府中市(ふちゅうし)は、東京都の多摩地域にある市である。東京都特別区部への通勤率は26.2%(平成22年国勢調査)。東京都のほぼ中央に位置する都市で、武蔵野・多摩地域の旧北多摩部に当たる。新宿から22km西方、日本橋からは30km西方に位置する。1954年(昭和29年)4月1日に、府中町(府中駅)と多磨村および西府村の1町2村が合併して「府中市」が誕生した。律令時代に武蔵国の国府が置かれた地である事から、武蔵国の国府という意味で府中と呼ぶようになった。当地以外の国府と区別するために「武蔵府中」とも呼ばれる(例:武蔵府中税務署)(市内に府中町も存在する)。なお、広島県にも同名の府中市が存在するが、詳細については「#歴史」にて後述。645年の大化の改新後に武蔵国の国府が置かれるなど古代から政治や経済と文化の中心地として栄えており、江戸時代は甲州街道の宿場の中でも大きな「府中宿」があった。鎌倉時代にも要衝地域となっており、戦後も多摩地域の主要都市として行政機関・病院等の公共機関が数多く集積する。交通網としては、上記の地理的、歴史的な観点から、現在でも東京都区部近郊の交通の重要な拠点として東西南北(区部・東京郊外・神奈川県および埼玉県)を結んでいる。これは国府設置以来中心地にある大國魂神社を基点に発達していったことが影響している。2014年4月5日現在市内人口密度は790市中88位であり、多くの行政機関・大企業の研究開発所および工場等の大規模な施設も多く、商業施設や高層住宅は府中駅周辺に多い事からこの一帯の地価は160万円/坪を超える。また、一級河川や雑木林や山があるなど、市域のほとんどが居住に適した平地でありながら、河川に野山、数多くの広い公園や農地緑地など、多くの緑を有している。夜間人口と昼間人口がほぼ同一なのは、近隣のベッドタウン都市とは違い職住近接した生活環境である事が理由で、これらから市民の満足度が高く、市のアンケートでもほぼ全市民が将来も住み続けたい街として回答しており、「生活実感値」満足度都内第1位とされる事もある。市域全域が武蔵野台地上にある。多摩川中流左岸の河川段丘に広がっており、多摩川対岸に多摩丘陵を望む。市の南辺は多摩川と同じである。北東部に標高約80mの浅間山(せんげんやま)があり、麓からの高さは30m程度である。市の中央やや南を府中崖線(別名は立川崖線)が、北辺に沿って国分寺崖線が、それぞれ東西に走っている。この崖線(ハケ)の前者の高さは10mから15m、後者は10mから20mである。国分寺市に近い当市武蔵台の一部はこの国分寺崖線上の武蔵野段丘上にある。府中崖線の南側を多摩川低地、両崖線に挟まれた部分を武蔵野台地の立川面、国分寺崖線の北を同じく武蔵野面と呼ぶ。この武蔵野面上の武蔵台3丁目が標高は82mと市内最高標高となっている。この2本の崖線と浅間山付近を除けば、ほとんどが平坦な土地で可住地面積率は99.7%である。(カッコ内は主な交通手段、順番は鉄道、一般道道路(北から順番に表記)、有料道路)旧北多摩郡。大化の改新後武蔵国の国府所在地だったことが知られており、古代から栄えていた事が各資料から判明している。鎌倉時代にも要衝地域として重要な地位を占めていた。江戸時代には主要な宿場町として、また近在の物資の集散地として発展する。戦後も多摩地域の主要都市として行政機関、病院等の公共機関が数多く集積する。旧石器時代からの遺跡が確認されており、分梅町・美好町付近には古墳群もある。大化の改新後、国司が東国に派遣された際、武蔵国造の根拠地・大宮を避け、府中の地に武蔵国の国府が置かれた。国府は大國魂神社付近と推定されている(発掘調査によって神社東隣に国衙の一部と推定される遺跡を発見、市がその土地を買い取り公開されている)。武蔵国の国分寺は国府から約2km、現在の国分寺市内に置かれ、古代の東山道武蔵路は武蔵国府から北上する官道であった。鎌倉幕府の時代は、古文書の中から重要拠点として記載され、中世の鎌倉街道が市内を通る。現在も一部が残り、同名称の街道が併存している。新田義貞と鎌倉幕府軍が争った古戦場もある(1333年、分倍河原の戦い)。江戸時代には甲州街道沿いが宿場町として栄え、周辺の農地は大部分が天領だった。明治時代には北多摩郡の郡役所が置かれた。大正時代には複数の鉄道が、昭和には軍の施設(府中基地)が置かれるなど、かつて盛んであった農業の割合より工業・商業が増えて現代の府中を形作っていった。第二次大戦後は、1950年代以後に宅地開発が進み、行政機関、病院、大企業の研究開発所および工場機能の集積も相まって人口が急増し、東京都下の拠点都市として発展する。「府中」とは「国府所在地」を意味する地名であり、これを語源とする地名は各地に存在する。例えば、旧静岡市は幕末まで「府中」や「駿府」と呼ばれていたが、これは「駿河府中」の略称である。「府中市」と称する市は、当市と広島県府中市の2市が存在しているが、国の方針ではこのような同一市名は望ましくないとしている。市制申請は当市が先であったが、その後に広島県府中市が市制施行の日付をそれの1日前(3月31日)とした市制申請を行った事によって、同一市名となった。地震速報では東京府中市と表記される(広島県の府中市は「広島府中市」など)。国府所在地の面影を残し、由緒ある祭りや神社などが残る。東京都25市の中で3番目の人口である。2010年に夜間人口(居住者)は255,506人であるが、市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は246,380人で昼は夜のおよそ0.964倍の人口になる。通勤者・通学生で見ると市内から市外へ出る通勤者65,001人、市外から市内へ入る通勤者は59,555人と通勤者では市外への通勤者の方がやや多く、また学生でも市外から市内へ入る通学生は7,229人で市内から市外に出る通学生10,942人と学生でも昼は市外へ流出する。 国勢調査では年齢不詳の者が東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含め、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないため数字の間に誤差は生じる。一般会計予算額927億1000万円(特別会計を含む予算総額1653億400万5千円)。平成20年度連結経常行政コスト1890億円(334,000円/市民)、収支△809億円。期末純資産残高4641億円(期間変動88億円)。衆議院小選挙区選挙では東京18区(2003年までは東京22区)に属する。近年選出の議員は以下のとおり。本市で一つの選挙区を構成する。定数は2人。近年選出の議員は以下のとおり。府中駅北第2庁舎、市政情報センター(府中駅内)、東部出張所(白糸台文化センター内)、西部出張所(西府文化センター内)管轄地域は市域すべて。東京消防庁第八消防方面本部の管轄下に置かれる。消防は市町村の責任業務であるが、多摩地域の大半の市町村は東京消防庁へ消防業務を委託しており、本市もそれに倣っている。かつては市内全域に1万個以上もの集積型の大きな「ゴミ箱」が配置され、他市民がうらやみ多くの自治体も設置するなど、全国に広がっていった。美化面、無料排出、時間無制限排出の利点があったが、欠点として近隣他市住民が幹線道路沿いの「ゴミ箱」にゴミを不法投棄する事件が慢性的に発生し、ゴミ処理費の高止まり、減量の面でも問題が発生した。ゴミ排出量増大、分別不徹底や事業系・市外のゴミの不法投棄を招いているなどの理由により、2010年2月より「ゴミ箱」(ダストボックス)廃止・有料化・個別収集化へ変更した。このダストボックスを廃止し戸別収集へ変更した結果、ゴミ処理費用は5年で約3億4千万円の減額。府中市が設立した法人・直接関係のある法人昭和36年旧府中町役場に図書館が作られたあと移転や地区図書館が開設されて、市立図書館の蔵書は130万冊を超える。工業都市としても知られ、1937年の日中戦争をきっかけに日本製鋼所や東芝などの大工場が進出し、第二次世界大戦後もサントリー、日本電気など多くの工場が進出している。戦後までは、水田稲作や養蚕が盛んだった。2002年現在、耕地率6.9%、水田率25.7%。2000年現在、農家率0.4%。2000年現在、第一次産業就業者数865人。主な生産物に、コマツナ、多摩川ナシ、ワケネギ、紫黒米(黒米)等がある。様々な府中産農産物が、マインズ農業協同組合の西府支店、多磨支店、中河原駅前支店の農産物直売所、府中駅前の府中特産品直売所、農家設置の直売所などで販売されている。日本電気の府中事業場、東芝の府中事業所、サントリーの武蔵野ビール工場、読売新聞の府中工場(読売プリントメディア)など、大規模な工場がある。2000年現在、第二次産業就業者数26,005人。府中駅近辺にはステーションビル、百貨店もあり、店鋪が集中している。そのほか、小売店は鉄道各駅や幾つかのバス停留所付近に集中している。また、大東京綜合卸売センター(市場)が市南西部に立地する。また日鋼町の日本製鉄所東京事業所跡にできた府中インテリジェントパークは、各銀行の電算センターや各企業の研修センターなどが立ち並び、新たな企業拠点となった。公営競技施設では、東京競馬場や多摩川競艇場がある。2000年現在、第三次産業就業者数84,594人。古くは国府所在地として、今でも関東地方の交通の要衝である。これは国府設置以来中心地にある大國魂神社を基点に放射状に交通網が発達していった事が大いに影響されている。地理的、歴史的な観点から現在では国道16号圏内と東京都区部までの間における、環状連絡線の要衝結節点として東西南北(区部、東京郊外、神奈川県および埼玉県)を結ぶ。道路網では甲州街道国道20号、中央高速道等の幹線を介して東西の区部と郊外とを結び、府中街道、鎌倉街道を介して南北の神奈川県(川崎市・相模原市方面)と埼玉県(所沢市方面)を結ぶ。鉄道網では武蔵野線、南武線、京王線の交差駅を持ち、東京の東西拠点の区部と郊外方面(八王子、立川)を京王線、南武線で結び、南方の神奈川県溝口・川崎方面を南武線で、北方の埼玉・千葉方面(所沢・浦和・越谷・三郷・松戸・船橋)を武蔵野線で結ぶ。また、市内東部地区の南北方向に西武多摩川線が武蔵境駅経由で中央線沿いの市区町村と連絡している。市内はバス網が充実しており、中央線の各駅から府中市方面に向かって多くの路線が乗り入れている。京王電鉄京王線と競馬場線、JR南武線、JR武蔵野線、西武鉄道多摩川線が市内を通る。市の北端の一部(西国分寺駅の西側の武蔵台三丁目)をJR中央本線がかすめているが、駅はない。かつては中央本線国分寺駅から分岐する形で市内へ下河原線が存在した(後に一部が武蔵野線となった)。主要な道路は、市の中心部から放射状に伸びている。江戸時代以後、交通は五街道の一つである甲州街道(国道20号)が幹線となった。戦後に国道20号バイパスが造られ、現在では新道(市内では普通「新甲州街道」と呼ぶ)が国道となり、旧道が都道となっている。その後、更にそのバイパスとして、中央自動車道、東八道路(一部開通)が造られた。中央自動車道の府中バスストップが市の東南部にあり、高速バスが飛騨高山、木曽、名古屋、大阪や、比較的短距離の山梨県(甲府、富士五湖)方面とを結んでいる。以前には多摩川の渡し舟が設けられたが、現在では廃止されている。隣接する調布市(一部三鷹市)の調布飛行場から伊豆諸島(新島の新島空港、大島の大島空港、神津島の神津島空港)への航空路がある。浅間山 : 標高約80m。かつて多摩川によって削られて残った丘。山全体が高原となっておりムサシノキスゲが自生している珍しい地域。府中市内では、年間を通して大きなイベントが行われている。50cc未満の原動機付き自転車へ対して「範馬刃牙(はんまばき)」のご当地ナンバーも配布されている。軽自動車(二輪、四輪)は、軽自動車検査協会より「多摩」ナンバー、それ以外の四輪車と二輪の小型自動車は東京運輸支局の多摩自動車検査登録事務所より「多摩」ナンバー を割り当てられている。
出典:wikipedia
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