フィンランド共和国(フィンランドきょうわこく、、)、通称フィンランドは、北ヨーロッパに位置する共和制国家。北欧諸国のひとつであり、西はスウェーデン、北はノルウェー、東はロシアと隣接し、南はフィンランド湾を挟んでエストニアが位置する。首都はヘルシンキ。典型的な加工貿易国だが船は使いにくい。中立的外交の裏ではエネルギー政策をめぐり東西の綱引きが行われている。オンカロ処分場は2020年に開設されれば世界初の核燃料最終処分場となる。情報産業も政治と関係しており、エスコ・アホという首相経験者がノキア取締役を務めている。フィンランドは「フィン人の国」という意味で、スオミはフィン人の自称である。「スオミ」の語源については多くの説が提唱されており定説はないが、同じウラル系の「サーミ」や「サーミッド」(サモエード)と同源とする見方がある。「フィン」についてはタキトゥスが残した「北方に住む貧しいフェンニ人」の記述が最古のものである。「スオミ」については古くはフィンランド南西端、バルト海沿岸にある都市トゥルクを中心とする限られた地域を指す単語であったのが、後に国土全体を指す単語に変容し、そこに住んでいたスオミ族の名が後にフィンランド語の名称になった。トゥルク周辺は現在では「本来のスオミ()」と呼ばれている。フィンランドはOECDによるレビューにおいて、「世界で最も競争的であり、かつ市民は人生に満足している国の一つである」と2014年には報告された。フィンランドはOECD BetteLife Indexの多軸評価において、すべての点でOECD平均を上回っている。正式名称は、フィンランド語では '(スオメン・タサヴァルタ)、通称 '(スオミ)。形容詞はsuomalainen(スオマライネン)。スウェーデン語では '(レプブリケン・フィンランド)、通称 '(フィンランド)。形容詞はfinsk(フィンスク)。公用語はフィンランド語とスウェーデン語。日本語の表記は フィンランド共和国、通称 フィンランド。漢字による当て字では芬蘭(古くは芬蘭土とも)と表記し、芬と略す。通常は先史時代(〜1155年)、スウェーデン時代(1155年〜1809年)、ロシアによる大公国(フィンランド大公国)時代(1809年〜1917年)、独立後の現代(フィンランド王国時代を含む、1917年〜)の四つの区分に分かれる。現在のフィンランドの土地には、旧石器時代から人が居住した。南には農業や航海を生業とするフィン人が居住し、後にトナカイの放牧狩猟をするサーミ人が、北方に生活を営むようになった。400年代にノルマン人のスヴェーア人がフィンランド沿岸に移住を開始、居住域を拡大していった。1155年にはスウェーデン王エーリク9世は北方十字軍の名のもと、フィンランドを征服し、同時にキリスト教(カトリック)を広めた。1323年までにはスウェーデンによる支配が完了し、正教会のノブゴロド公国との間で国境線が画定したことで、名実ともにスウェーデン領になった。16世紀の宗教改革でスウェーデンのグスタフ1世がルター派を受け入れたため、フィンランドもルター派が広まることになった。カトリックの承認を得ずに司教となったアグリコラが聖書翻訳を進めたことでフィンランドは新教国としての性格を決定的にした。1581年にはフィンランドの独立が模索された結果、ヨハン3世が「フィンランドおよびカレリア大公」(後にとなった)"となり、スウェーデン王国が宗主国となる形でフィンランド公国建国が宣言された。しかしこれは、フィンランドに植民したスウェーデン人が中心で長くは続かなかった。この時代のフィンランドはスウェーデン=フィンランドと呼称されており、スウェーデンによる大国時代を形成していた。1700年から始まった大北方戦争の結果の1721年のニスタット条約で、フィンランドの一部(カレリア)がロシア帝国に割譲された。ナポレオン戦争の最中にスウェーデンが敗北すると、1809年にアレクサンドル1世はフィンランド大公国を建国し、フィンランド大公を兼任することになった。その後スウェーデンは戦勝国となったが、フィンランドはスウェーデンに戻らず、ロシアに留め置かれた。19世紀のナショナリズムの高まりはフィンランドにも波及し、『カレワラ』の編纂など独自の歴史研究がなされた。その一方でロシア帝国によるロシア語の強制などでフィンランド人の不満は高まった。1899年には、ニコライ2世が署名した二月詔書には、高揚するロシア・ナショナリズムに配慮して、が含まれていることがフィンランド人に発覚したためフィンランドで暴動が発生。1904年6月17日にはフィンランド民族主義者によるロシア総督ニコライ・ボブリコフ暗殺の惨事にいたり、ついに1905年には「自治権廃止」は撤回された。1917年にはロシア革命の混乱に乗じてフィンランド領邦議会は独立を宣言した。1918年に共産化し、オットー・クーシネンらを首班としたフィンランド社会主義労働者共和国が成立した。その後ドイツ軍など外国の介入もあり、フィンランド南部で優勢だった赤軍は白軍のマンネルヘイムにより鎮圧され、1919年にはフィンランド共和国憲法が制定された(フィンランド内戦)。しかし、独立後の政情は不安定で1921年にスウェーデンと領土問題で争ったが、国際連盟の事務次官であった新渡戸稲造による「新渡戸裁定」で解決をみた(オーランド諸島問題)、さらに1939年から1940年のソ連との冬戦争では国土382,801km²の10分の1を失った。喪失した地域は主に人口と産業密度の高い南東部であった。ヴィープリ州には最も要となる港湾があった。ペツァモ州にはニッケル鉱床と国内唯一の不凍港があった。これらが失われた上、サイマー運河も両断された。第二次世界大戦(継続戦争)ではソ連と対抗するために枢軸国側に付いて戦い、一時は冬戦争前の領土を回復したが、ソ連軍の反攻によって押し戻され、良く持ちこたえたものの、1944年にソ連と休戦。休戦の条件として国内駐留ドイツ軍を駆逐するために戦ったにも関わらず(ラップランド戦争)、敗戦国として終戦を迎えた。戦後はソ連の勢力下に置かれ、ソ連の意向によりマーシャル・プランを受けられず、北大西洋条約機構にもECにも加盟しなかった。自由民主政体を維持し資本主義経済圏に属するかたわら、外交・国防の面では共産圏に近かったが、ワルシャワ条約機構には加盟しなかった(ノルディックバランス)。この微妙な舵取りのもと、現在に至るまで独立と平和を維持した。ソ連崩壊後には西側陣営に接近し、1994年にはEU加盟に合意。2000年にはユーロを導入した。国家元首である大統領の任期は6年で、国民の直接選挙によって選ばれる。2015年5月29日、議会は、第1党・中央党の党首ユハ・シピラを首相に選出した。サウリ・ニーニスト大統領は、同日、同首相就任を承認した。同首相は、中央党を中心とする新連立内閣を発足させた。議会制民主主義国家であり、議会が国権の最高機関である。政治形態は独立以降、半大統領制の様な状態で大統領には現在より大きな権力があったが、1990年以降になって議院内閣制への移行を目的とした憲法改正が数度行われ、行政権の比重は大統領から首相(内閣)に大きく傾いた。議会は一院制でエドゥスクンタ(Eduskunta)と呼ばれる。200議席を15の選挙区に分け、比例代表制選挙で選出され、政党助成金制度が存在する。任期は4年だが、途中で解散される場合もある。前回の投票は、2015年4月19日に行われた。政党別の獲得議席数は、次の通り。行政府の長である首相は、副首相や閣僚と共に内閣を構成する。各閣僚は議会に対して責任を負う。首相は、総選挙後に各党代表の交渉結果に従って大統領が首相候補者を指名し、議会で過半数の賛成を得た後、大統領による任命を経て就任する。他の閣僚は、首相の選任に基づき大統領が任命する。内政面においては先進的な北欧型の福祉国家という印象が強いが、戦後は賠償金などの支払いもあり労働者の権利拡充は後回しされ、労働無きコーポラティズムとして日本に近い社会であった。その後は急速に福祉国家建設へと邁進し北欧型の社会に近づく。また、世界で最も政治家による汚職の少ない国のひとつとも評価されている。2008年の民間活動団体「トランスペアレンシー・インターナショナル」による政治の腐敗認識指数調査では、2004年まで1位(世界で最も汚職が少ない)だったが、2009年時点では6位に転落している。三軍の他に国境警備隊(3,000人)があり、内務省の指揮下にあるが、有事の際には軍隊に統合される。6〜12ヶ月の徴兵制を実施している(対象は18歳以上の男子。女子は志願制、エホバの証人(宗教法人)は免除されている)。100人あたりの小型武器の所有率は、2007年においてアメリカ合衆国、イエメンに次いで世界第3位である。冷戦時代には、ソ連製のMiG-21戦闘機やAKライフル、T-54/55およびT-72戦車と中立国のスウェーデン製サーブ 35 ドラケン戦闘機などを有していた。冷戦終結後は西側からの調達が主となり、アメリカ製F-18戦闘機、ドイツ製レオパルト2戦車を装備している。冷戦期に日本の中曽根首相(当時)が「国防努力を怠ればフィンランドのようになる」とフィンランド化について言及した発言を国会で行い、当時の駐日フィンランド大使が遺憾の意を表明する事件があった。第二次世界大戦後、軍事勢力バランスの上でソビエト連邦の勢力圏に入りながら資本主義体制を維持するというジレンマ(ユーゴスラビアなどの逆パターンとも言える)に置かれたため、外交のみならず国内的にもソビエト批判をタブーとする空気に支配されるという"フィンランド化"状況が続いた。フィンランドの外交を「フィンランド外交とは西側にあまり尻を出しすぎぬほどにロシアに頭を下げることである」との風刺が存在するほどであった。日本では、中曽根康弘首相が、「ソ連は、日本をフィンランド化しようとしている」と演説で述べ、ソ連が、日本をフィンランドの様なソ連に逆らわない隣国にしようとしている、と言う懸念を述べた事があったが、この演説は、フィンランドの抗議を受けている。しかしながらその立場を逆用し、東西貿易の窓口として栄え、国民の生活水準は世界一にもなった。現在ではNATOには参加することなく北欧理事会を中心とする北欧主義(Nordicism)、EUを中心とする欧州への参加、国連を中心とする世界秩序の構築が国是となっている。フィンランドは、19の県 (、マークンタ) に分かれる。2009年までは県の上位行政区画として州が存在し、6つの州 (、レーニ) に区分されていたが、2010年1月1日に廃止された。また、2010年までは、東ウーシマー県が存在し、県の数は20であったが、2011年1月1日に東ウーシマー県とウーシマー県とが合併し、新たなウーシマー県が発足したため、東ウーシマー県は消滅し、県の数は19となった。OECDは、フィンランドは世界で最も地方分権が進んでいる国の一つだと評している。ヨーロッパ北東部に位置し、北欧ないし北東欧と呼ばれる。北側はノルウェー、西側はスウェーデンと国境を接する。西はボスニア湾、南西はバルト海、南はフィンランド湾に面する。ボスニア湾の対岸はスウェーデン、フィンランド湾の対岸はエストニアである。東から南東にかけてはロシアと陸上で国境を接する。なお、スカンジナビア半島には含まれない。国土の大半は平坦な地形で、氷河に削られて形成された湖が無数に点在する。植生はタイガと地衣類が多い。また森林には粘菌が多様に生息する。首都のヘルシンキは国の最南部に位置し、フィンランド湾に面する。国土の大半が寒冷な気候であることから、ヘルシンキを始めとする規模の大きな都市はその多くが国の南部に偏在している。フィンランドにある大きめの湖は以下の通り。人口とGDPの規模が日本の北海道とほぼ同じフィンランドは、1980年代以降、農業と林業中心の経済体制から、携帯電話の生産量が世界1位になるなどのハイテク産業を基幹とする工業先進国へと著しい変化を遂げることに成功した。特に、150年前からある老舗企業のノキア(NOKIA)やLinuxが有名である。高い教育水準なども影響した結果、ヨーロッパ内でも有数の経済大国となった。世界経済フォーラム(WEF)が毎年発表する国際経済競争力の順位では、2001年から2004年までと4年連続首位となった(2002年は一旦、2位と発表されたがその後の再評価で1位に修正された)。現在では付加価値ベースで71.2%をサービス業が占めている。ナショナル・フラッグ・キャリアはフィンランド航空だが、政府は既に株式の半数以上を売却している。労・使・国の3者協議によるネオ・コーポラティズムを採用する。年間労働時間は平均で1672時間。という制度があり、多忙な時期に残業して、暇な時期に余計に休めるという制度が存在する。1994年に16.6%まで上昇した失業率は不況からの脱却とともに年々改善を続け、2012年には7.7%まで下がった。労働年齢層の就業率は男性70.6%、女性68.2%(2012年)と、女性の労働力化が進んでおり、特に法律家・医師は女性が半数を占めている。企業で高い地位を占める女性も増えているが、男性に比べるとまだ少ない。女性は男性に比べ正社員として雇用されにくい傾向があり、若い世代の女性で契約期間付き雇用が多い(20代女性の4割が派遣社員)。しかし女性の労働力化によってGDPや購買力が増加する一方でロシア人やバルト三国から流入する女性労働者も増えており、特に売春などの性産業に従事する者が多い。2008年時点ではフィンランド国内に8,000人もの売春婦が存在しているとする見方もある。特徴的な事柄を挙げるとすれば、男女同権思想がある。生産性の低い土地に住んでいたためか、農業時代から女性も男性と同じくらい働き、発言権を持っていた。フィンランドで普通選挙が導入されたとき、ヨーロッパ初の女性参政権も当然のように付属していたのはフィンランドならではである。2015年現在も女性の社会進出は世界最高レベルで、労働市場における女性比率は40%に達するが、これはアファーマティヴ・アクション制やクオータ制のようなフェミニズムプログラム無しで達成している。政治においては、フィンランドの国会議員は定数の3分の1以上に当たる76人の女性議員がいる(2015年現在)。しかし、一方で兵役は男子のみの義務である(女子は志願制)。また、俗説としてフィンランド人は「恥ずかしがりや」であり、サウナの様に集団で集まりやすい場を大切にし、顔を合わせずに会話の出来る電話や携帯電話の普及が速かったと言われる。ヨーロッパで「フィンランド人は無口で、話す時は独特の抑揚のない言語で不機嫌そうにしゃべる」というステレオタイプの印象が元になった。民族比率は、フィン人が91.7%、スウェーデン人(スウェーデン系フィンランド人)が5.5%、サーミ人が0.1%、ロマ人が0.1%。2010年の統計によると外国人は167,954人(2.7%)と少なく、大部分がロシア人とエストニア人である。そのため、他の北欧諸国に見られるような移民問題は比較的少ない。使用されている言語は、フィンランド語が93.4%、スウェーデン語が5.9%で、この2言語が公用語である。1919年に制定された。サーミ人は、サーミ語を使用し、1970年代にその地位は向上した。1999年の憲法改正により、準公用語と明記された。同時にロマ人その他の少数民族に対する配慮も加えられている。また、ロシア語を母語とするロシアからのいわゆる帰還者は最近増加しつつある。スウェーデン語は、すでにフィンランドに根を下ろしており、少数派とは言え、企業、産業界で影響力を持ち、政府にも主要政党を持っているため、公用語問題は歴史的な問題であった。これに対しロシア語は1世紀にわたり支配社会の上層部にのみ影響をあたえただけで、国民に浸透することはなかった。これはロシア語を蛮族の言語として認識していた者がいたからである。一方のスウェーデン語は一部で高貴な言語として認識され受け入れられた。宗教は、フィンランド福音ルター派教会が78%、フィンランド正教会が1.1%、他の宗教(ローマ・カトリック教会、ユダヤ教、イスラム教)と無宗教20%である。フィンランド福音ルター派教会とフィンランド正教会は国教として扱われており、政府が国民から直接税の形で集めた教会税によって資金的援助を受けている。しかし、近年では国民の信仰心の低下や、政教分離の意見の高まりなどから、教会への支援は世論からの支持を受けなくなる傾向にあり、それにともない「教会税」も毎年、減少傾向にある。婚姻する際には、夫婦別姓、夫婦同姓、相手の姓の付加(後置)、を選択することができる。OECDの人生満足度(Life Satisfaction)では第6位、では世界7位(2013年)、世界幸福地図では第6位、による国民総幸福量(GNH)では世界2位(2012年)であると報告された。フィンランド人の平均寿命は、2015年では平均で80.77歳(男性77.82歳、女性83.86歳)であった。およそ市民307人あたり1人の医師がいる。 公営の保健センターが整備され、総合診療医(GP)によるプライマリケアが提供される。GDPあたり保健支出は9.0%。医療費のおよそ18.9%は自己負担であり、76.6%は租税負担となる。近年のランセット誌の研究によれば、フィンランドは193ヶ国の中で死産率が最も低く、英国・フランス・ニュージーランドよりも低い。課題としては、他のOECD諸国と同じように人口高齢化があり、65歳以上が人口の18.5%を占めている(2012年)。GDPに占める保健・介護費用も伸び続けており、2000年代は約6%台であったが、2060年には13%に達すると推測されている。医療費の約55%は65歳以上人口が占めており、また認知症患者も増え続けている。学校教育ではフィンランド語、スウェーデン語が必修であり(ただしオーランド諸島ではフィンランド語は必修ではない)、さらに英語やその他の言語の教育が行われている。本土のスウェーデン系国民は幼いころからテレビなどを通じて自然にフィンランド語を習得することが多いが、フィンランド系国民の多くは7年生(中学校の初年度)から学校でスウェーデン語の学習を始める。現在ではスウェーデン語より英語に重点がおかれており、小学3年生程度から英語の授業が始まる。さらに小学校高学年、また中学校でもその他の外国語を選択科目として履修できる。ただし外国語科目のカリキュラム等は自治体や学校により異なることがある。国民の外国語に対する関心も全般に高いため、4〜5ヶ国語を使いこなすフィンランド人も多い。大学はすべて国立で無料であり、受験戦争はフランスや日本ほど厳しくはない。しかし、フィンランドの教育水準は世界トップで、教育における「フィンランドメソッド」が注目を集めている。生徒は競争による相対評価ではなく、達成度によって評価されるといわれている。ただし、これは学力の違いを無視した平等教育ではない。実際には高校入学は中学の成績に基づいて振り分けが行われている。また、中学校の教育に特筆されるのは三分の一の(成績の低い)生徒が特別学級に振り分けられるか、補習授業をうけていることである。このように学力による差別化および、低学力の生徒に対する個別の教育により落ちこぼれを学校ぐるみで防ぐ制度がフィンランドの教育の特徴である。ユネスコの定義による高等教育機関(大学およびその他すべての高等教育機関・課程)の進学率は世界第二位の87パーセントである。(2004年度)2004年度に行われたOECD(経済協力開発機構)のPISA(学習到達度調査)では世界一である(ただし、OECDの調査自体には多くの問題点が指摘されている)。PISAは(1)読解力(2)数学リテラシー(3)科学リテラシーという三分野のみの調査を57カ国に対して行ったものである。フィンランドの学校は週休二日制であり、教師は大学院卒が基本(ただし、これは特に教師に限ったことではない。また「大学院」の位置づけも日本とまったく同一とはいえない)、授業時間も日本よりかなり少なく、また「総合的な学習」に相当する時間は日本より多い。近年、日本で批判されている「ゆとり教育」に一見似ているが、家庭学習を重視し宿題が比較的多く、成績別教育により成績下位者への支援態勢が特に手厚くなっているなど、その実態はかなり異なる。制度的にも教育内容や教授方法への教育行政の指示が少なく、分権化が進んでいること、義務教育にも留年制度があること、小学校から大学まで多くの学校で学費が無料であることなどの違いがある。1943年の法により、小中学校および高校と職業学校における給食は完全に無料である。フィンランドにはNPOが約7-8万存在し、国民の5人に4人がNPOに参加している。他の北欧諸国と同様に、世界で最も参加率の高い国の一つである。フィンランド人の図書館利用率は世界有数であり、月に1回以上は図書館に行き、月に20冊以上の本やDVDを無料で借りている。また、サウナは約200万あるとされ。フィンランド国民全員が入っても余裕があるという。フィンランド人にとってサウナは神聖な場所であり、「教会のように振る舞う」という格言がある。ソーセージは国民食とされ、これによって女性の社会進出を後押しした。またアルコールは国営企業による専売制である。キシリトールはフィンランドの大学の発見である。19世紀にエリアス・リョンロートによって編纂された民族叙事詩『カレワラ』が存在する。フィンランド人の音楽界での活躍は目覚しく、人口に比しても世界的な音楽家を数多く輩出している。ジャン・シベリウスに代表されるクラシック音楽や、ジャズ、ポップ、ロックやヘヴィメタルなどのポピュラー音楽が普及しており、少数民族サーミ人によるヨイクという民族音楽もある。どこの国にも地域おこしを兼ねた祭り的イベントは数多くあるが、フィンランドは名物やゆかりの行事などを競技化した奇妙な大会をいくつも開催している。様々な大会を「世界選手権」と銘打っていて、その中には世界的に有名となり各国から参加者が訪れる大会もある。フィンランド国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件存在する。他の欧州諸国とは異なり、フィンランドにおいてサッカーは最も人気を集めるスポーツではなく、そのため弱小国の一つにすぎなかった。しかし、近年は着実に力をつけており最も直近の北欧選手権では初優勝を果たしている。個人ではヤリ・リトマネンやサミ・ヒーピアなどがスペイン、イングランドのトップクラブに所属するなどし、近年は欧州でも中堅の地位を堅めつつある。日本人選手でもアルビレックス新潟の田中亜土夢が2015年、HJKヘルシンキに移籍してきて活躍している。国民の関心ではサッカーよりもアイスホッケーが人気である。トリノオリンピックではサク・コイブらの活躍で銀メダルを獲得している。また1995年と2011年の世界選手権で優勝している。野球をサッカー場や陸上競技場でもできるように改良したペサパッロ(フィンランド野球)は国技である。また、北国なのでウィンタースポーツも盛んである。スキーでは冬季オリンピックなどで多くの選手が活躍。ジャンプ競技ではマッティ・ニッカネン、ヤンネ・アホネンなどの英雄を輩出。ノルディックコンバインドではサンパ・ラユネン、ハンヌ・マンニネンが英雄である。また最近ではスノーボードも人気が出てきた。クロスカントリースキーやスキーオリエンテーリングも盛んである。アイスホッケーはNHLにプロ選手を送り出すほどの選手層の厚さを誇る。トリノオリンピックでは歴史的に因縁あるスウェーデンと初の北欧決勝対決を繰り広げ、第1ピリオドでは1-0でリードしながらも2-3で惜敗。銀メダルを獲得している。またフィギュアスケートでは、特に女子において近年世界トップレベルの選手が育ってきている。注目すべきはモータースポーツの分野で、F1では、ケケ・ロズベルグ、J.J.レート、ミカ・ハッキネン、ミカ・サロ、キミ・ライコネン、ヘイキ・コバライネン、WRCでは、アリ・バタネン、ヘンリ・トイボネン、ティモ・サロネン、ユハ・カンクネン、トミ・マキネン、マーカス・グロンホルム、ミッコ・ヒルボネン、ヤリ・マティ・ラトバラなどの優れたドライバーを多数輩出しており、世界チャンピオンも少なくない。このように速いドライバーの事を「フライング・フィン」と呼ぶほどである。このフライング・フィンは、陸上競技の長距離種目で活躍したハンネス・コーレマイネンやパーヴォ・ヌルミを称したのが始まりであるが、さまざまなスポーツの選手でこの愛称が使われている。最近では、F1の2007年世界チャンピオンにキミ・ライコネンが輝いた。この様な事から、モータースポーツ界では「優勝したければ、フィン(フィンランド人)を雇え」という格言が存在する。他の北欧諸国同様にオリエンテーリングも盛んであり、強豪国のひとつである。代表的な選手としては、2010年にミンナ・カウッピがフィンランド年間最優秀スポーツ選手に選ばれている()。オリンピックの開催経験もあり、1952年にヘルシンキオリンピックが行なわれた。"フィンランド人の一覧、スウェーデン系フィンランド人の一覧も参照。行頭の順位付けは、最も偉大なフィンランド人での順位。"政治文化スポーツ
出典:wikipedia
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