『W3』(ワンダースリー)は、虫プロダクション制作のテレビアニメ、およびそれと設定を同じくする手塚治虫のSF漫画作品である。『ジャングル大帝』に続く虫プロ3番目のアニメ作品で、虫プロ内の余剰人員を活用する目的で出された企画をその端緒とする。『W3』が形になるまでに、2度虫プロの企画と似たアニメが他の会社から制作され、虫プロではその都度設定変更を行っている。漫画版は当初『週刊少年マガジン』に掲載された。しかし、前述の設定変更の際に社内で内通者騒ぎが起こり、不幸にもその発端となった作品が『W3』と同時掲載になったため、これを快く思わなかった手塚の意向によりマガジンでの連載を6回(1965年13号 - 18号)で打ち切り、設定を見直した上で掲載誌を『週刊少年サンデー』に変更して連載された(1965年5月30日号 - 1966年5月8日号)。このことは俗に「W3事件」と呼ばれている。アメリカでは、Erika Film Production の手によって、THE AMAZING 3のタイトルで放送された。余談だが、エンドロールでの手塚の表記が"OSAMO TEDUKA"と誤記されている。196x年、人類は相変わらず無益な戦争を繰り返し、その悪評ははるか遠くの銀河連盟の耳にも届いていた。そこで銀河連盟はW3(ワンダースリー)と呼ばれる銀河パトロール要員の3人を地球に派遣して1年間調査を行い、そのまま地球を残すか反陽子爆弾で消滅させるかを判断させることにした。ボッコ、プッコ、ノッコ(マガジン版では隊長、ガーコ、ノンコ)の3人は地球の動物の姿を借り調査をすることにし、それぞれウサギ、カモ、ウマとなる。星真一少年は負傷していたW3を自宅の納屋にかばい、彼らと行動を共にすることになる。一方、真一の兄、光一は世界平和を目指す秘密機関フェニックスの一員として工作活動に従事していた。(マガジン版はここまで)W3は初めこそ地球人の暴力性に嫌悪感を抱くが、真一少年の純朴な人柄に触れて考えを改めていく。その後、プッコの不手際で地球を数秒で破壊してしまう反陽子爆弾が悪の組織に渡ってしまう。それを知ったW3や真一達は反陽子爆弾を取り戻そうと立ち向かう。アニメ版は虫プロダクション製作で、1965年6月6日 - 1966年6月27日にフジテレビ系で全56回(全52話+リピート放送4回)で放送されたモノクロ作品。提供はロッテ。大まかなプロットは共通しているが、全52話のうち大部分が漫画版とは異なっている。初回から第35回までは日曜19:00~19:30の枠、第36回目以降は月曜19:30~20:00の枠で放送された(東京地域の場合。地方局では放送の曜日や時間帯は異なっていた可能性がある)。注記:エピソードのタイトルでカギ括弧で括られたものは「虫プロダクション資料集1962-1973」に表記されたものである。新聞のテレビ欄に書かれたものや実際に放送された画面でのタイトルがどうであったのかは解明が必要。丸括弧の中の方がむしろ正しいかもしれない。脚本や演出についての情報は「虫プロダクション資料集1962-1973」の方には欠落不明な箇所が多い。おそらくこの上の表はLD化やDVD化に際して調査を加えたものであろう。放送期間やリピート放送の存在、第36話以降の放送曜日と時間の変更についても同資料集の記述に拠った。本番組の後継番組は同じスポンサーによる手塚治虫原作の「マグマ大使」(カラー実写特撮版で製作はピー・プロダクション)であった。「ワンダースリー」(作詞:北川幸比古、作曲:宇野誠一郎、歌:ボーカル・ショップ、白石冬美、近石真介、小島康男)放映開始からしばらくは常時20%台を維持する好視聴率をマークしていたが、その後TBSが同時間帯に円谷特技プロダクションの特撮番組をぶつけてくることが判明し、円谷の特撮技術をよく知っていた手塚治虫は番組の前途を危惧した。その番組『ウルトラQ』が始まるや、『W3』の視聴率は急落、月曜19時30分枠への時間帯変更(正確には『快傑黒頭巾』との枠交換)のやむなきに至った。手塚は『ウルトラQ』第1話の放映を見たとき、息子である手塚眞の興奮ぶりが「すごいものであった」と記し、クライマックスが終わってから『W3』にチャンネルを変えたとき「ああ、これで負けた!」と感じたという。一方手塚眞は著書『天才の息子』(ソニーマガジンズ、2003年)の中で、以下のように記している。珍しく手塚が家族と夕食を共にした席で『W3』が放送される時間に、妹とそれぞれ別の番組(名前は明記されていない)が見たくてチャンネル争いをしていた。それを見かねた母親(手塚夫人)は「お父さんの番組を見なさい」と叱ったが、そのとき手塚が「子供の観たいものを観せなさい!」と怒鳴り、眞と妹はびっくりして声も出ず、母親は驚いて泣き、気まずいムードになったという。円谷特技プロダクション創設者である円谷英二の息子であり、当時フジテレビ映画部に所属して『W3』を担当していた円谷皐は、ウルトラQが始まり、W3の視聴率が一気に一桁台に急落して複雑な気持ちだったと述懐している。
出典:wikipedia
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