あつみ温泉(あつみおんせん)は、山形県鶴岡市湯温海にある温泉。旧来の温海温泉と書くこともある。温泉街を流れる温海川沿いを中心に大型旅館、保養所など宿泊施設が9軒存在する。県道沿いには木造3階建ての老舗旅館が並び、その歴史をうかがい知ることができる。現在は、温海川を中心に多数の休憩施設が設けられるなど整備が進められ、河畔の散策が新たな魅力のひとつになっている。共同浴場は温泉街に3箇所にあり、管理協力金200円で誰でも入浴することができる。温泉街の中心部にはそれぞれ趣が異なる足湯も3箇所整備されている。温海川沿いの市道は、国土交通省の「くらしのみちゾーン」の登録、「スーパーモデル地区」の指定を受け、温泉観光地にふさわしい歩行者優先の通りに整備されている。日帰り入浴は、公衆浴場及び温泉旅館で可能であるが、特に旅館は事前の確認が必要。温泉の新しい形として足湯が注目され始めると、あつみ温泉でも温泉情緒を演出し、観光客をもてなす手段のひとつとして足湯の設置が行われた。これらの名前は、それぞれ庄内弁で「案配(あんばい)」「面白い」「ありがとう」を意味する。開湯は約1300年前とされ、役小角が発見したと伝えられる。但し弘法大師による発見説や鶴が傷ついた脛を浸していたところを発見したなどの説もある。温海川の川底から湧出した温泉が、河口に流れ日本海を温かくしていたことが温泉名の由来となっている。鎌倉時代後期には既に湯治場が形成されており、江戸時代には庄内藩の湯役所が設けられ、浴客を収容する宿屋が並び温泉地の情景を見せるようになった。湯治客が食材を買うための朝市は約260年前から始まり、今日も続いている。古くから文人墨客が訪れた場所であり、与謝野晶子、横光利一、斎藤茂吉などが訪れた。第二次世界大戦中の1944年(昭和19年) - 1945年(昭和20年)、東京都江戸川区小岩地区の小岩・上小岩・下小岩・西小岩・南小岩・中小岩の6国民学校から、約1600名の疎開児童を受け入れた。あつみ温泉の21の旅館では一般客室として2〜3部屋を残しながら、全館を開放して提供している。1998年(平成10年)4月には、当時の疎開児童ら有志の募金により、熊野神社境内に学童疎開記念碑が建立されている。1951年(昭和26年)4月24日午後11時20分頃、温泉街の民家から出火し、折からの強風に煽られて温泉街を焼き尽くす大火となった。全戸数427戸のうち251戸(313世帯)が全焼し、被災者は1,700名を越えたが、奇跡的にも死者は出なかった。社寺、旅館19軒、郵便局、銀行など損害は15億円余と推定された。あつみ温泉ではその復興を祈念し、1951年(昭和26年)から3ヶ年に渡って温海川の河畔に桜を植樹した。現在は桜並木となり、名所となっている。なお、温泉名の表記であるが、古くは漢字で温海温泉とされることが多かった。しかし、温海が難読であることから、1977年(昭和52年)に当時の国鉄温海駅があつみ温泉駅に改称されると、これ以降は平仮名の表記が多くなった。2003年(平成15年)から始まった、国土交通省の「くらしのみちゾーン整備事業」では、温海川沿いの市道の歩道と車道の段差をなくすと共に、2車線だった道路を1車線の片側通行にして、更に無電柱化することで生まれた路側帯に、約20箇所の休憩施設を整備した。2009年(平成21年)8月、この川沿いの通りは、「かじか通り」と命名され、開通式が行われている。以後、この通りを活用したイベントが多数開催されるなど、あつみ温泉が目指す「ひと中心のみちづくり・まちづくり」による温泉街再生のシンボルゾーンとなった。2012年(平成24年))3月24日、日本海東北自動車道あつみ温泉インターチェンジが開通。これにより、鶴岡市役所からあつみ温泉まで国道7号経由との比較で、所要時間が約9分短縮される。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。