暗い日曜日(くらいにちようび、Szomorú vasárnap, Gloomy Sunday, Sombre Dimanche)は、1933年にハンガリーで発表されたヤーヴォル・ラースロー作詞、シェレッシュ・レジェー作曲による歌である。初めてレコーディングされたのはハンガリー語で1935年。英語での最初のレコーディングは1936年である。 ハンガリー語の原題のSzomorú vasárnap [ˈsomoruː ˌvɒʃɑ̈ːrnɒp](ソモルー・ヴァシャールナプ)の意味は「悲しい日曜日」。自殺者の出る曲として有名。レジェーは元々独学で音楽を学び、作曲家を目指して1930年代初期をパリで過ごした。しかし彼の願いは叶わず、彼の作曲した曲は全て受領されもせず、彼の元に送り返された。レジェーは意気消沈の中1932年12月にこの曲の歌詞と曲を作り、著名な出版社に投稿した。最初の会社ではメロディーとリズムの暗さが世に出すには暗すぎると送り返され、次の会社で採用、1933年に発表された。しかし元の歌詞は使われず、ラースローの歌詞が使われた。当時ラースローは当時婚約者を失ったことで失意の底にいた。曲調、歌詞ともに陰鬱さを醸し出した本作は「自殺ソング」として、またヨーロッパやアメリカでは「自殺の聖歌」として知られており、歌詞の内容は暗い日曜日に女性が亡くなった恋人を想い嘆くというもので、最後は自殺を決意するという一節で終わる。本作を聴いて世界中で数百人、うち157名はハンガリー人が自殺したと言われているが、この本作と自殺との因果関係は明確には証明されておらず、本作が原因とされる自殺の記録も明確には無い。ゆえに都市伝説ではないかとも言われている。しかしながら、当時の自殺者の中に本作の関係を匂わせる形で自殺をした者が少なからずいると言われており、政府が放送禁止に指定したとも言われている。また、朝日新聞の記事によると、ハンガリーで1983年に出版された本作と自殺との因果関係と調査した書籍(書名不詳)では、本作に関連した自殺は5人のみであり、ハンガリー人が数百人が自殺したというのは誇張であると指摘している。当時はナチス・ドイツによる軍事侵攻の危機が迫るなど自殺者が出てもおかしくない世相であったため、直接の原因ではないにせよ、自殺を扱った本作が「引き金」になった可能性は示唆されている。ただし、当時はまだポピュラー音楽がそれほど普及していなかったため、自殺しようとする者が残すメッセージとして手に取るものがこれしかなかっただけではないかと言う説もある。イギリスでも反響は大きく、BBCでは放送禁止の曲に指定された。本作のヒット後に作曲者の恋人が自殺、作曲者本人も自殺していると言われている。理由は定かではないが、本作に対する世間の非難などの苦悩が少なくとも影響しているのではないかと言う説がある。ただし、作曲者本人の自殺は事実であるものの、作曲者を知る人物によると恋人の自殺は聞いたことはないとしている。また、作曲者の実際の自殺の原因は、喉の病気があると思い込んでいた為である。現在でも多くのアーティストによって歌われ、特に1936年のフランスで発表されたフランス語によるダミアの録音でシャンソンとして世界的に知られるようになった。ゆえにシャンソンの作品であると誤解されることが多い。なお、ダミアは満88歳まで生きた長寿の生涯であった。ダミアによるフランス語版は、セルジュ・ゲンスブールのアルバム『囚われ者』(1987年)などでカバーされた。淡谷のり子を筆頭に榎本健一、東海林太郎、越路吹雪、美輪明宏、戸川昌子、岸洋子、金子由香利、夏木マリなどシャンソンを専門分野とする歌手がカヴァーに挑んでいる。岩谷時子による訳詞で歌われることが多いが、1978年発表の浅川マキによる日本語詞、および歌唱が原作の持つ世界に忠実である。浦沢直樹による漫画作品『パイナップルARMY』にも『暗い日曜日』のエピソードが出ている。また、永井愛の戯曲『歌わせたい男たち』でも、思想の自由の抑圧への抵抗という意味を込めてこの歌を口ずさんでみせる人物が登場する。フリー・ジャズのサックス奏者である阿部薫がカバーしている。彼は、1978年に睡眠薬の多量摂取により亡くなっているが、事故なのか自殺なのかは定かでない。また、彼の妻の作家鈴木いづみは1986年に首を吊って自殺した。
出典:wikipedia
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