ソビエト連邦構成共和国(ソビエトれんぽうこうせいきょうわこく)とは、ソビエト連邦の連邦政府との間に連邦条約を調印して、ソビエト連邦を構成する共和国となった諸国家である。構成共和国は民族に基づいた行政区画であり、ソビエト連邦政府に直接属していた。1977年ソビエト憲法第76条によれば、各々自治があるソビエト社会主義国家が結合しソビエト社会主義共和国連邦を結成しているとされる。第81条では"連邦共和国の自治権はソビエト連邦によって保護される"と規定している。崩壊以前の10年では、ソビエト連邦は公式に15のソビエト社会主義共和国(SSR)から構成された。また、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(RSFSR)を例外として、全ての共和国がソビエト連邦共産党の支部として各国独自の共産党を持っていた。ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の領域外では、共和国はロシア帝国が1700年の大北方戦争から英露協商までに得たほとんどの土地を含んでいた。場合によってはバルト三国はソビエト連邦の一部と考えられていない。これらの国は1940年にモロトフ・リッベントロップ条約に基づくバルト諸国占領でソビエト連邦に違法に併合されたとしており、したがってソビエト支配下でも独立国を維持していたと主張している。彼らの視点はヨーロッパ連合、欧州人権裁判所、国際連合人権理事会、アメリカ合衆国などに支持されている。対照的にロシア連邦政府と州当局はバルト諸国併合は合法であるとしている。エストニア亡命政府やラトビアとリトアニアの駐米英大使館は、ソ連への編入を認めない立場でソ連末期まで活動を続けた。バルト三国はソ連解体に先んじてソ連に独立を承認されている。1944年、改正1936年ソビエト憲法によってそれぞれのソビエト共和国のために赤軍を分割して支部が設立された。これらはまた外交と防衛のために国レベルの兵站を構築し、国際法で法的な独立国家と認識されることになった。これによって、ウクライナとベラルーシの2国は1945年に国際連合総会の設立メンバーとして加わることを許された。現在、以前の共和国は全てが独立国となっており、そのうちグルジア(ジョージア)とバルト諸国を除く11カ国は、非常に緩やかな組織である独立国家共同体を組織している(トルクメニスタン、ウクライナは客員参加)。憲法では、ソビエト連邦は政府連合であり、1924年、1936年、1977年の憲法の条項にしたがってそれぞれの共和国は連邦から脱退する権利を保持した。冷戦の間、この権利は無意味なものであるとの見方が支配的だった。しかし、1977年憲法第72条は1991年12月にソビエト連邦の事実上の崩壊に利用され、ロシア、ウクライナ、ベラルーシは連邦から脱退した。ソビエト連邦は、建国当初の1922年から1980年代半ばまで高度な中央集権であり、その後政治的な力はミハイル・ゴルバチョフによって行われた再構築によって解放され、結果として中央の支配が緩み、最終的には崩壊に至った。1936年に採用された憲法と、1977年10月その憲法の近代化まで、ソビエト最高会議の党組織はソビエト人民代表によって構成されていた。これらの組織は名目上モスクワのソビエト連邦最高会議の支配の下にあり、ソビエト連邦とともに全ての行政階層で存在した。国家の行政階層に沿って、平行の構造として党組織が存在し、これは共和国の総合的な運用行使のための政治局を許可していた。国の行政機関は並行的な党機関の方針を採り、党中央機関の賛成した全党と国家機関の指名が必要であった。全ての共和国は国旗、国章、国歌など独自の国家の象徴を持っていた。なお、RSFSRだけは独自の国歌を持っていなかった(ソビエト連邦の国歌を使用)。全ての共和国はレーニン勲章を受章している。1980年年代の時期には、連邦内に15の共和国が存在しており、これらの共和国は連邦崩壊時に大きな役目を果たした。ソビエト連邦は歴史的に高度な中央集権国家であったが、ミハイル・ゴルバチョフによるペレストロイカとグラスノスチは、この連邦体制の再構築を目指していた。しかし、これには共和国の権力の増加をもたらすいくつかの効果をもっていた。最初に、政治的な自由化によって共和国の政府に合法的に民主主義とナショナリズムをもたらすことを許した。加えて自由化は共産党階級をくじくこととなり、これはソ連の共和国支配を減じることとなった。さらにペレストロイカは各共和国の政府が経済資産を制御することと、中央政府からの留保基金を許した。1980年代の終わり、ソビエト政府は体制の引き締めを図ったが、既に力をつけていた構成共和国らはこれを拒否した。努力もむなしく、1991年、ソ連は共和国の脱退によって崩壊という結末を迎えた。ゴルバチョフ政権によるこの時代の地方分権と民主主義への改正が、結果的には連邦崩壊を導いたことになる。共和国はこのとき全ての国家が独立国となり、独立後の政府の多くではソビエト時代の共和国の首脳が引き続き政府を構成した。ソビエト連邦を構成する共和国は、そのほとんどはソビエト社会主義共和国 (SSR) と名づけられた。ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 (RSFSR) は連邦内の連邦共和国となっていた。1956年から1989年までは、以下の15の共和国があった。なお、ソ連崩壊時にはバルト三国(最後の3共和国)はすでにソ連を脱退しており、12カ国となっていた。これらの構成国に加えて、それ以前に消滅した共和国に以下のようなものがある。ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国はソ連内の連邦であり、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアの3国からなっていた。さらに自治共和国もあり、形式上は国家が4重になっていた。ソビエト連邦を構成することはなかったが、ソビエト政府によって以下のような共和国が存在し、ソ連に吸収されている。ソ連崩壊後、バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)を除くソ連邦を構成していた共和国による独立国家共同体(英:;露:)が構成された。その目的は経済や軍事的協力を目的としているため、永世中立を宣言したトルクメニスタンは準加盟国となっている。またウクライナはCIS憲章の批准を拒否し、客員参加国の座にあるほか、ジョージア(グルジア)は他国より遅れた1993年に加盟したが、2009年に脱退している。ソビエト連邦の各国の中には共和国内に自治共和国を持つものもあった。これらの自治共和国はソ連の構成国内の自治国であるものとされていた。しかし、これらの共和国はソビエト連邦と別途条約を結んでおり、実際は連邦の直轄状態で統治されていた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。