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小島信夫

小島 信夫(こじま のぶお、1915年(大正4年)2月28日 - 2006年(平成18年)10月26日)は、日本の小説家・評論家。岐阜県稲葉郡加納町(現・岐阜市加納安良町)出身。旧制岐阜中学校(現・岐阜県立岐阜高等学校)、第一高等学校を経て、1941年東京帝国大学文学部英文科卒業。卒業論文は『ユーモリストとしてのサッカレイ』。1942年より中国東北部で従軍、敗戦でポツダム上等兵(伍長)。1946年復員し、1948年4月から千葉県立佐原女子高等学校で教え、1949年度より東京都立小石川高等学校に移る。1954年からは明治大学工学部助教授として英語を教え、1961年に理工学部教授に昇格、以後1985年の定年まで勤務する傍ら旺盛な文筆活動を行った。2006年10月26日、肺炎のため91歳で死去した。初期には、実存主義的な不安やブラックユーモアのあふれる小説を書いて、吉行淳之介、遠藤周作、安岡章太郎らと共に第三の新人と呼ばれた。第一次戦後派作家の年少組と同世代ながら、文壇デビューが遅かった(『アメリカン・スクール』での芥川賞受賞が1954年)ためである。1970年代をある種の境として、岐阜を故郷に持つ作家を巡ってメタ的な描写の横溢する『美濃』や、破綻をかろうじて耐えつつ虚実の入り乱れる『別れる理由』以降、作者自身やその友人と同名の人物、あるいはあからさまにモデルとなった人物、もしくは同一人物そのものを登場させる手法を確立する。先行する文学作品・芸術作品・過去の自作の引用(しばしば不正確あるいは恣意的に変形されている)や自身の身辺や時事の記憶等に幅広く材を採りつつ、いわゆる文語ではなくやわらかな質感を持ちながら省略や倒置が多く、時制・主体などが入り組んだセンテンスや独特の違和感を喚起する会話文といった特徴を持つ難解な文体を用いて、メタフィクション、ひいては小説全体に対する批評的な距離を測るように旺盛な創作活動を続けていた。1999年、郷土の岐阜県で小島信夫文学賞が創設され、生前は授賞式などに参加した。2005年7月および2006年3月の二度にわたり、保坂和志との対談イベントが企画され、会場に集まった多くの聴衆を時おり爆笑に誘う独特の語りをみせた。会場には、英米文学者の山崎勉や枡野浩一、茂木健一郎、柴崎友香や長嶋有、映画監督の長崎俊一など、一般の読者や出版関係者以外にも大勢が来場した。
1回目の対談の模様は、新潮社の「考える人」(2005年秋号)に掲載。また2回目の模様は、草思社より2006年10月にDVDブックとして発刊される予定だったが(さまざまな都合で)実現しなかった。岐阜県図書館で「小島信夫展」が2008年6月13日~12月25日の日程で開催され、会期中にはともに小島信夫文学賞の選考委員も勤める青木健、堀江敏幸の公演も行われた。

出典:wikipedia

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