高級住宅街(こうきゅうじゅうたくがい)とは、その土地に歴史があり、区画が広い住宅が多くある、もしくは高級な雰囲気を持つ住宅街をいう。定義は多分に曖昧かつ主観的であり、下記の要件についても国や地域・時代によっても認識は多様となる。これらについては日本の場合、「敷地が広く」「建築の施工の質が高い建物」を「優良な住宅」とされ、「街区及び画地が整然とし、植生と眺望、景観等が優れ」「良好な近隣環境を形成する」等の要件を満たした地域を「居住環境の極めて良好な地域で従来から名声の高い住宅地域」とされている。それらの住宅地は一区画の面積が広いため税法上の優遇が受けられないケースが多く、そのため相対的に一区画あたりの地価は高いが、面積あたりの地価は低くなる傾向にある。地価の高い首都圏や近畿圏に多く、億を超える物件が多い低層住宅地を指す。東京都では23区の西部・北部・南部の山の手側に多く、高級住宅街が隣接しているエリアも存在する。東京都心以外では神奈川県では横浜市の一部、埼玉県ではさいたま市浦和区の一部、千葉県では市川市の一部というように、高級住宅地のエリアは多くはなく地価の上昇も抑えられている。明治時代以降、江戸市街のうち武家屋敷などが建ち並んでいた跡地に富裕層が居を構えるようになり、初期の高級住宅街が形成された。主に番町、麹町、紀尾井町、永田町、平河町、九段の皇居周辺、富士見、神田駿河台の内神田地域(以上千代田区)、赤坂、麻布、三田(以上港区)、本駒込、西片、本郷、目白台(以上文京区)、新宿区市ヶ谷、豊島区目白などの地域で、武蔵野台地の上(いわゆる山の手)に位置している。1923年(大正12年)に東京中心部の富裕層を襲ったのが関東大震災であり、この震災を契機に武家屋敷跡をルーツにしない高級住宅街が誕生する。元来農地が広がっていた山の手西側の松濤、城南五山、常盤台などに新興住宅地が形成され、比較的転居を自由にできる富裕層の集住により次第に高級住宅街化していった。また、東京都市圏が急速に拡張し、山の手の延長線にある後述の神奈川県山手や埼玉県浦和も同様に富裕層が集住していった。渋沢栄一などを中心として1918年に設立された田園都市株式会社(現在の東京急行電鉄株式会社の源流の一つ)によって、当時農村地帯で交通不便だったエリアに鉄道を敷設し、住宅地として開発を進めることになったことも注目すべき点である。1922年洗足地区(洗足田園都市)、翌年多摩川台地区(後の田園調布)が分譲され、東急によるブランド戦略を展開した結果、現在では高級住宅地として認知されている。同様に1927年成城学園前駅を誘致した小原國芳が学校建設の費用を賄う目的で整備した成城も現在では高級住宅地として知られている。幕末から明治初期にかけて外国人居留地が置かれていた横浜市山手町が該当する。ほか逗子市披露山庭園住宅は1965年~1975年代に開発された高級住宅地である。藤沢市鵠沼は、高級別荘地として開発されたが、高級住宅街へと変化している。さいたま市浦和区の浦和駅周辺(岸町、高砂、常盤)や南区の武蔵浦和駅周辺(別所)が該当する。県・市の行政の中枢であり、関東大震災後に多くの文化人が移住し「鎌倉文士に浦和画家」という言葉が生まれた。進学校が多く文教都市の代表格としても有名である。特に浦和区は全国の市区町村中、年間収入1000万円以上の世帯割合が第13位、25歳以上の大卒・院卒者割合は第15位と東京都心部が上位を占める中、高い水準を保持している。市川市の菅野、八幡地域が該当する。この地域は、江戸時代から豪商の別荘地として栄え、お屋敷街を形成する高級住宅街となっている。過去には永井荷風、幸田露伴(次女の幸田文、孫の青木玉も同居)、北原白秋、東山魁夷など数多くの文化人が好んで住み、作品を作りながら最期まで過ごした。市川に関する作品も多く、これら文化人の足跡が市民団体や市などの手で「市川文学の散歩道」として残されている。また、付近には公立学校以外にも私立の小学校、中学校、高校、大学も多く点在し、文教都市となっている。近畿の高級住宅街は、北摂山系とそれに連なる六甲山系の南斜面、一般に北摂・阪神と呼ばれる地区に多くみられる。その中でも神戸東部から芦屋・西宮にかけての山麓ラインに高級住宅街は集中しており、兵庫の高級住宅街の発祥とされる「日本一の長者村」と呼ばれた神戸市住吉村(現・神戸市東灘区)もその線上にある。これら邸宅街の多くは、阪急神戸線・宝塚線・甲陽線・今津線沿線に重なる。これは小林一三が主導した私鉄路線網の拡充と宅地開発が連動していることによる。近畿圏では、前述のように、阪急をはじめとする私鉄各社によって郊外に宅地開発がなされたこともあり、首都圏と比較すると、都心より電車で数十分の位置に高級住宅街が立地しているのが特徴である。大阪市内では住吉区帝塚山・阿倍野区北畠など、当時は郊外とされていた地域が古くからある高級住宅街である。大阪市以北(便宜上、中央大通を境界とする)の高級住宅地は北摂の丘陵地帯の南側に多く、箕面市の百楽荘・桜井・桜ケ丘・箕面、豊中市東豊中町・緑丘・待兼山・曽根、吹田市千里山、高槻市南平台などがある。大阪市以南では堺市西区の浜寺、東区の大美野・日置荘、藤井寺市の春日丘・恵美坂も高級住宅街であり、現在も多数の大きな邸宅が建っている。芦屋市では、六麓荘町のような昭和初期の高級住宅街をはじめ、芦屋川右岸(平田町、山芦屋町、三条町、川西町)、山手町、ほか岩園町、浜風町、浜芦屋町、松浜町、業平町、東芦屋町、東山町、加えて国立公園内の高級別荘地として造成された芦屋ハイランド地区(奥池南町)がある。西宮市では、夙川右岸(雲井町、殿山町)、七園の一部(甲陽園、苦楽園、香櫨園)がある。神戸市では、東灘区の山手には芦屋市より古くから邸宅街が形成された御影地区があり(御影・住吉は大正期には日本一の長者村と称され、現存する当時の邸宅も多く特別地方公共団体の一種である財産区も多い)、東灘区には岡本、そして灘区の山手の篠原地区、六甲台町がある。宝塚市では、川面・御殿山・月見山・仁川高台・仁川高丸・千種・中州・雲雀丘などの邸宅街がある。以上の地区は阪神間モダニズムの発祥の地となる。京都市内では京都盆地を取り囲む山々に高級住宅街が点在しており、中でも左京区に集中している。由緒ある高級住宅街としては左京区の下鴨が挙げられ、中でも葵小学校区に多数の豪邸が建っており、学区内の北泉通には豪邸が連なる。右京区の御室、嵯峨野、伏見区の桃山も由緒ある高級住宅街ではあるが、近年、豪邸の建つ地域は少なくなっており高級住宅街としての面影は消えつつある。御室、嵯峨野は観光地、桃山は豪邸の土地分割により単なる住宅街と化している。新興高級住宅街としては、左京区の松ヶ崎、岩倉(岩倉南小学校区内)、北白川、岡崎、北区の小山(北大路駅西側と賀茂川沿い)、上賀茂(北山駅周辺)などが挙げられる。奈良市の学園前駅周辺は開業以来、宅地開発が進められてきた地域である。登美ヶ丘一丁目、二丁目周辺は、かつて近畿日本鉄道の会長が自宅を構えた屋敷街となっており、区画が300坪以上ある大きな邸宅が立ち並ぶ高級住宅街である。一方、駅近くの百楽園周辺は、登美ヶ丘一丁目、二丁目に比べると区画は小さくなるものの、駅に近く便利であることや、西宮の高級住宅街である苦楽園に名前が似ていること、縁起の良い地名であることから、人気の高い高級住宅街となっている。首都圏や近畿圏以外にも政令指定都市には少なからず高級住宅街と呼べる地域が存在する。名古屋市の白壁、徳川町は名古屋城の東側に位置し、名古屋市屈指の高級住宅街である。江戸時代から続く武家屋敷の面影が残っており、名古屋市の定める白壁・主税・橦木町並み保存地区にも指定されている。ロンドン中心部のメイフェア地区(シティ・オブ・ウェストミンスター)、ベルグレイヴィア地区(シティ・オブ・ウェストミンスター及びケンジントン&チェルシー区)などが最高級住宅地とされているが、チェルシー地区(ケンジントン&チェルシー区)、リンカーンズ・イン・フィールズ周辺(カムデン区)なども知られている。なお、ロンドン市内の高級住宅街の殆どが高級アパートメントである。パリ中心部の最高級住宅地はサン=ルイ島(4区)とされているが、旧貴族や富豪らが暮らすパッシー地区(16区)、“貴族街”とも呼ばれるアンバリッド地区周辺やフォーブール・サンジェルマン地区(7区)が有名である。その他にシャンゼリゼ通り周辺(8区)等が知られている。フランスの場合、英米圏などと異なり、大都市の都心部やかつての城壁に囲まれた地域が一般的に高級住宅街とされているが、例外として挙げれば、パリ近郊だとヌイイ=シュル=セーヌが隣接する16区等と並ぶグレードの高さで知られている。デュッセルドルフ郊外のメアブッシュには裕福な住人が多く、1人当たりの納税額が例年ドイツで1位である。緑が多く落ち着いた街並みとなっている。Büderich地域には高級住宅街が2ヶ所あり、そこにはプールの付いた大きな庭のある豪邸が多く立ち並んでいる。デュッセルドルフから西に約10kmの位置にある。広大な国土を持つアメリカにおいては大半の場合、高級住宅街は都心部から十数キロメートル以上離れた郊外に存在する。コネチカット州やニューヨーク都市圏のウエストチェスター、ニュージャージー州のアルパインなどがある。西海岸をみると、サンフランシスコを中心とするサンフランシスコ・ベイエリア都市圏ではサンフランシスコ市の緑豊かなプレシディオ地区、スタイリッシュな店が軒を並べるパシフィックハイツ地区、ゴールデンゲートブリッジ対岸のサウサリート、またサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ対岸の大学都市であるバークレーの背後に広がる丘陵地帯バークレー・ヒルズ、その尾根づたいのケンジントン市やオークランドのクレアモント地区などがサンフランシスコ湾を見渡す好立地条件にあり一般的に高級住宅街として知られている。ロサンゼルス都市圏を見ると、ビバリーヒルズ、ベルエア、パサデナ、サンタモニカ等が知られている。カラバサスは"ハリウッドセレブ"の住む高級住宅街として映画にも登場する。その他、ハワイ州オアフ島のカハラなども中心部から離れた場所にある。ニューヨーク市の中心部であるマンハッタンには一戸建てがほとんど無く、数少ない例外であるがアッパー・イースト・サイドにはタウンハウスが存在し数十億円で取引されている。高級アパートメントが立ち並び治安や環境の良い地域はアッパー・イースト・サイドやグリニッジ・ヴィレッジが代表的である。同じ東海岸に位置するマサチューセッツ州ボストンのビーコンヒルも数少ない例外の1つであり、一戸建てが非常に少ない。概して経済力による住み分けの激しいアメリカは「豪邸が立ち並んでいるから高級住宅街」というわけではなく「どのような人(人種や職業など)が住んでいるか」が重要となる。事実、その国土の広さがもたらす地価の安さ及び人口密度の低さ故、立地次第では中流階級でも巨大な土地にプール付きの邸宅を構えることも可能である(日本の住宅と比べれば大半の一戸建てが「豪邸」と呼ぶに相応しいサイズである)。日本の都市はごく一部の地域を除いてオフィス街と住宅街(マンション等)が隣接していることも多いが、アメリカにおいてはその区別は非常に明確で、マンハッタンなどの一部の例外を除き、殆どの都市において一定以上の経済力を持つ富裕層で家族をもつ世帯は、概して郊外への移住を好む。主な理由として緑が多く閑静で好環境であること、貧困層が少ないため治安が良いこと、サイズの大きな家に住めること、などがある。デメリットとしては都心部への通勤時間が長くなることがあるが、アメリカの労働環境やアメリカ人富裕層の住宅事情を鑑みた場合、メリットがデメリットを遥かに凌いでいる。またこれらの郊外高級住宅街のいくつかは「ゲーテッド・コミュニティー」と呼ばれ、周辺を監視カメラなどを装備した塀で覆い、出入り口には警備員を常駐させたゲートを構えるなどして内部の治安を保つようにされている。このように、「レジデンシャル・セグレゲーション」と呼ばれるアメリカの経済格差による住み分けは激しく、ニューヨーク都市圏などの一部の例外(なおニューヨーク都市圏にも、上述の郊外のウエストチェスターにスカースデールやハーツデールなどの高級住宅街がある)を除けば「郊外=富裕層 都心=貧困層」と考えても概ね差し支えない。例えば郊外で生活する為には車の購入は必須であり、賃貸住宅も少ない(アパートメントはほぼ皆無)ため必然的にローンを組める信頼度が必要なことなど「郊外族」にはそれ相当の収入が必要となる一方、都心部の場合公共交通機関が安価で利用でき、尚且つ賃貸住宅(主にアパートメント)に入居するので審査が軽い。もちろん多くの大都市の都心部にも富裕層は在住しているが全体的な比率や人口動性を見た場合、郊外の住宅街へと移り住むことがはるかに多い。西部のブリティッシュコロンビア州、バンクーバー市を中心とするバンクーバー都市圏では、ダウンタウンの郊外北西に位置するウェストバンクーバー市南部が、大富豪の巨大邸宅が連なるエリアとして知られている。サンパウロにおける高級住宅街として、サンパウロ州知事公邸やサンパウロ競馬場、高級スポーツクラブが所有する有名サッカークラブ「サンパウロFC」の本拠地があるモルンビーがある。香港島では、南区、太平山山頂付近が映画スターや大富豪の豪邸が集まる高級住宅街であり、映画スターの家を見るためにタクシーなどで訪れる部外者も多い。香港島の比較的海抜が高い地域には、香港大学周辺の半山区(半山區)と呼ばれる地域など歴史ある住宅街が多い。これはイギリスの植民地時代に香港に居住するイギリス人が湾岸部の暑さを避けるために山の上に家を建て始めたのが始まりである。郊外の新界では、西貢区、沙田区の西側から九肚山にかけてのエリアが香港返還後の香港屈指の新興高級邸宅街として知られている。離島区では、外国人富裕層等らがゴルフやテニス等を愉しむスペースのとれる郊外の高級住宅に多く住んでいる場所として、大嶼山の愉景湾が有名である。九龍半島では、九龍駅、九龍塘も高級住宅街。古くから外国人が居住した台北市の士林区天母が高級な住宅街の雰囲気をかもし出しているとして有名。日本の旅行ガイドブックでも紹介されている。ソウル特別市の都心から少し離れた城北洞と平倉洞は伝統的な高級住宅街として知られている。
出典:wikipedia
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