安立(あんりゅう)は、大阪府大阪市住之江区の町名。現行行政地名は安立一丁目から四丁目。住居表示実施済み区域である。人口は約15550人(2005年調査)。郵便番号は559-0003。本項ではおおむね同じ地域にかつて所在した住吉郡(のち東成郡)安立町(あんりゅうちょう)についても述べる。住之江区南東部に位置する。現行の安立一丁目から四丁目は、中央を紀州街道が走り、紀州街道の両側に広がる南北約1.5km、東西約120-150mの町域を持つ。北端を細井川、東端を阪堺電気軌道阪堺線、西端を南海本線、南端を大和川に囲まれている。北で住吉区長峡町、東で住吉区墨江、南東で住吉区清水丘、南で大和川を跨いで堺市堺区七道東町・並松町・七道西町、西で住之江、北西で西住之江・浜口東と接する。大和川の南岸とは紀州街道の大和橋で対岸の堺市堺区並松町と繋がっている。三丁目の紀州街道筋がアーケードのある商店街となっている他は、ほぼ全域が住宅地となっている。もとは住吉大社の歴代宮司家の津守氏の領地の西方にあったため西町と呼ばれていた。近世には半井安立軒に因み安立町という名称に変わった。住吉郡住吉村のうちに数えられることもあり、住吉大社の氏子の町として発展した。一寸法師の話と関係があるか不明だが、かっては針の行商人が多く住んでいた。1879年になると安立町に住吉郡の郡役所が置かれたが、1881年に東成郡の郡役所に統合された。なお、現在の大阪市南部にあたる住吉郡で当時最大の町は、安立町から遠く東に位置する平野郷町だった。1896年には住吉郡は東成郡に編入された。1925年4月1日に安立町を含む東成郡全域が大阪市に編入され、旧住吉郡の区域で住吉区が誕生、旧安立町の地域は住吉区に属した。1974年7月22日に住吉区から住之江区が分区する時、安立地域は住之江区に所属することになった。徳川将軍家の御典医である半井氏(なからいし)一族の半井安立軒元成(なからい・あんりゅうけん・もとなり)という、名医として知られていた医師がこの地に住んでいたことに因む。
出典:wikipedia
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