生野町(いくのちょう)は、かつて兵庫県中部に存在した朝来郡の町。兵庫県但馬県民局管轄。2005年4月1日に同郡山東町、朝来町、和田山町と合併して朝来市(あさごし)となったため消滅した。兵庫県のほぼ中央に位置し、周囲を山々に囲まれた海抜約300mの盆地状の町である。日本海と瀬戸内海の分水嶺(れい)に位置する。但馬地方の南の玄関口に当たり、東は丹波、南は播磨地方と隣り合う。歴史的には但馬の中心都市豊岡市より、姫路市との結びつきが強い。町の発展を支えてきた生野銀山の開坑は、807年(大同2年)とも伝えられ、江戸幕府はこの地に代官を置いた。1863年(文久3年)、大和の天誅組に呼応して尊皇攘夷派の平野国臣らがここに兵をあげたが、失敗に終わった(生野の変)。1889年(明治22年)に皇室財産となった後、1896年(明治29年)に三菱が払い下げを受けた。昭和48年(1973年)に資源の枯渇等により閉山したが、全国各地の文化の流入を受け、生野銀山独特の町並みを形成した。現在でも昔懐かしい風景が数多く残っている。古くからの鉱山であることや、周辺に重金属を含む岩石が多く存在することから、かつてはカドミウムによる土壌汚染が発生した。農用地の土壌の汚染防止等に関する法律により土壌汚染除去事業が施され、汚染地域指定は2001年に解除されている。農家数と林家数が総世帯数のそれぞれ1割前後をしめる。"このページはのテンプレートを使用しています。" "146620
出典:wikipedia
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