大阪市交通局60系電車(おおさかしこうつうきょく60けいでんしゃ)は、大阪市交通局に在籍していた高速電気軌道(地下鉄)用通勤形電車である。1969年(昭和44年)、大阪市営地下鉄堺筋線の開業および京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)京都線・千里線との相互直通運転開始、そして翌年春に迫った日本万国博覧会にあわせて、川崎重工業・日本車輌製造・汽車製造・日立製作所の4社で5両編成18本90両が一度に製造された。各車両が実際に落成したのは1969年10月から11月の間だが、車両形式銘板では全車「昭和44年10月」の表記で揃えられていた。車体はアルミ合金製である。基本構造・電装機器類は30系アルミ車と共通するものが多く、屋根はモニター屋根であった。天井近くまで高さのある窓ガラスとその内側に行先表示器や尾灯を納めた、当時としては非常に斬新な前面デザインであった。側面の扉および窓の配置は、相互直通先である阪急の標準とは異なり、運転台付き車両がdD3D3D1、中間車が1D3D3D1(d:乗務員扉、D:客用扉)となっていた(これは後継車の66系も同様)。1970年(昭和45年)鉄道友の会にてローレル賞受賞(大阪市交通局の車両では初)。6001・6501の客室内乗務員室扉上にローレル賞受賞記念プレートが取り付けられていた。当初5両編成だったが1979年(昭和54年)に6両編成(15本)、1993年(平成5年)には8両編成(9本)に組替えられた。このため一部先頭車は運転台を簡易撤去して中間車化されたほか、6両編成への組替え時に連結された付随車は大半が電動車から電装解除された車両である。当初製造された全90両の後、追加生産はされなかった。製造当初は前面腰部のアルマイト板を赤く着色していたことから「頬紅電車」と呼ばれていたが、後年ラインカラーの制定により茶色(ビビッドブラウン)に変更され、併せて側面にも交通局シンボルマーク入りの茶帯が入るようになった。この時に側面幕板部に設置されていたシンボルマーク入りプレートは撤去された。ただし、先頭車を中間車化したものは前面腰部の着色部は変更されず、保守されずに褪色していたが頬紅色のままであった。また、前面窓下には乗り入れ先の阪急の車両に準じて行先表示板を受ける金具が取り付けられ、EXPO準急での運用の際に使用されていたが、後年撤去された。設計最高速度は100km/hであったが、阪急線内の運用に当たっては無改造で110km/hで運用されていた。架線集電である特性を生かして、補助電源に当時最新鋭の静止型インバータ(SIV)を採用し、保守点検の簡易化を図っている。また、大阪市営地下鉄では初めて、床下に暖房装置を搭載した。地上線での高速走行時の乗り心地を確保するために、台車に住友S型ミンデン式のFS-373(T台車:FS-073/局内MS-60)を採用するなど、当時の大阪市営地下鉄では「初物づくし」の車両であった。座席はロングシートであった。新製時は同年に製造を開始した30系などと同様に、人間工学に従って設計されたとされるFRP製の枠に発泡ウレタンを詰め物として使用し、ビニールレザーを張った座席を備えていた。また第14編成のみ、セパレートタイプの座席になっていた。しかし、座り心地のよい阪急車両の座席と比べて極めて座り心地が悪く、乗客から不評だったために、後に通常のモケット張り座席に交換されている。旧座席は一部から「(大阪名物)カチコチシート」や「ベンチシート」などと揶揄された。天井にはファンデリアが運転台付き車両は7基、中間車は8基設置された。なお冷房改造時に車体更新が実施された編成は、内装化粧板を白系に張り替え、座席を66系とほぼ同等のものに交換し、一部車両には車いすスペースも設置している。1985年(昭和60年)に阪急の車両が全車冷房化された後も非冷房のままで阪急線を運行しており、夏場は乗客から大変不評であった。このため、冷房化の要望が交通局に多く寄せられた。そこで1990年(平成2年)から第01編成を筆頭に02、03、11、12編成に冷房装置の設置改造がなされた。冷房改造と同時に側面方向幕の取り付けと方向幕の電動化も行われた。第02、03、11、12編成には同時に内装のグレードアップ、乗降扉の新品への交換などの更新工事が行われた。なお、冷房装置の取付によって自重が増すことから、T車台車は廃車発生品のM台車に全車履き替えられた。1990年(平成2年)に60系の後継車両として66系が製造され、1992年(平成4年)から第05編成を皮切りに廃車が始まった。ほぼ同時期に8連への組み替えが行われ、第01~04、06、07、11、12、14の9編成に再編されるが、組み替えから漏れた余剰車と冷房改造・車体更新が施工されなかった4編成は1995年(平成7年)までに廃車となり、第01、02、03、11、12編成の8連5編成のみが残った。ここで廃車は一旦中断したが、66系の6・7次車の登場で、2002年(平成14年)から再び廃車が始まり、第02編成を最後に系列消滅となり、後述の6014号車を残してあとの89両はすべて解体された。落成から廃車まで一貫して堺筋線と同線に相互直通運転する千里線の(天神橋筋六丁目 - 北千里間)および阪急京都線(淡路 - 高槻市間・一部列車は相川または正雀始発着)の普通で使用されていた。ただし例外として1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)開催時の臨時EXPO準急運用(動物園前 - 北千里)に就き、またイベントで桂まで入線したことがある。なお、2003年(平成15年)9月13日~21日の間、大阪市交通局100周年記念イベント列車「過去発 → 未来行タイムトレイン」に本形式が使用された。原形を保つ非冷房車の6014号車が森之宮車両管理事務所に静態保存されているが、通常は非公開である。2008年3月23日に開催された地下鉄開業75周年記念イベント「なつかし車両まつりin森之宮」において、初めて一般公開され、後に登場時の姿に復元された。この際、ラインカラーは剥がされ、ホホ紅、方向板フックが復元されている。また6001号車に取り付けられていたナンバープレートとローレル賞受賞記念プレートも同所に保管されている。
出典:wikipedia
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