豆腐(とうふ)は、大豆の搾り汁(豆乳)を凝固剤(にがり、その他)によって固めた加工食品である。豆富や豆冨とも表記される。東アジアと東南アジアの広範な地域で古くから食され続けている大豆加工食品であり、とりわけ中国本土(奥地を含む)、日本、朝鮮半島、台湾、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、インドネシアなどでは日常的に食べられている。加工法や調理法は各国ごとに異なるが、このうち日本の豆腐は白く柔らかい食感を持つ「日本独特の食品」として発達した。豆腐という文字が最初に現れたのは、中国で965年の『清異録』陶穀であると、江戸時代の「豆腐百珍」の巻末にある。 豆腐が日本に伝わり、同じく豆腐(トウフ)と呼ばれ、現在も豆腐である。したがって、「豆腐」の文字の意味を考えるには、10世紀以前の中国語で考える必要がある。『腐』という漢字は本来「納屋(府の一義)の中で肉を熟成させる」という字義から転じて、柔らかく弾力性があるものを意味するものである。という説がある。一方、『腐』は中国、日本の辞書でも、くさる、ぼろぼろになる(組織が崩れる)、ただれる、変質する等の意味しかない。『腐』の意味は、古代から「流水不腐」「切歯腐心」「腐腸、爛胃」等のように、『腐』本来の意味にしか使われていない。中国でも『腐』を避け、菽乳、方壁、小宰羊(宰羊:羊の肉)等の異名があった。前述の「豆腐百珍」の巻末に書かれている現代では、中国も日本も「豆腐」と呼んでいる。 日本では一部「豆富」としている事業者がある。何故『腐』かには諸説あるが、中国10世紀以前のこととして考えると、中国の「本草綱目」穀部:大豆に「可為腐食とあるように、大豆は消化が悪く、石臼でぼろぼろにし、粥等に混ぜて食べていたことがうかがわれる豆腐の「腐」の意味は、ふやかした大豆を石臼でぼろぼろにし、加熱加工したもの、これは中国古代医学書「難経」にある腐熟の「腐」であるとする説がある、中国で腐熟とは胃での初期消化のことで、白くどろどろした状態ともある。正に豆腐のおからを除く前の状態である。 このことから、豆腐の『腐』は消化の悪い大豆を腐熟したものであるという説がある現代日本語では、わらを腐熟させる、堆肥を腐熟させる、腐熟剤がある。組織をぼろぼろに変質させる意味である。元禄時代に絹ごし豆腐を発明した豆富料理店「根岸し 笹乃雪」の9代目当主が、20世紀前半頃、食品に「腐る」という字を用いることを嫌って、豆富と記すようになって以降、「腐」という文字を使わない表記が日本中に広まったと言われる。また、豆腐を好んだ日本の作家・泉鏡花は、極端な潔癖症でもあったことから豆府と表記した。アメリカ合衆国やイギリスを始めとする英語圏のほか、ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏等々、世界の様々な言語圏で、"tofu " (ドイツ語では "Tofu ")が単語として定着している。なお、英語表記では"tofu"のほか"soybean curd"も用いられる。豆腐の起源については諸説ある。16世紀に編纂された『本草綱目』では、豆腐は紀元前2世紀前漢時代の淮南王で優れた学者でもあった劉安によって発明されたとしているが、真偽については明らかでない。豆腐の原料となる大豆は遅くとも紀元前2000年頃までには中国の広い範囲で栽培されていたと考えられており、大豆加工食品は前漢時代の馬王堆漢墓からも出土しているが、日本豆腐協会では劉安の時代の中国には豆腐の原料となる大豆が存在しなかったとしている。また一説には豆腐の起源は8世紀から9世紀にかけての唐代中期にあるともいわれている。実際、6世紀の農書『斉民要術』には諸味や醤油についての記述はあるものの豆腐の記述が見当たらず、文献上「豆腐」という語が現れるのは10世紀の『清異録』からである。唐代には北方遊牧民族との交流によって、乳酪(ヨーグルト)、酪(バター)、蘇(濃縮乳)、乳腐(チーズ)などの乳製品が知られていた。豆腐は、豆乳を用いた、乳製品(特にチーズ)の代用品(乳「腐」から豆「腐」へ)として、発明されたと考えられている(篠田統(しのだおさむ)説)。 一方、乳腐は北方遊牧民族の常食の乳餅のことであるという見方もある。『本草綱目』での乳腐には「釈名:乳餅」とあり、他でも乳餅としている書物が多い。 このことから、乳腐は漢人の一部が胡人の乳餅を乳腐(畜乳で作った豆腐に似たもの)とも言ったのではという説もある 。中国では伝統的には豆腐は生で食べるのではなく発酵豆腐などとして食べていたとされる。また、中国の伝統的豆腐は日本の豆腐よりも堅いとされるが、これは油による調理法が多かったため水分が少ないほうが都合がよかったためとされる。豆腐は南宋末期にかけて一般に普及し、明朝や清朝の時代になると豆腐の加工品も盛んに作られるようになった。今日、中国南部や香港・台湾では、滑らかな豆腐を冷やしてシロップを掛け、アズキやフルーツをトッピングして食べるデザートがあり、豆花()と呼ぶ。ミャンマーではシャン族がヒヨコマメから豆腐を作る。(を参照。)現在の日本の豆腐は柔らかくて淡白な食感を特徴とする独特の物で、これに対する中国や韓国の豆腐は炒めたり揚げたりして調理されることが多かったため、日本の豆腐に比べると水分が少なく堅いものとなっている。一般に豆腐は中国から日本へ伝えられたとされるが、空海によるという説、鎌倉時代の帰化僧によるとする説もあるなど様々な説がありはっきりとしていない。ゆばやこんにゃくなどとともに鎌倉時代に伝来したとみる説もある。ただ、1183年(寿永2年)の奈良・春日神社の供物帖の中に「唐府」という記述がある。鎌倉時代末期ごろには民間へ伝わり、室町時代には日本各地へ広がった。そして江戸時代には良く食べる通常の料理となったとされる。この江戸時代の豆腐は、今日でいう木綿豆腐のみであった。豆腐は庶民の生活に密着しており、江戸では物価統制の重要品目として奉行所から厳しく管理されていた。「豆腐値段引下令」に応じない豆腐屋は営業停止にされるため、豆腐屋は自由に売値を決めることは出来なかった。江戸において豆腐料理屋は評判であり、江戸で初めて絹ごし豆腐を売った「笹の雪」はいまだに続いている老舗店である。当時、豆腐の田楽は庶民に親しまれたものであり、豆腐を串に刺して焼き、赤みそを付けて食べる料理であった。天明2年(1782年)に刊行された『豆腐百珍』には、100種類の豆腐料理が記述されており、また様々な文学でも親しまれてきた。当時より、豆腐は行商販売もされており、前述の豆腐百珍は大きな人気を得て一般的な料理であった。行商の豆腐屋はラッパや鐘を鳴らしながら売り歩いていた。関東地方では、明治時代初期に乗合馬車や鉄道馬車の御者が危険防止のために鳴らしていたものを、ある豆腐屋が「音が“トーフ”と聞こえる」ことに気づき、ラッパを吹きながら売り歩くことを始めたものである。その由来のようにラッパは「豆腐」の高低アクセントに合わせて2つの音高で「トーフー」と聞こえるように吹くことが多いが、地域や販売店によっても異なり、「トー」と「フー」が同じ音高の場合もある。2つの音高を使うラッパの場合、1つのリードで2つの音高が出る仕組みになっており、呼気と吸気で音高が変わる。スーパーなどが増えて歩き売りをする豆腐屋が減ったものの近年では昭和の頃のように地域に密着した商売をする人も出て来ており豆腐屋のラッパが復刻されている。近畿地方では、豆腐屋はラッパではなく鐘(関東ではアイスクリーム屋が用いていた)を鳴らしていた。近代工業が発達するに連れて豆腐の製造作業の機械化も進み、わずかの大豆から効率よく豆腐が大量生産できるようになって、より安価で提供されるようになっていった。柔らかいタイプの豆腐は昭和時代以前には個人経営の豆腐屋で毎日作られ、動かすことで形が崩れることの無いよう、売る間際まで店頭の水槽の中に沈められているものであった。現代日本でも豆腐は非常に一般的な食品であり、そのまま調味料をかけて食べられるほか、様々な料理に用いられている。冷奴や湯豆腐、味噌田楽などのように主要食材になるほか、汁物や鍋料理の具材、料理のベースになる食材として使われるなど用途は多彩になっている。豆腐製法の特徴は次の通りである。まず、水につけて柔らかくした大豆を水と共に摩砕し煮出す。水とともに摩砕した大豆を呉(ご)という(加熱する前の呉を生呉、加熱した後の呉を煮呉という)。呉を搾って得られる液体が豆乳であるが、豆乳を作る際、あらかじめ加熱して煮呉を漉す製法を「煮搾り」、生呉のまま漉す製法を「生搾り」という(この場合には漉した後に煮詰めることになる)。搾った後の滓はおからと呼ばれる。この豆乳がまだ熱いうちに凝固剤を加えると蛋白分子が後述するように網目状に繋がり、豆乳はプリン状に固まる。これを切り分けて水にさらしたものを絹ごし豆腐という。また、固まった豆乳を崩しながら、内側に布を敷いた穴開きの型容器に容れ、水分を抜くと木綿豆腐となる。さらに、豆乳をいったん冷やし、凝固剤といっしょにプラスチック容器に流し込んでから加熱して固めると充填豆腐となる。水にさらさず直接容器にすくい上げたものは「寄せ豆腐」・「おぼろ豆腐」と言う。ほぼ同様の沖縄の伝統食品として「ゆし豆腐(ゆしどうふ)」がある。堅豆腐(固豆腐)・五箇山豆腐など、非常に硬い豆腐があり、これは濃度の高い豆乳を使用したり、多めに凝固剤を使用したり、重石で脱水する事による。17世紀に清で布教したスペインのドミニコ会宣教師ドミンゴ・フェルナンデス・ナバレテはその著書の中で「teu fu」を豆から作られる中国のチーズとして紹介した。18世紀にナバレテの書物の英訳を読んだベンジャミン・フランクリンは豆腐に強い興味を示し、イギリス東インド会社のジェームズ・フリントに「tau-fu」の製法を問い合わせた。フリントはフランクリンあての1770年1月3日づけの手紙で「towfu」の製法を説明した。これが英語ではじめて豆腐に言及した文献と考えられている。20世紀末期以降のアメリカを始めとする欧米諸国では、高カロリー・高脂質の動物性食品や嗜好食品を多く摂る不健康な食習慣への反省と健康的な食品への関心の高まりによる健康ブームに伴い、健康の視点から優れた食品と言える豆腐が注目を集め、食料品店で日常的に売られる食品となった。また、菜食主義者にとってはバーベキュー、ステーキ、ハンバーガー、ジャーキーなどの肉の代替品として豆腐が使われている。豆腐には、薄い豆乳を凝固させて圧搾・成形した種類のもの(例:木綿豆腐、ソフト豆腐)と、濃い豆乳全体を凝固させた種類のもの(例:絹ごし豆腐、充てん豆腐)とがある。今日、豆腐は木綿豆腐、ソフト豆腐、絹ごし豆腐、充填豆腐の4種に大別される。堅豆腐 / 固豆腐 (かたとうふ)は、現在の日本で一般的となっている製法と異なり、濃度の高い豆乳を使ったり、にがりの代わりに海水を使うなど、さまざまな方法を用いて保存できるようにした種類の豆腐のことで、なかには荒縄で縛って持ち運びできるほど堅いものもある。狭義では日本各地で昔ながらに作られ続けている堅豆腐のみを指すが、広義では、文字どおりに同種の堅い豆腐全般を指す総称となっている。狭義の堅豆腐、すなわち、日本の堅豆腐は、そもそも日本で作られ始めた当時のものに近いのであり、つまり、本来的には豆腐は堅豆腐、もしくは、それに似て非なる「堅い豆腐」であった。例えば江戸時代の浮世絵に描かれた豆腐もその多くは大きくしっかりとした長方体の堅豆腐である。現代では流通の不便な豪雪地帯や山岳地域あるいは離島などだけで変わらず作られ続ける伝統製法となっている。堅豆腐を作る地域としてしばしば例に挙げられる場所としては、加賀地方(石川県)の白山麓の一円の各所がその一つであり、なかでも旧・石川郡白峰村(現・白山市白峰)の石豆腐や、富山県五箇山の岩豆腐はよく知られている。これらの地では、肉類を食べるように堅豆腐が調理され、食べられている。大豆は唯一の原料とも言えるものである。まず第一に、タンパク質の含有分の高い事が求められ、香り、また遺伝子組み換えをしているか否かなどの安全面が考慮される事が多い。大豆油や飼料用を除く食品用大豆の国内自給率は2013年度は21%(全体では6%)、輸入大豆の8割は米国産で、アメリカ産大豆の作付け面積の9割は遺伝子組み換え大豆である。5%以上の国内産大豆の使用で「国内産大豆使用」、50%以上の国内産大豆の使用で「国内産大豆100%使用」の表示が可能、また、5%以下の遺伝子組み換え大豆混入は「遺伝子組み換え不使用」と表示される。化学的には豆腐の凝固は豆乳の蛋白質が凝固剤によりゲル化することで起こる。したがって、豆腐は架橋された蛋白質の網目構造に多数の水分子を取り込んだ構造である。大別するとマグネシウムイオンあるいはカルシウムイオンが蛋白側鎖のカルボキシル基を架橋してゲルを形成する場合(塩析)と、酸が蛋白質の高次構造を変える(変性)ことによりゲルを形成する場合(酸凝固)とがある。前者には凝固剤として硫酸カルシウム、塩化マグネシウム、塩化カルシウム、硫酸マグネシウム等が使用され、後者はグルコノデルタラクトンが使用される。グルコノデルタラクトンの徐々に酸(グルコン酸)へと変化する性質が利用されている。なお、グルコン酸はグルコースの有機酸なので安全性は高い。中国では伝統的に塩鹵(塩化マグネシウム)溶液、山礬(ハイノキ)や酸漿(ホオズキ)の葉のしぼり汁、石膏(硫酸カルシウム)などが使われたが、現在では石膏を粉末とし水に溶いたものを凝固剤とすることが多い。古来の日本の伝統的な製法では製塩の過程で生じるにがりが主に使われていた。日本でも硫酸カルシウムやグルコノデルタラクトンなどの凝固剤が多く使われていた時期があったが、近年は見かけなくなりつつある。また、中国や韓国でもこの製法を用いる工場がある。一般的ににがりと呼ばれているものは、塩化マグネシウムが主成分で、古くは、塩田で海水から塩を作るときに、いっしょに抽出される副産物であった。また、塩を運搬する途中でにがり成分が分かれて梱包した俵に染み出すこともあり、海から遠い街道沿いではよく利用されていた。現在では、工業化されて塩化マグネシウムの純度の高いものや、海外の岩塩採掘場で採取されたもの、あるいは国内外の工業的な製塩の過程で抽出されたものが多く、実際に塩田から取っているものは少ない。また一部豆腐製造業者の間では、凝固剤の総称として「にがり」の呼称を使っている場合もあり、注意が必要である。第二次世界大戦前までは、このにがりを凝固剤に使用するのが主流であったが(一部では硫酸カルシウム[すましこ]も使われていた)、やがて統制品に指定されたため入手が困難となった。そこで同じように凝固反応を起こし、入手の容易な硫酸カルシウム(すましこ)への転換が進んでいった。硫酸カルシウムはにがりの主成分である塩化マグネシウムと比べて適正な凝固反応が起こるいわゆる凝固のストライクゾーンが広いため、保水性が高く肌理の細かい高品質な豆腐が、比較的容易に作りやすかった。そのため、戦後も機械化が進むにつれ、凝固材として使いやすい硫酸カルシウムへの転換が進んでいった。1980年代後半になって、にがりで作られた豆腐の味が見直され始め、最近ではスーパーマーケットなどで容易に塩化マグネシウムやにがりを使った豆腐が入手できるようになった。おいしい豆腐の条件として水が挙げられる。豆腐の約80〜90%は水であり、また、豆腐の製造工程でのさらし水が良くなければ淡白な豆腐の味を損ねることになるためである。江戸時代の日本では、落語の題材になったり、『豆腐百珍』のような料理本まで出るほど、広く庶民の食べ物となっていた豆腐は、比較的加工の度合いも低く、経験さえ積めば誰にでも容易に製造できたため、大正時代から昭和時代の第二次世界大戦前にかけては、一つの町内に一軒ずつ製造業者が存在するほどであった。辺鄙な田舎であることを表すのに「酒屋へ三里 豆腐屋へ二里」という狂歌もある。また、味噌などと同様に、各集落で共同で作られることもしばしばあった。まず原料の大豆を、一夜(12時間ほど)真水に漬けておく。翌朝、十分に漬けあがった大豆を適度に水を加えながら石臼でクリーム状に磨り潰す、このクリーム状に磨り潰された大豆のことを「呉」と呼ぶ。次に呉をお釜に移し、適度に水を加えて濃度を調整し薪にて炊き上げる。この時、呉はサポニンの作用で激しく泡立つため、消泡剤として食用油に石灰を加えたものを適度に振りかける。十分に炊き上がった呉を、布で濾して豆乳を木桶に取る。この豆乳が冷えないうちに凝固剤としてにがりを適度に加え、櫂と呼ばれる木の板で撹拌する(にがりを打った以降の一連の作業を寄せと呼び、職人の技の見せ所である)。豆乳の濃度、温度、にがりの量、そして適度な「寄せ」がそろうと、豆乳は水と分離することなく固まり始め、やがておぼろ状、またはプリン状の豆腐となる。これを崩しながら内側に布を敷いた型の中に盛り込み、蓋をして重石を掛け、硬く水を切ると豆腐(木綿豆腐)となる。またこの方法で作られた豆腐は、最近まで山間部や離島などに残っていた。1980年(昭和55年)前後の岐阜県の徳山村や根尾村などで、この古典的な製法が確認されている。最近では、山間部で、逆に濃度の濃い豆乳を使って作った硬い豆腐を土産物的に売っているが、これは近代的に作られた似て非なるものである。現代の日本における豆腐製造業者には、工場で大量生産する大手企業もあるが、中小企業や個人商店も非常に多い。これは、豆腐製造が微妙な技術を要することや、長期保存ができないなど、豆腐の特性が関係していると思われる。また、中小企業側は中小企業事業分野調整法により、大企業が進出しようとする場合、都道府県知事を通じて経済産業大臣に調整(進出計画の撤退、縮小)の申し出をすることができる。そのため、当初大手メーカーは海外市場で販売を行っていた。しかし、包装技術の向上(真空充填、チルドなど)により長期保存、大量輸送が可能となり、また流通構造が大きく変化した現在では牛乳販売店などの宅配網や、インターネット等を中心に販売している。また、一部ではチルド製品を店頭販売している業者もある。日本最大の製造業者は相模屋食料。一方、中小企業を中心とする従来の店頭販売では、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの事業者の価格決定権が強く特売が当たり前になってしまい、特売が希望小売価格状態になってしまって経営を圧迫している。さらに、原料である大豆はそのほとんどをアメリカに依存しているが、原料である非遺伝子組み換え大豆生産量はアメリカにおける生産数の一割以下であり、遺伝子組み換え価格の約3倍の価格もする。また、アメリカのエネルギー安全保障政策でバイオ燃料作物への転作が進み急激な高騰や、包装等の資材の原油価格高騰による原材料費高騰も経営を圧迫している。前述の影響もあり、2003年度の全国の豆腐業者は約14000軒だったが、9年後の2012年度には約9000軒まで減少している。また、製造工程から出てくるおからは現在の法律上は産業廃棄物扱いであり、男前豆腐店の事件など不法投棄や処分費問題をかかえている。食品のなかには大豆とにがりを使用していなくても柔らかく豆腐状の物があり、「かわり豆腐」などと呼ばれる。フィリピンには「タホ (taho)」と呼ばれる菓子があり、水分の多い温かい豆腐(プリン状の豆乳)にタピオカと黒蜜をまぶして食べる。現地では朝食前にタホを食べる習慣があり、毎朝、天秤を担いだ「タホ売り」が家々を回る。この際、フィリピンのタホ売りは、かつての日本の豆腐の行商と同様にラッパを吹き鳴らして合図をする。また、チェコのプラハでは、牛乳の代わりに豆乳を使って作ったチーズを "tofu" として売っている。プレーンタイプのほか、燻製タイプなど数種が、スーパーマーケットのチーズ売場で見られる。冷奴など生で食されることも多いが、調理される料理も非常に多い。豆腐を具材の一つとする一般料理は多い。豆腐をメインの具材とした料理もある。日本で江戸時代に著された『豆腐百珍』には、その名のとおり100種類の豆腐料理が紹介されている。豆腐は、冷奴や湯豆腐などでは奴切り、味噌汁や吸い物などでは賽の目切りや色紙切りなどに調理される。豆腐を揚げたり、焼いたり、炒めたりする場合など豆腐料理の種類に応じて水切りが必要となる場合がある。植物性蛋白質が豊富。カロリーは比較的低いため、健康的な食品としてアメリカやヨーロッパなどでも食材として使われるようになっている。製法工程上、食物繊維の多くは製造過程で滓として分けられるおからのほうに含まれるため、豆腐は、大豆の加工品でありながら食物繊維の含有量は少ない。絹ごし豆腐100g中には、水分89.4g、蛋白質5.0g、脂質3.3g、糖質1.7gが含まれ、58kcalのカロリーがあると言われている。脂肪エネルギー比は51.7%であり、原料となる乾燥大豆の38.6%を上回る。とても柔らかいものの例として用いられている。日本には、豆腐あるいは豆腐売りをモチーフにした豆腐小僧という妖怪の伝説がある。日本において、庶民の日常食材として使われた豆腐は落語にも登場する。家畜の飼育者や動物園の一部は、餌として豆腐やおからを与えている。パソコンにおいて、フォントが対応していないために表示できない文字は、小さい四角(□)で置き換えられる事が多く、これをネットスラングで豆腐と呼ぶ。Googleは「Noto」というフォントを無償で提供しているが、これは「No Tofu」の略であり、つまりインターネットから表示できない文字を無くすという意味が込められている。
出典:wikipedia
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