早稲田中学校・高等学校(わせだちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都新宿区馬場下町に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校である。坪内逍遥・市島謙吉・金子筑水らが大隈重信の教育理念に基づき、東京専門学校(現・早稲田大学)関係者と大隈重信の尽力により1895年(明治28年)創立。〈人格の独立〉を謳い、リベラルで早稲田を象徴するバンカラさをも合わせ持つ創立120年を迎える伝統校である。校名に「早稲田」を冠したのは本校が先である。創立以来上級学校への進学を目的としており、明治の私立全盛期には、一高合格者数でベスト10に入っていたことがあった(合格率で1位になったこともある)。帝国大学をはじめ各上級学校で同窓組織である「早中会」が多数結成された事実からも、早稲田大学とは独自の志向をしていたことが分かる(もっとも、早稲田大学進学者の早中会も当然存在していた)。敗戦直後、早稲田大学の附属校とすべく生徒・保護者・若手の教職員らが運動を起こしたが、伝統と独立を重んじる理事会と教職員らによって鎮静化され、附属・系属校となる早稲田大学関係の学校(早稲田大学高等学院、早稲田実業学校)とは別の路線を歩むことになる。1979年4月、早稲田大学の系属校となり、教育のさらなる充実と発展を図る。1976年、事務所職員の会計担当が私的な株式運用のため3億円を持ち逃げし(後にこの事務所職員は逮捕された)、これにより、1982年以来卒業生の早稲田大学への推薦入学を開始することとなる。推薦枠は学部ごとに決まっており、その合計は約50名だった(当時の卒業生は約350名)。早稲田大学側の学部再編や定員枠の増幅により、幾度か制度要項が改訂され、現在の推薦入学定員は169名である(1学年は約300名)。以来、進学校、伝統校としての歴史を有しているが、最近は現代の若者の傾向を受けて、その闊達さが徐々に失われてきていると見る向きもある。学園紛争時には逮捕者を出したこともある。中学入試は2000年度まで2月1日の1回入試を実施してきたが、2001年度より2月3日に2回目の入試を行っている。早稲田大学の系属校(附属校を除く)の中では難易度は最も高い。高校入試は現在実施していない。古くから「東洋のイートン校」を標榜している。本校の中高一貫教育では、中1および中2の前期2年を「生活習慣と学習の基礎を固める時期」、中3および高1の中期2年を「実力養成時期」、高2および高3の後期2年を「応用力完成時期」と区分する「2-2-2制」を採用している。また、高2に進級時に文系コースと理系コースに分かれ、高2修了までに「高等学校で学習する基礎的教科・科目の学習が一通り修了」する加速式学習法(先取り学習)を導入している。1学年約300名中、早稲田大学への推薦入学の定員は169名であり、例年学年の約半分が早稲田大学へ推薦入学している。他の国公立大学や医歯薬系への志望者も多く、2015年度は26%強の生徒が東京大学をはじめとする国公立大学へ進学した。推薦入学者を含む大学進学率はほぼ100%であるが、現役合格率は推薦入学者を含めて85%程度である。
出典:wikipedia
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