発車後の車内放送で案内するのみにとどまっている。都市近郊路線では珍しい平日・土曜・休日共通ダイヤになっており、日中は12分間隔、早朝と夜間は20分間隔の運転である。早朝には白糸台発の列車があるが、白糸台行きの列車は現在設定されておらず、上り列車はすべて武蔵境駅で折り返し是政行きになり、夜間の一部列車は是政駅まで運行した後、是政発白糸台行きの回送列車となる。列車の行き違いは、日中は新小金井駅と白糸台駅で、早朝と夜間は多磨駅で行う。ワンマン運転化前には新宿線系統から多摩川線へ転属してきた401系、701系、赤電と呼ばれていた451系や551系・571系などが使用されていた。多摩湖線国分寺口とともに、西武で最も古い車両が集約される。また、列車無線、列車種別表示、連結器の電気栓(電気連結器)、スタフ(乗務員用の時刻表)など、本線系でしか使わない機能の一部が独自仕様に変更・または省略となっている。多摩川河原で採取した川砂利を運搬する目的で、1910年8月に設立された多摩鉄道によって開業した路線である。また戦中は中島飛行機の工場への引き込み線があり、沿線工場への貨物輸送にも利用された。多摩鉄道は1908年2月に境 - 是政間の私設鉄道法による仮免許を取得した。ところが東京天文台より反対があった。同天文台は当時、三鷹村大沢に移転する計画があり(現国立天文台本部のある、国立天文台三鷹キャンパスである)鉄道がそばにあると観測業務に支障が出るとの理由からである。鉄道会社側でも路線変更は承服できないとして反論した。この結果についての書類が失われているため鉄道院の裁定は不明だが現在路線が大きく迂回していないので鉄道会社の主張が認められたようである。1909年2月に多磨村での約20年間の砂利採掘権を取得する(多摩川での砂利採掘は1964年に禁止される)。1917年10月22日に境(現・武蔵境) - 北多磨(現・白糸台)間、1919年6月1日に北多磨 - 常久(現・競艇場前)間、1922年6月20日に常久 - 是政間が開業した。1927年8月30日に(旧)西武鉄道に合併され、同社の多摩線となった。砂利輸送のおまけであった旅客輸送に対しては1929年に参拝客の増加していた多磨霊園の至近に多磨墓地前(現・多磨)駅を開設し、ガソリンカー運行を開始、その後車両を増備し日曜祭日彼岸時には武蔵境 - 多磨墓地前間を15分毎に頻発運転するようになる。1950年に電化され、1967年に貨物輸送を廃止した。その後は沿線にあるアメリカンスクール、多磨霊園、多摩川競艇場のアクセス路線として活用されてきた。近年には沿線の宅地化が進み、また東京外国語大学、警察大学校、警視庁警察学校が多磨駅に近い関東村跡地に建設されたことから、輸送需要が増えつつある。前述のとおり、1996年4月1日にワンマン運転化されている。2007年3月18日からは、ICカードPASMOが導入された。また、同年12月には開業90周年事業として記念ヘッドマーク掲出や記念切符発売などの記念事業を開催した。2010年3月22日には、前述のラッピングされた新101系の出発式が武蔵境駅のホームで行われた。この様子は新聞の記事などにも取り上げられた。
出典:wikipedia
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