高橋 洋一(たかはし よういち、1955年(昭和30年)9月12日 ‐ )は、日本の元大蔵・財務官僚、経済学者。嘉悦大学教授、株式会社政策工房代表取締役会長、NPO法人万年野党アドバイザリーボード。研究分野はマクロ経済、財政・金融論、数理統計、金融工学、会計・行政法。経済学者としての専門分野は財政学であり、財政、マクロ経済、年金数理、金融工学などを研究テーマとする。金融政策にも詳しく、第1次安倍内閣では経済政策のブレーンを務めた。自由民主党衆議院議員・中川秀直やみんなの党のブレーンであったともされる。大蔵省にあって数学科出身という異色の経歴を持つが、高橋の談話によれば「大蔵省は話題作りのために、変わった人間を年に一人くらいは採っているらしく、さらに学生結婚までしていたため、余計に珍しがられた」ことによる入省であったという。愛称は「暗黒卿」。Twitter上では財務省を『Z』と呼び、「糞ゲー」といった言葉を多用するなど、独特な日本語の使い方をする。1955年(昭和30年)、東京都巣鴨の生まれ。東京都立小石川高等学校を経て、東京大学理学部数学科、東京大学経済学部経済学科を卒業。千葉商科大学大学院修了(博士、政策研究)。東京大学理学部数学科での卒業論文では、フェルマーの最終定理を扱った。幼少期から数学者となることを志しており、東大数学科を卒業後、経済学科に籍を置きつつ統計数理研究所に非常勤研究員として勤めるが、諸事情により退職。東京大学経済学部を卒業後、大蔵省(当時)に入省。同期入省は岸本周平(元内閣府大臣政務官)、後藤茂之(元法務副大臣)、寺田稔(元内閣府副大臣)、枝廣直幹(福山市長)、稲垣光隆(元国税庁長官)、佐藤慎一(財務事務次官)、林信光(元国税庁長官)、池田篤彦(元東京国税局長)、豊岡俊彦(元信州大学経済学部教授)、足立伸(元函館税関長)、八田斎(元横浜税関長)、渡辺智之(一橋大学公共政策大学院長・教授)、廣川孝司(元東北大学大学院経済学研究科教授)、木原隆司(元九州大学大学院経済学研究科教授)、山崎達雄(元財務官)、森信親(金融庁長官)ら23人。入省後は大蔵官僚として同省の理財局資金企画室長、プリンストン大学客員研究員、国土交通省国土計画局特別調整課長などを歴任した。2001年(平成13年)に発足した小泉内閣では、経済財政政策担当大臣・竹中平蔵の補佐官となった。続いて2006年に発足した安倍内閣での内閣参事官を経て、2008年(平成20年)3月を以って退官した。退官後の2008年(平成20年)4月に東洋大学経済学部総合政策学科教授に就任し、同年6月19日には『官僚国家日本を変える元官僚の会』 を発起人の1人として設立。同年、著書 『さらば財務省!』で、第17回 『山本七平賞』を受賞した。2009年3月24日、“豊島園 庭の湯”(練馬区)で脱衣所のロッカーから現金や腕時計など約30万円を盗み、同年3月30日に警視庁練馬警察署に窃盗容疑で書類送検された(高橋が事実を認めた上で反省し、被害品も戻されているため書類送検となった)。個人講演会やロフトプラスワンなど、公衆の面前で、「あの万引事件は財務省に仕組まれた」と話すなど、反省している様子は無い。学校法人東洋大学は同年4月20日付けで高橋を懲戒解雇処分とし解雇した。東京地方検察庁は、同月24日付けで高橋を起訴猶予処分とした。2010年(平成22年)4月、嘉悦大学ビジネス創造学部教授に就任。2012年(平成24年)4月5日、大阪市特別顧問に就任。2012年(平成24年)10月1日、 インターネット上の私塾「高橋政治経済科学塾」を開講。自身の政治経済の分析や政策論を教授している。増税する前にまず政府の無駄な出費を減らすことを主張する上げ潮派の論客でもあり、いわゆるリフレ派であると目される。2008年(平成20年)にはいわゆる「霞が関埋蔵金」が存在すると主張し、翌年に発生した世界金融危機に際しては、政府紙幣の大量発行によって景気回復を試みるよう提言した。財務省時代に日本国政府の貸借対照表を作成(2012年現在は「財務書類」という名称で公表)した。日本の財政再建のためには、大胆な金融緩和によるリフレーション政策で経済を成長させ、税収の自然増を図るべきであると主張している。また2013年の時点で「日本は世界1位の政府資産大国」であり、国民1人あたり500万円の政府資産があり、売却すれば金融資産だけで300兆円になると主張している。大蔵省在籍中から、日本銀行による金融政策への批判を繰り返してきた。構造改革論が盛んに論じられた2002年には、構造改革の模範と目されたニュージーランドがかつて、金融政策によってデフレーションに陥る危機を脱したことを指摘、インフレーション目標を採用しない日本銀行を批判した。日本銀行はハイパーインフレーションを恐れ、紙幣の大量発行を拒否しているが、40兆円の需給ギャップがあるのでそうはならないとも主張している。その後、銀行の持つ国債を日銀がデフレ(需給、GDP)ギャップ分の30兆(2012年4月-6月は10兆(朝日新聞))円分引き取り、紙幣を供給する政策も主張している。2012年現在の金融政策について、「日銀が100兆円ほどの量的緩和をすれば株価も5000円程上昇、そうしないと日本の景気回復(デフレ脱却)とはならない。今の日銀の5兆-10兆円での量的緩和では、海外からは見劣りし周回遅れである」と批判している。アベノミクスの三本の矢で最も重要なのは『金融緩和である』としている。マネーストックは2年後のインフレーション率に影響があり、1969年度から2011年度を見ると、相関係数0.89となり、両者の相関関係は高いとしている。両者の関係式を書けば、インフレ率 = -2.1 + 0.62 × 2年前のマネーストック増加率になるという。原発について「政府が出している資料には、再処理・廃棄・保険・技術開発コストが盛り込まれておらず、原発は太陽光や石油火力を除くと、もっともコストが高いエネルギー源になる。このことは、市場原理(発送電分離)を使えば原子力は自ずと価格競争力がなくなり、次第に衰退していくという意味になる」「他の発電方式の利用が可能であれば、原発を再稼働するより他の方法にするほうが合理的である。脱原発は低コストのエネルギーを使うわけで、成長促進効果がある」「脱原発の方向に進むと、エネルギー輸入で経常収支が赤字になって大変になるという情報があるが、経常収支赤字で金利が上がるわけでもなく、経済成長が阻害されるわけでもない。オーストラリア、カナダ、デンマークなどは長い間経常収支赤字であったが、経済成長できなかったわけでない」と述べている。また「国ではなく地元が中心となって考え、判断を下せばよい。現地に住んでいない人間が何を言っても説得力がない」と述べている。高橋がアベノミクスに関する論考を寄稿したところ朝日新聞社側から池上彰の騒動と同様に掲載拒否を通告されたという事実を2014年9月8日に公表した。この種の問題は玉木正之や山形浩生に対しても起きているようだとした。経済学者の加藤寛との出会いは1990年代初頭、当時大蔵省理財局資金運用部で財投郵貯を担当していた課長補佐時代に遡る。郵政民営化の目処が立ったころ、高橋は財務省を辞める決意を固め、加藤に今後について相談したところ、博士号の取得を勧められた。加藤自身が学長をしていた千葉商科大学大学院で「政策研究という新しい分野の博士号を創るから、私のところで取りなさい」と言われたという。高橋は「政策研究は経済学や会計学、行政学といった各分野の知識を統合して政策立案・研究に役立てる学問で、幅広い知識が必要とされる。自分に向いている学問だと思いました」と述べている。2007年に博士論文は『財投改革の経済学』として出版され、博士号を取得した翌年3月に高橋は財務省を退職した。後の小泉内閣において経済政策を担当することになる経済学者の竹中平蔵の出会いは、1980年代前半に遡る。1982年(昭和57年)、日本開発銀行(現在の日本政策投資銀行)から大蔵省・財政金融研究室(現在の財政金融研究所)に出向となった竹中は、当時同研究室に勤めていた高橋の上司となった。その後、高橋がプリンストン大学留学中の2001年(平成13年)2月にニューヨークで再会、直後に民間閣僚として第1次小泉内閣の経済財政政策担当大臣に就任した竹中を同7月に訪ねたことをきっかけに、高橋は竹中のブレーンとなった。高橋は小泉政権下で試みられた一連の構造改革、すなわち、日本道路公団の民営化、政策金融機関の改革、郵政民営化などに携わり、特に郵政民営化における4分社化や日本郵政公社の廃止後、直ちに商法会社(ゆうちょ銀行・かんぽ生命保険)へ移行させる措置などは高橋のアイディアである。2009年(平成21年)3月24日、高橋は東京・練馬区の温泉施設 『豊島園 庭の湯』の更衣室ロッカーから高級腕時計「ブルガリ」や財布など約30万円相当を盗んだ現行犯で事情聴取された。所轄の警視庁・練馬警察署による逮捕はなく、3月30日、窃盗の容疑で書類送検された。この事実を受けて、当時高橋が教授職を務めていた東洋大学は「(大学の)品位を傷つけた」として、2009年4月20日付で高橋を懲戒解雇とした。東京地方検察庁は同年4月24日、有罪を認めた上で反省しており、かつ「被害品はすぐに戻され、既に社会的制裁も受けている」として、高橋の起訴猶予を決定した。その後は公の場から遠ざかっていたが、事件から半年後の2009年11月、テレビの討論番組 『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)に出演、マスメディアでの活動を再開した。事件について高橋は、2009年9月30日に出版された著書『恐慌は日本の大チャンス 官僚が隠す75兆円を国民の手に』で触れており、「事件は私のミスから始まった」と述べ、多くの人に迷惑をかけたと反省し詫びている。
出典:wikipedia
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