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ヨハネス23世 (対立教皇)

ヨハネス23世(Ioannes XXIII (antipapa)、1370年頃 - 1419年12月22日、在位:1410年 - 1415年)は教会大分裂(シスマ)の時期の対立教皇である。当時、ヨハネス23世とローマ教皇グレゴリウス12世(在位:1406年 - 1415年) 、アヴィニョンの対立教皇ベネディクトゥス13世(在位:1394年 - 1417年)の3人の教皇が並び立っていた。ナポリ出身、本名はバルダッサレ・コッサ(Baldassare Cossa)。経歴は怪しく海賊、軍人であったとも言われる。ピサ教会会議で選出されたアレクサンデル5世(対立教皇、在位:1409年 - 1410年)の急死後、メディチ家当主ジョヴァンニ・ディ・ビッチの支援でコッサが教皇位に就く。アレクサンデル5世はコッサに殺されたとの噂もあったという。メディチ銀行は教皇庁との取引で莫大な利益を上げた。1410年、ルイ2世・ダンジューと共にローマを占拠するが、1413年、ローマ派のナポリ王ラディズラーオにローマを追われ、フィレンツェに逃亡する。教会大分裂の事態を解消する為、神聖ローマ帝国皇帝ジギスムントの圧力で1414年、ドイツにコンスタンツ公会議(ヤン・フスの断罪でも知られる)を召集するが、ヨハネス23世はコンスタンツから逃亡。公会議で3人の教皇は廃位され、1417年に新たにマルティヌス5世が選出される。ヨハネス23世はこの公会議で、異端、聖職売買をはじめ、海賊、殺人、強姦、男色、近親相姦など様々な罪状で告発、拘禁されるが、ジョヴァンニの尽力で釈放された。これらの罪状は恐らく捏造されたものだと考えられている。その死後、サン・ジョヴァンニ洗礼堂(フィレンツェ大聖堂に隣接)にヨハネス23世の墓碑が造られた。

出典:wikipedia

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