磐梯熱海温泉(ばんだいあたみおんせん)は、福島県郡山市(旧国陸奥国、明治以降は岩代国)にある温泉。月岡温泉、いわき湯本温泉とともに「磐越三美人湯」に数えられている。郡山の奥座敷として歓楽街温泉であったことから、規模の大きなホテルも多い。温泉街は磐梯熱海駅のすぐそばと、五百川に沿って旅館が建ちならぶところと二つに分かれているが、非常に近接しているため、通常は一つの温泉街として扱われる(上の写真は五百川沿いの温泉街である)。五百川の渓谷沿いにある温泉街の方が比較的歴史が古く、現在も20数軒の旅館が存在する。源泉は五百川沿いに共同のものがある他、専用の源泉があるホテルや旅館も多い。共同浴場は宝の湯と錦星湯の2軒が存在する。足湯は磐梯熱海駅前と五百川沿いにあり、日没まで無料で利用することができる。また、各旅館が設置している足湯も幾つかあり、無料で利用できる。スポーツ施設が多いのが特徴で、温泉街の近くにはプールや多目的アリーナを備えた郡山ユラックス熱海、ふくしま国体とスポーツ祭東京2013の会場となった磐梯熱海アイスアリーナと郡山スケート場の両スケート場、体育館や多目的グラウンドを備える郡山勤労者総合スポーツ施設、熱海サッカー場、郡山熱海カントリークラブ等、多くのスポーツ施設がある。このため、磐梯熱海温泉旅館協同組合では、スポーツ温泉と謳っている。観光スポットは、江戸〜昭和初期の着物を展示している日本きもの文化美術館などがある。イベントとしては、毎年8月に温泉街で開かれる萩姫まつり、冬季に開催されるアイスホッケーアジアリーグ公式戦、毎年2月に磐梯熱海町内2つのスケート場で開かれる磐梯熱海温泉つるりんこ祭等がある。開湯は800年前である伝えられる。熱海という地名は、奥州合戦の後にこの地の領主になった、源頼朝の家臣伊東祐長の出身地である伊豆にある、熱海温泉に由来する。南北朝時代から室町時代初期の頃、公家の娘萩姫が不治の病にかかり、夢枕に立った不動明王から、都から東北方面に行き、500本目の川岸に霊泉があるというお告げを受けた。これに従って当温泉に辿り着いた萩姫は、湯治して全快したと伝えられる。温泉街を流れる五百川は、この伝説が名称の由来となっている。1969年2月5日、磐光ホテルで火災が発生し、死者31人、負傷者41人の大惨事になる(磐光ホテル跡地はその後名古屋鉄道が買収し、「磐梯グランドホテル」として再開したが現在は廃業して建物も取り壊されている)。1989年、日帰りの入浴施設や多目的の大型ホール、アリーナ等を備えた複合施設郡山ユラックス熱海がオープン。1996年9月、熱海バイパスが開通し、温泉街中心部を通る旧国道49号の交通量が大幅に減少。これに合わせて、歩行者が歩きやすいまちづくりが行われる。2004年に発生した温泉偽装問題では、井戸水利用なのに温泉利用と思わせる表記をしていた旅館が一軒あったと報じられたものの、2007年現在この問題は解決している。2004年10月2日には、磐梯熱海駅前に足湯がオープンした。
出典:wikipedia
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