『鉄人タイガーセブン』(てつじんタイガーセブン)は、1973年(昭和48年)10月6日から1974年(昭和49年)3月30日までフジテレビ系で毎週土曜日19:00 - 19:30に全26話が放送された、ピー・プロダクション製作の特撮テレビ番組。および作品内に登場するヒーローの名称。本作品は「怪獣の次は妖怪がブームになる」という企画意図が色濃く反映され、第1話から古代遺跡に巣食う脳だけのムー大帝、ツタンカーメンのようなマスクの下に醜悪な素顔を隠すギル太子、人間の心臓をえぐり取って殺害する砂原人、棺の中に人間を引きずり込むミイラ原人などが登場する、怪奇ムードの高い作品となった。設定の一部は本作以前に企画された超能力アクション作品『パーフェクターMM(ムー)』から引き継いでいる。また本作の特徴として、非常にリアルな雰囲気の作品に仕上がっている点があげられる。例えば、主人公・滝川剛と彼をサポートする高井戸博士率いる高井戸研究所のメンバーはムー一族の復活と脅威を訴えるが、その主張は社会に受け入れられることはない。そのため、事件が発生すると逆に主人公の側が警察や一般市民に疑われて窮地に陥ることがあったり、また主人公の正体を知らないメンバーが、戦いのときになると決まって姿を眩ます主人公に不信感を抱いたりといった、従来のヒーロードラマでは意識的に避けられていたタブーの部分を強調した物語が展開された。終盤の2話では、そうした否定的なドラマが主人公を一層追い詰めている。敵の原人と心を通わせた少女が敵の手によって刺殺されるという悲劇を目の当たりにした上に、主人公自身も自分の人工心臓が寿命を迎えて余命が数日となった事実を知って愕然となり、最終的には自ら戦いを放棄するまでになる。さらに、その代わりを果たそうとムー一族に単身立ち向かった高井戸博士までが惨殺される。このような子供向け番組として異例の展開は、後年本作について語られる際に話題になっている。その他、原人は生物系(犬原人、オオカミ原人など)と無機物系(コールタール原人など)に大別され、後者はギル太子らによって遠隔操作されるが、前者は(時にはギル太子の指令を無視して)独自の哲学によって行動するケースが目立つなど、ほかの特撮番組の怪人と一線を画した特徴も見られ、予算の関係上、ロケ地が近場に限られるなど苦戦した点も多かったが、それを補った工夫がなされている。しかし、これらの作風が児童層に受け入れられたとは言えず、視聴率は低迷。1年間の放送予定は半年間に短縮された。その反省も踏まえ、次作の『電人ザボーガー』では、空手アクションなどを盛り込んだ、明朗なヒーローアクション活劇に仕上げている。サハラ砂漠の考古学調査を行っていた滝川博士率いる調査隊を追って来た息子の剛は、砂原人スナウラミによって殺害されてしまう。博士は剛に生き返ってほしい一心で、ミイラ蘇生用の人工心臓SPを移植した。蘇生した剛は、父からお守りとして虎のデザインが施された古代のペンダントを託される。14,000年前に封印されたムー一族の封印を解いた博士以下探検隊は、復活したムー原人によって皆殺しにされ、後を追ってきた剛も命を狙われたが、ペンダントの力で辛くも切り抜けると同時に、鉄人タイガーセブンに変身する力を身につけた。鉄人タイガーセブンとなった剛は父の仇を討つべく、自分たちを封印した人類への復讐と地上制覇を狙うムー原人たちと戦うことを決意する。しかし、そんな彼を待ち受けていたのは、孤独な戦いと次々と押し寄せる過酷な現実であった。メインライターの上原正三は、フジテレビの別所孝治が担当していた東映の『ロボット刑事』からの流れで本作品へ参加した。助監督の村石宏實は、終盤で監督に昇格するという確約を得て参加していたが、内藤誠が参加したことによりローテーションへ入れず、監督への昇格は次作『電人ザボーガー』へと持ち越された。前作に引き続き篠原茂がプロデューサーを勤めていたが、病気療養のため第6話で降板。これまで監督だった石黒光一が後任にあたった。参照ほかピー・プロダクション社長のうしおそうじは、主演の南城竜也の起用理由について「暗いイメージがある」からとしている。当時の南城は健康的なイメージを売りにしていたのでオーディションや初期の演技では明るく振舞っていたが、番組が進むに連れてシリアスな演技になっていき、南城はうしおに見ぬかれていたと語っている。南城は、出番のないときは戦闘員の役で、ほかのアルバイトに混じってタイガーセブンとの立ち回りに参加していたそうで、南城は後先考えず無茶をやる性分であったといい、戦闘員を演じた際も怪我を恐れずに高所から飛び降りるなどしている。第1話のサハラ砂漠のシーンは、浜松の中田島砂丘でロケを行なっている。タイガーセブンのマスク造形は、高山良策の手による。見事な植毛で仕上げられたマスクだが、耐水的なことは考えていなかったため、第1話の川に飛び込むシーンの撮影で水浸しになり使えなくなってしまった。そこで急遽2つ目を用意したが、これも撮影で焼け焦げてしまったため、さらに3つ目のマスクを造らなければならなかったそうである。これらのマスクとは別に、口を大きく開き牙を剝くギミックを仕込んだアップ用のダミーヘッドが追加制作され、第13話以降使用されている。敵役ギル太子のツタンカーメン風のマスクは、高山良策、ゼン工芸、異人館工房の3者に造形を依頼し、オーディション形式で選ぶという異例の手法が採られ、別所プロデューサー、スタッフ、監督、うしおの面々が選考に当たった。最終的には、異人館工房の制作したマスクが採用された。ピー・プロの付属劇団「河童」は、アトラクション制作スタッフの成田五十八の働きかけで1973年に結成された。番組終了後には、招かれてハワイでショーを開催し、盛況だったそうである。なお、『ザ・スーツアクター』(ソニー・マガジンズ)80頁によれば、「河童」の責任者には薩摩剣八郎(当時・中山剣吾)が当たっていたが、しだいに劇団員が集まらなくなり消滅したという。主役オーディションには後に『仮面ライダーX』の主役となる速水亮が最終選考まで残っていた。当時のメイン掲載誌だった『冒険王』(秋田書店)にて小畑しゅんじによる漫画連載がなされていた。『スペクトルマン』、『快傑ライオン丸』、『風雲ライオン丸』、『電人ザボーガー』は一峰大二が『冒険王』で連載漫画を執筆しており、一峰は本作のみ『別冊冒険王 映画テレビマガジン』で執筆していた。一峰によるほとんどのピー・プロ作品は、角川書店から復刻単行本が発売されたが、本作の連載漫画は諸事情により単行本化されなかった。このほか、『テレビマガジン』(講談社)でも、成井紀郎による漫画が連載されていたが、こちらも単行本化されていない。また、サンケイ新聞での連載漫画(作画・山根一二三)も存在したが、途中で打ち切られている。
出典:wikipedia
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