ポール・ガードナー・アレン(Paul Gardner Allen, 1953年1月21日 - )は、アメリカ合衆国の実業家、マイクロソフト社共同創業者。1983年に退社し、1990年に復帰するが、2000年に再び退社、取締役も退任。現在は資産運用や投資を業務とするバルカン社を経営している。大資産家として知られており、6つの財団を傘下に率いるポール・G・アレン財団を運営している。また、アレン脳科学研究所や音楽史美術館 など様々な事業に出資や寄付をしている。SF ファンとしても知られ、私財を投じて SF博物館 を設立したほか、SETI協会にも多額の寄付を行っており、アレンの名を冠した電波望遠鏡アレン・テレスコープ・アレイの建造も進められている。アメリカのアメリカンフットボールプロリーグ(NFL)のシアトル・シーホークス、プロバスケットボールリーグ(NBA)のポートランド・トレイルブレイザーズ、プロサッカーリーグ(MLS)のシアトル・サウンダーズFCのオーナーとしても知られる。アメリカ合衆国・ワシントン州シアトル生まれ。父は司書。シアトルの名門私立学校、レイクサイド中学・高校でビル・ゲイツと知り合い、1968年に同校が導入した DEC 社の PDP-10 を使用してコンピュータの魅力に取り憑かれる。1970年にゲイツと共にレイクサイド・プログラマーズ・グループを結成、ISI 社から給与計算システムの開発を受注。高校生の時にゲイツと共にトラフォデータ社を設立、独自に開発した交通量分析システムを州政府に納入した。卒業後はワシントン州立大学に進学するが、2年後に中退しボストンのハネウェル社にプログラマーとして勤務する。1975年、ハーバード大学に在籍していたゲイツを説得し、ニューメキシコ州アルバカーキにてマイクロソフト社を設立。BASICインタプリタの販売を開始する。1980年に IBM 社から OS 開発の要請を受け、アレンはシアトル・コンピュータ・プロダクツ社から 86-DOS(QDOS)を50,000米ドルで買収する交渉の先頭に立った。彼らは 86-DOS を原型に PC-DOS(MS-DOS)を開発し IBM へ納入し、今日のマイクロソフト社の成長の基盤を築いていった。1983年に持病であるホジキン病を理由にマイクロソフト社を退社。数か月に渡る放射線治療と骨髄移植で克服し、1985年にはを設立し自ら社長に就任した。その後ホジキン病という診断がそもそも誤診であることが判明したため1990年にマイクロソフトに復帰するも、2000年11月には再びマイクロソフトを退社し取締役も退任。1998年には米国の大手CATV会社であるチャーター・コミュニケーションズの株式を買収して筆頭株主となり、自らも同社の会長に就任したが、同社はその後経営不振に陥っており、2009年2月現在連邦倒産法第11章の申請を準備中である。また2008年1月に行われた米国の700MHz帯の競売にも「バルカン・スペクトラム」として参加し、シアトルなど2か所の免許を得ている。ポール・アレンの妹でバルカン社CEOは2009年11月16日、ポールが非ホジキンリンパ腫と診断されたと発表した。マイクロソフト退社後は慈善事業に参入し、1986年に慈善団体のポール・G・アレン一族財団を創設した。以来毎年3,000万米ドルを太平洋岸北西地域の民間非営利組織に分配している。2003年9月には私財1億米ドルを投じてアレン脳科学研究所を設立し、マウス脳遺伝子発現マップ作成プロジェクト Allen Brain Atlas を開始した。2004年に Ansari X Prize を受賞した有人宇宙船 SpaceShipOne にも出資した。1980年代後半、ワシントン大学に1800万米ドルを寄付し、アレンの父の名を冠した図書館 Kenneth S. Allen Library が建設された。2002年にも1400万米ドルを寄付し、ポール・アレンの名を冠した Paul G. Allen Center for Computer Science & Engineering が新設された。2003年にも500万米ドルを寄付し、アレンの母の名を冠した Faye G. Allen Center for Visual Arts が設立された。ハナアブの一種であるポールアレンハナアブは、双翅目学に対する貢献から彼に献名されたものである。1988年にプロバスケットボールリーグ(NBA)のポートランド・トレイルブレイザーズを7000万米ドルで購入し、1993年に2億6200万米ドルの資金を投入して本拠地ローズ・ガーデン・アリーナを建設した。1997年にはアメリカンフットボールプロリーグ(NFL)のシアトル・シーホークスを購入し、本拠地クエスト・フィールドの建設に大きな役割を果たした。また、メジャーリーグサッカーのシアトル・サウンダーズFCのオーナーとしてクラブの運営に関わっている。アレンは第二次世界大戦時の兵器にも造詣が深く、中でも戦闘機を中心とする世界の軍用機を個人的に多数所有しており、その「私設航空機博物館」としてワシントン州スノホミッシュ郡ペインフィールド空港にてフライング・ヘリテッジ・コレクション(Flying Heritage Collection "fhc")を運営している。フライング・ヘリテッジ・コレクションの収蔵機は数多く、P-51 マスタングやBf 109などの米独英日ソの主要機を網羅し、かつレストアやリビルドを経て飛行可能状態ないしそれに準ずる状態にある高品質の機体で揃えている特徴があり、定期的に飛行パフォーマンスを同館で行っている。中でも、旧日本陸軍航空部隊の一式戦「隼」は世界で唯一機体・エンジンともにほぼオリジナルかつ飛行可能状態に相当する貴重なものである。なおフライング・ヘリテッジ・コレクションは戦前中の軍用機に限らず、MiG-29 ファルクラム・M4 シャーマン中戦車・8.8 cm FlaK 37、さらには有人小型宇宙船たるスペースシップワン・ホワイトナイトもコレクションしている。フィリピンレイテ島のシブヤン海で、太平洋戦争時に沈没した旧日本海軍の戦艦「武蔵」を発見したと、2015年3月3日、自身のTwitterアカウントで報告、翌4日には新たに自身のホームページに「旧日本海軍の『武蔵』」というタイトルの動画を公開した。父親が太平洋戦争に従軍していたことから同戦争において沈没した戦艦に興味を持っており、「武蔵」は8年前から捜索を続けていた。ポールは自身が所有するクルーザー「Octopus」号でシブヤン海探査を行い、海底約1000mに沈没した武蔵を発見した。アレンは1941年にデンマーク海峡海戦で沈没したイギリスの巡洋戦艦「フッド」にも関心を持ち、イギリス当局の許可を得て2012年に最初の海底調査を行う。その際、フッドの生存者が回収を望んでいたフッドの号鐘を回収しようとしたがこの時は気象条件などによりあと一歩で失敗した。2015年、アレンは再度調査を行い、8月7日についに号鐘の回収に成功した。号鐘は一年かけて修復される予定である。
出典:wikipedia
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