樺太民政署(からふとみんせいしょ)は、明治38年 (1905年) 8月19日から明治40年 (1907年) 3月14日まで、樺太開拓のために設けられた行政組織である。樺太は、明治政府がロシア政府と結んだ樺太・千島交換条約でロシア領となり、コルサコフに日本領事館を置いていたが、日露戦争で侵攻、1905年8月1日全島に軍政がしかれたが、これを解除。内務省下に、樺太民政署を設置し当初は本庁をアレクサンドロフスク(現在のアレクサンドロフスク・サハリンスキー)、支所をコルサコフ(大泊町)に設置した。同年8月29日の、日露講和会議にて、北樺太の領有権を放棄し、11月13日樺太国境画定会議にて正式に北樺太をロシアに譲渡したため、本庁をコルサコフにした。現地の行政は、民政長官の熊谷喜一郎が執り、港湾の整備・鉄道の敷設と現地に住んでいたアイヌ・ロシア人の帰属や、北海道との定期航路、開拓に必要な人民の戸籍・衛生などを急ぎ進めた。明治40年(1907年)3月14日、樺太庁が設置されたことにより発展的解消を遂げた。
出典:wikipedia
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