年賀状(ねんがじょう)とは、新年に送られる郵便葉書やカードを用いたあいさつ状のことである。新年を祝う言葉をもってあいさつし、旧年中の厚誼の感謝と新しい年に変わらぬ厚情を依願する気持ちを、親しい相手への場合などには近況を添えることがある。日本では多く取り交わされ、日本に近い韓国、中国、台湾にも似た風習がある。これに対して、欧米などでは、クリスマス・カードやグリーティングカードで「クリスマスと新年のあいさつ」を済ませてしまうので、在外日本人を除き、年賀状の文化は無い。通常は年末に投函されたものを元日に郵便局から各戸ごとにまとめて一度に配達する。日本郵便からは、この事前作業を確実に行えるよう、12月25日頃までに郵便ポストに投函するようにアナウンスされている。しかし、パソコンや家庭用プリンターの普及などから投函のピークは遅くなり、2005年が前年12月25日、2006年に至っては前年12月30日が投函のピークと報じられた。お年玉付郵便はがきの発行枚数は、2003年用の44億5936万枚がピーク、2007年用の40億2105万枚から、対前年比約+2.9%となった2008年用の41億3684万枚を最後に減少し続け、2015年用の年賀葉書発行枚数は30億2285万枚となっている。総務省統計局の人口推計より、各年の人口を抽出し(各年10月。ただし2015年は最新値となる8月分暫定値を適用)、その人数で年賀葉書発行部数を割った値「もし日本在住者全員が年賀葉書を購入したと仮定した場合、1人当たりの購入枚数は何枚になるのか」という値は、2003年用の34.9枚がピーク、2015年用の発行分は23.8枚となる。また一方では、携帯電話・スマートフォンの普及によって、年賀はがきを出さずに、電子メールやソーシャル・ネットワーキング・サービスやインスタントメッセンジャーで、新年の挨拶を済ませる人も多くなってきている。通常使用される「はがき」と異なり、年賀状用の「お年玉付郵便はがき」が毎年11月頃から発売されるため、これを用いられる。よく用いられる図柄は新年の干支(十二支)、宝船や七福神などの縁起物、フキノトウや梅の花など、早春を象徴するものである。日本郵便においては、年賀状は「年賀特別郵便」という一種の特殊取扱として扱われている。その取扱期間は2006年の場合12月15日から12月28日であり、その期間に「年賀」と朱記した郵便物、適当の個数ごとに一束とし、これに「年賀郵便」と記載した付せんを添えて差し出した通常はがきについてあらかじめ区分したうえであて先を管轄する配達局に送付し同局で1月1日まで留め置かれるサービスである。それ以降も便宜的に受け付けてはいるが年賀特別郵便物の要件、すなわち取扱期間内での差出しを満たしていないため1月1日に配達される保証はなく、あくまでも日本郵便側のサービスによっている。この点の周知徹底の不十分さが、近年の年賀状遅配の一因ともいえる。年賀はがきや印面下部に「年賀」と朱記した官製はがきなどのステーショナリーを、郵便ポストに設置された専用投入口に投函した場合は消印は省略される。この投入口が設けられる期間は、12月15日から翌年1月7日である。年賀特別郵便物取扱期間中に差出された、私製はがきなど切手貼りの年賀状と差出人から特に依頼のあった場合は翌年1月1日付けの年賀印という消印が押印される。それ以降に差し出された場合は、同様の郵便物であっても当日付けの消印が押印される。日本にははっきりとはしないが奈良時代から新年の年始回りという年始のあいさつをする行事があり、平安時代には貴族や公家にもその風習が広まってあいさつが行えないような遠方などの人への年始回りに代わるものとして文書による年始あいさつが行われるようになった。近世には武家社会において文書による年始あいさつが一般化したほか、非武家社会においても口頭の代用として簡易書簡を用いることが年始あいさつに限らず一般的になり、公的郵便手段である飛脚や使用人を使った私的手段により年始あいさつの文書が運ばれるようになった。明治維新後の1871年、郵便制度が確立したが年賀状は書状で送るところがほとんどで、数は決して多くはなかった。1873年に郵便はがきを発行するようになると、年始のあいさつを簡潔に安価で書き送れるということで葉書で年賀状を送る習慣が急速に広まっていった。しかし1887年頃になると年賀状を出すことが国民の間に年末年始の行事の1つとして定着し、その結果、年末年始にかけて郵便局には多くの人々が出した年賀状が集中し郵便取扱量が何十倍にもなってしまった。郵便事業に携わる人の数は限られているため膨大な年賀状のために郵便物全体の処理が遅れ、それが年賀状以外の郵便物にも影響し通常より到着が遅れることがしばしば発生していた。しかも年末は商売上の締めの時期にも当たり、郵便の遅延が経済的障害ともなりかねない状況となっていた。その対策として1890年に年始の集配度数を減らす対策が講じられた。それでも、さらに増え続ける年賀状にその対応だけではとても追いついていけなかった。また当時、郵便物は受付局と配達局で2つの消印が押されていた。そこで受付局か配達局の「1月1日」の消印を押してもらうため多くの人がそこを狙って年賀状を出すようになり、12月26から28日あたりと1月1日当日の郵便物が集中するようになった。そこで1899年、その対策として指定された郵便局での年賀郵便の特別取扱が始まった。年末の一定時期、具体的には12月20から30日の間に指定された郵便局に持ち込めば、「1月1日」の消印で元日以降に配達するという仕組みになっていた。翌1900年には(必要に応じてではあるが)全国の郵便局で実施、私製ハガキの使用も認められ、1905年に完全に全国の郵便局で実施されるようになった。なお年賀状は本来、元日に書いて投函するのであるがこの特別取扱をきっかけに年末に投函し元日に配達するようになった。また、当時はある程度の枚数を束ねて札をつけ、郵便局に持ち込むことが原則であったが、1907年から葉書の表に「年賀」であることを表記すれば枚数にかかわらず郵便ポストへの投函も可能となった。なお、関東大震災や大正天皇崩御(12月25日)の年は、その年(翌年配達分)の特別取扱が中止された。明治天皇と昭和天皇崩御の年は実施されている。年々取扱量が増えていくと共に私製ハガキの取扱量も増えていったため、1935年に私製ハガキの貼付用として年賀切手の発行が始まった。しかし、時勢の悪化により1938年に年賀切手の発行が中止され、1940年には特別取扱も中止となり、太平洋戦争勃発以降はさらに自粛の声が高まった。終戦後の1948年、特別取扱と年賀切手の発行が再開された。この年から年賀切手の図柄が干支にちなんだ郷土玩具のものになる。1949年、お年玉付郵便はがき(年賀はがき)が初めて発行され(官製はがきとしては初めての年賀はがき)、大きな話題を呼び大ヒットした。そしてこれを機に年賀状の取扱量は急激に伸びていった。なお1955年には、アメリカ合衆国による沖縄統治に置かれた沖縄県でも年賀はがきが発行され、1956年には年賀切手も発行されている。お年玉付郵便はがきは当初、寄付金付きの葉書にくじが付いていたが1956年に寄付金なしのハガキもくじが付くようになった。1961年から年賀はがきの消印が省略され額面表示の下に消印に模した丸表示を印刷するようになり、1968年には郵便番号導入により郵便番号枠が追加された。1970年代になると年賀はがきに絵や文字を印刷する年賀状印刷が盛んになり、1982年から寄付金付きの年賀はがきにの裏面に絵や賀詞が印刷されるようになった。1989年から年賀切手にも「くじ」が付くようになった。21世紀になると、デジタルカメラで撮った写真入りの年賀状を家庭のパソコンとプリンターで作成・印刷するスタイルが定着し、2005年からは光沢感がありインクジェットプリンターの印刷に適したインクジェット写真用年賀はがきが発行されるようになった。2008年には、郵政民営化を機に「カーボンオフセット年賀はがき」や「ディズニーキャラクター年賀はがき」などの新商品が出た。賀詞には多くの種類があるが、一般的に同僚や同年輩以外の年長者や世話になった相手には賀正、迎春などの2文字熟語は避けるのが慣わしである。添え文には次のようなものがある。「平成○○年元旦」など日付を入れる。1949年にお年玉付郵便はがきが初めて発行された。お年玉くじについては、毎年1月(従来は15日前後だったが、2008年は27日に実施)に抽籤が行われている。2009年末に発売された2010年版のインクジェット写真用では、通信面に郵便番号枠や料金部分が色移りしている年賀はがきが出回ってしまった。年賀状は葉書に書いて出すのが基本であるが、写真素材をそのまま電子メールとして送ったり特定のwebページのURLを送るという方法で年賀状を出す方法もある。この方法は電子化されたデータとの相性が良い上、より手軽に年賀状を送ることができるため利用が増えて来ているが、一方で1月1日0時を迎えた瞬間に、多くの人が大量の電子メールを送受信するため、通信網に輻輳が起きサーバに多大な負荷をかけるという一面もある。特に携帯電話による年賀メールは、新年のあいさつ通話である「おめでとうコール」とともに社会問題にもなり近年、携帯電話事業者では大晦日から元日にかけての通信や通話に通信制限を設ける、0時直後の年賀メールを自粛する呼びかけ等の措置を講ずるようになった。この規制は、携帯電話のネットワークに限られており、インターネットにまで及ぶことはない。年賀状の作成方法としては、以下の物がある。年賀状には、あらかじめ印刷してある年賀ハガキを利用する場合がある。家族・ペット等の近況を簡単に知らせる、写真を掲載する物がある。写真を専用の印画紙(通常の写真用の印画紙よりも薄い)に焼き付けて専用糊で年賀状に貼り合わせる方式が使われる。写真付年賀状では、あらかじめ写真の枠、名前・住所のレイアウト、装飾のデザインなどが決まっている場合がある。はめ込みが出来る写真の数は、1-2点が主流だが、最近は、3-4点の写真をはめ込むことができるタイプも登場している。パソコンによる作成が困難な場合、作成の時間がない場合に利用される。写真店の店頭で注文する方法と、インターネットの注文サイトで注文する方法がある。写真店での注文方法も、カタログ・広告紙による注文方式に加えて、店頭端末機と言われる注文ソフトを利用してデジタルカメラ・携帯電話の写真画像から直接写真店で注文する方式もある。一部の写真店では、ハガキ貼り機を用いて店内で作製しているケースもあるが、多くはフィルムメーカー系の現像所で集中的に製造される。印画紙と糊の分だけ通常の年賀状よりも重量が増えるため、基本郵便料金に収めるために、四辺をカットしている。また、糊で貼り合わせるため、持ち込みはがきは、通常品の物に限られ、インクジェット紙・光沢紙タイプの官製お年玉付き年賀状の持ち込みは、できない。また、表面は、印画紙なので余白に手書きで書き添える場合は、油性ペンが必要。ただし、一部の現像所では、ライタブルペーパーを使用しているデザインがあり、油性ペンでなくても書き込みができる物もある。代表的な物としては、富士フイルムのフジカラーポストカードがある。店頭注文同様、写真を掲載する年賀状だが、デザインが豊富で写真も1点から多数の写真を使用できるものがある。自宅にいながら年賀状を注文できる。インターネットで注文してからデザイナーがレイアウトなど行う方式と、ウェブサイト上で動作するシステムを利用して注文者がレイアウトを行い注文する方式がある。デザインや、写真補正などのサービスに重視した会社も多く、結婚式など記念の写真を使用する場合や、こだわりの年賀状を作りたい人が利用する。パソコン印刷が普及していなかった時代には、家庭用の小型簡易印刷機による年賀状の作成が広く行なわれていた。簡易印刷機の代表的な物としては、理想科学工業のプリントゴッコがあったが、2008年に販売終了している。官製のお年玉つきの年賀状に、2000年用からインクジェット紙が登場した。これは、パソコンを用いてインクジェットプリンターで印刷する人が増えたためである。また、2004年度は関東地域限定販売であり、2005年度から家庭での写真印刷に対応ができるように光沢紙の年賀はがきが全国発売になった。価格は、10円高い。パソコンで作成する場合、年賀状や暑中見舞い作成用に宛先や7桁の郵便番号などのデータ管理が簡単にできるソフトウェアを使う場合がある。年末になると、イラストと専用ソフトウェアを同梱した比較的安価なムックが販売される。また、フリーデータとして干支や年賀状用のイラストや写真画像を入手できるウェブサイトも多数ある。はがき作成ソフトウェアには、筆まめ、筆王、筆ぐるめ、楽々はがき、宛名職人、筆自慢、はがきスタジオなどがある。ワープロソフト(Wordや一太郎など)で作成する人もいる。写真家やデザイナー等では、裏面のみAdobe PhotoshopやAdobe Illustratorで作成し、既存市販物にはない創作性の高いオリジナル色を出す人もいる。近年では、日本郵便が「郵便年賀.jp」というサイトを毎年12月頃に公開しており、Adobe AIRで動作する年賀状作成プログラムを無償で利用できるようにしている。2008年11月、郵政民営化に伴い、郵便事業株式会社とKDDIは、年賀状離れの進む若年層に向けて、使い慣れた携帯電話を用いて年賀状を作って送れるサービス「ケータイPOST」を創出した。企画・運営は株式会社サミーネットワークスが行い、年賀状の印刷はマイアルバム株式会社が行う。近年では、スマートフォンの普及により多くのサービス提供が終了している。2010年頃から、アップルのiOSやGoogleのAndroidを搭載したスマートフォンが普及し始め、スマートフォン上で動作するアプリが台頭してきた。年賀状専用の編集アプリも、2010年頃からAppStoreやGoogle Play(当時はGoogleマーケット)で公開され、スマートフォンで利用できるようになった。多くの年賀状アプリは、スマートフォンで撮影した写真と、年賀状デザインテンプレートとの合成やスタンプなどの装飾、コメントなどの文字入力機能があり、アプリだけでも簡単にオリジナルな年賀状作成ができるようになっている。作成した年賀状は自宅のプリンターで印刷できるものや、富士フイルムなどの現像所や印刷会社での出力できるものがある。一部のアプリでは、編集した年賀状を、デザイン面の印刷だけでなく宛名印刷やポストへの投函まで依頼できるものもあり、スマートフォンだけで年賀状の準備が完了できる時代になった。近年では、日本郵便が「はがきデザインキット」というアプリを、富士フイルムが「フジカラーの年賀状」というアプリを無償で公開している。神奈川県・東京都を中心に焼売や各種弁当等を販売する食品メーカー・崎陽軒が、毎年11月に「シウマイ年賀状」を発売している(私製はがきのため、切手必要。購入者には日本郵便とは別の懸賞品がプレゼントされ、年賀状が届いた人にはシュウマイの引換券が付く)。喪に服している人(1年以内に身内を亡くした人)からは年賀状を出さない風習があり、その場合に年内に「喪中であるので年賀のご挨拶を遠慮する」旨の葉書を出すことが多い。元々は、明治・大正期に皇室の大喪に対し年賀欠礼を行っていた習慣が、昭和期に年賀状の普及に伴い、一般家庭の喪中でも年賀欠礼の挨拶状を出すように風習として定着し、現在に至っている。喪中欠礼の挨拶状は、郵便はがきではなく私製葉書に切手(弔事用、花輪やアシの模様など)を貼って出すことが多かったが最近ではパソコンや家庭用プリンターの普及により、郵便ハガキを用いることも多い。また、一般的には印刷業者などに発注する場合も多い。喪中の葉書を送ってきた人の家には年賀状を出さない方が良いとされているが、実際には年賀状を送っても失礼には当たらない。これは、喪中「欠礼」という言葉の示すとおり、「年賀の挨拶をお断りします」というよりは、「自分の家は今年は忌中なので年賀のあいさつができなくて申し訳ありません」という意味、すなわち年賀状は新年をめでたく迎えたことを祝うための手紙であり、前年に身内が亡くなった=めでたく新年を迎えられなかったからである。昨今では喪中の家に年賀状を出すのは失礼という人もおり、一般的には寒中見舞いのはがきを出すことが多い。また、最近は家族葬が一般化し、親しい間柄にも拘わらず故人の死を年末になって知るケースが増え、遅い香典を送るより贈答用線香などを送り、弔意を表す人も増加傾向にある。とは言え、喪中欠礼を完全に周知させることは難しく、年賀状が少なからず届くことがある。この場合は「寒中見舞い」として返事を出すことになる。受け取った年賀状を見てから出さなかった人へ返事的に出す人も多く、お年玉くじ(抽選くじ)のある年賀葉書及び年賀切手の抽選日ごろまでは年賀状の配達が続く。日本郵便にとっては年賀状の通数が多い事と集中した期間に配達しなければならない(もちろん、一般の郵便物や小包などもある)ので、通常の人員だけでなく学生を中心としたアルバイトなども動員して年末年始の作業をする。通常の時期は1つの配達区を1人の担当者が受け持っているが12月にはこの担当者が通常の郵便物の配達順への整理業務を局内で行い、アルバイトが外勤の配達をこなす体制をとることがある。これは、家族の構成や商売上の屋号を熟知した本務者(正規職員)が配達順の整理をするほうが有利なためである。また、年賀状の区分整理も家族の名前で来ることや住居表示前の旧住所で届くこと、あるいは転居前の住所で届く年賀状も多い事から本務者が内勤をすることが多いと思われる。また、いわゆる「平成の大合併」で市町村名の変更のあった地域も多いことから新旧住所の対応などに追われることも考えられよう。都市部の局など処理量が多く局舎内で作業ができない場合、年賀状の区分専門の仮設プレハブ局舎や会議室などを利用して12月下旬の区分作業だけを行う。大晦日の昼ごろには元日に配達する年賀状を準備し片づけを行い、年賀状臨時体制は終了し翌日の元日に備える。岡山市の最上稲荷近辺では年明けに参道が参拝客で混雑して配達できないため、1978年より1日繰り上げて大晦日(12月31日)に年賀状を配達する。1973年から2004年までは1月2日は配達は休みであったが、2005年より配達日となった。なお、2017年からは再び1月2日の配達を中止にする見込みとなっている。特に希望すれば年末年始の休暇前にその時点までに届いた年賀状を受け取ることも可能であるが、郵便局に申請が必要である(企業などでは年明けの営業初日まで郵便局で預かってもらい、営業開始日以降に配達してもらうことも可能)。区分機の読み取りの特性上、住所の番地などは漢数字よりも英数字のほうが読み間違いが少なく区分機の誤区分による遅延が起きにくい。
出典:wikipedia
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