東京大学は欧米諸国の諸制度に倣った、日本国内で初の近代的な大学として設立された。東京大学には、特に創立時に明文化された建学の精神はない。しかし、国立大学法人化に伴い、現在は「東京大学憲章」が定められている。東京大学憲章は、「大学」としての使命を公に明らかにすることと、目指すべき道を明らかにすることを目的として学内有識者会議によって制定されたものである。学部教育の基礎としてリベラル・アーツ教育(教養教育)を重視することを謳っている。東京大学は、主な3つのキャンパスごとに教育内容・研究内容を異にする。教育内容の面では、主に教養課程を実施する駒場キャンパス、専門教育を行う本郷キャンパス、大学院課程のみの教育を行う柏キャンパスに分けられる。また研究内容の面では、伝統的な学問領域の研究を行う本郷キャンパス、学際的な研究を行う駒場キャンパス、新しい学問領域の研究を行う柏キャンパスに分けられる。こうしたキャンパス分立体制は、学部ごとにキャンパスを分けることの多い他の大学と比べると珍しい形態である。さらに、現在でも学部入学時の教養課程を分化して設置していることも、日本国内の大学では珍しい存在となっている(設立の経緯から、大学予備門・大学・工部大学・東京開成学校・東京医学校などが統合して出来た大学でもあるからである)。上述した通り、リベラル・アーツ教育を重視しているのが東京大学の教育の大きな特徴である。教養学部前期課程において教養教育科目が開講されているが、その実施には東京大学のすべての学部・研究科・研究所が参加している。主に担当する教養学部では、各大学1件ずつしか応募できない特色ある大学教育支援プログラムに「教養教育と大学院先端研究との創造的連携の推進」で応募したことが、大学として教養教育を重視していることの現れであるとしている。2016年10月現在、ノーベル賞受賞者の中で、東京大学が学士の学位を授与した卒業生は8名、博士の学位を授与した卒業生は7名となっている。現在、東京大学は一層の国際化推進を図り、総長直轄の本部組織である国際連携本部を中心とした国際化推進計画を進行させている。国立大学法人になって以降、積極的な改革を行っている。商標登録などのブランド力向上の施策(#シンボルマークを参照)、知的財産移転に関する関連団体の設立、任期付講師の積極的な外部からの登用、学外識者も参加する大学運営理事会などである。また、教育というサービスを提供する観点から、学内にレストランやコンビニエンスストアなど外部テナントの誘致を進めてきた。本郷キャンパスにはスターバックスやサブウェイ、ローソンなどが店舗を構えており、医学部研究棟にはイタリアンレストランが入るなど、アメリカの大学のように施設を誘致している。情報発信を強化するために、学生がホームページなどの運営をしている。高度経済成長期において、東京大学の入学試験は、日本社会に対して様々な社会的影響を与えていた。2014年の志願者数は12,462人、入学者数は3,159人であった。平均倍率は3.94倍である。2016年入試で初めて推薦入学制度を導入した。2014年の志願者数は6,973人、入学者数は3,248人であった。大学評価の世界的指標の一つである、タイムズ・ハイアー・エデュケーションによる「世界大学ランキング 2015-2016」では、第39位、アジア第4位(同誌の世界大学名声ランキングでは第12位)である。東京大学の起源は、1684年(貞享元年)に江戸幕府が設立した天文方と、1858年(安政5年)に江戸の医者の私財によって設立された神田お玉ヶ池種痘所、1797年(寛政9年)に創設された昌平坂学問所(昌平黌)である(1871年に廃止されたため組織的に直接の繋がりはない)。天文方はその後、1857年(安政4年)に蕃書調所、1862年(文久2年)に洋書調所、1863年(文久3年)に開成所と変遷していった。また、種痘所も1860年(万延元年)に江戸幕府へ移管された後、1861年(文久元年)に西洋医学所、1863年(文久3年)に医学所と変遷していった。これら3つの江戸幕府直轄の教育機関は、明治政府が1868年(明治元年)に、開成学校、医学校、昌平学校として復興した。それぞれ洋学、西洋医学、国学・漢学の教育機関であったが、1869年(明治2年)にはこれらを統合するため、昌平学校が大学校(本校)となり、開成学校および医学校が大学校分局とされた。同年のうちに大学校、開成学校、医学校は大学、大学南校、大学東校と改称されたが、1870年(明治3年)には学制改革により大学が閉鎖されてしまう。1871年(明治4年)に大学は廃止され、大学南校、大学東校は南校、東校と改称された。両校は1874年(明治7年)にそれぞれ東京開成学校、東京医学校と改称された。1877年(明治10年)4月12日に東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学となり、校名に「大学」の文字を持つ日本で初めての近代的な大学が設立された(なお、4月12日は現在「東京大学記念日」となっており、この日に入学式が行われている)。ただし学士の学位を授与する機関としては1876年(明治9年)設置の札幌農学校(現在の北海道大学)に次ぐ2番目に古い高等教育機関とされる。本稿ではこの経緯から創立は天文方の設置年である1684年、設立は東京大学が誕生した1877年としている(なお、日本最古の大学については大学寮参照)。東京大学設立後の沿革については以下の年表を、歴代の総長については歴代総長を参照のこと。その他、創立以来日本全国各地に研究施設、実習施設、課外活動施設を設けている。東京大学のカレッジカラーは淡青(ライトブルー)である。これは東京大学ボート部が1920年9月24日、京都大学と初めてボート競技を行った際、乗るボートをくじ引きで決めたところ、京都大学は濃青、東京大学は淡青となったことに由来する。また、各学部ごとのカレッジカラーも存在する。東京大学のシンボルマークは黄色と青(淡青)の2枚の銀杏の葉を組み合わせたもので商標として登録(登録商標日本第4871651号)されている。このシンボルマークは「東大マーク」と呼称されるが、商標は図案のみの登録で「東大マーク」という名称は商標登録されていない。この「東大マーク」は国立大学法人化された時に制定されたが、東京大学にはそれ以前から様々なところで使用されてきた銀杏のマークがあり(銀杏の葉の形状は「東大マーク」と類似している、中央に「大學」と書かれている)、「東大マーク(旧)」と呼ばれている。「東大マーク(旧)」は1948年に「銀杏バッジ」として制定されたものであり、正式な校章ではない。「東大マーク(旧)」も商標登録(第4868079号、図案のみ)されている。「東大マーク」および「東大マーク(旧)」の図柄は公式サイト内の東大マーク・東京大学の歌に掲載されている。なお、駒場Iキャンパスでよく見られる3枚のカシワの葉を組み合わせたマークは、旧制第一高等学校のシンボルであり、現在は大学院総合文化研究科・教養学部のシンボルマークである。東京大学には校歌が存在しないが、応援歌『ただ一つ』と運動会歌『大空と』が「東京大学の歌」として公認されている。また、「学生歌」として『足音を高めよ』が存在する。各種学校/専門学校から帝國大學令を廃止して旧制の新「大学令」により1920年以降に旧制大学に昇格した歴史は東大には無く、最初から大学として存在するため、校歌というよりもむしろ、「学生歌」だけの存在で代替できるとの見解もある。2004年6月に東京大学の校歌についての検討会が設置され、『大空と』を暫定的に校歌とする提案がなされた。しかし、『ただ一つ』の方が親しみがあるという意見が多く寄せられたため、『ただ一つ』と『大空と』を校歌ではなく「東京大学の歌」と位置付けた。これに加え新しい「東京大学の歌」の歌詞を公募したが、入選作品はなく、今後の対応は2005年4月現在検討中である。東京大学で現在も歌われている歌には以下のようなものが存在する。各曲の楽譜・歌詞・音源は、公式サイト内の東大マーク・東京大学の歌に掲載されている。また、これらの歌が収録された CD も東大生協で販売されている。東京大学内の大学生協や購買部などでは、商標登録された図形商標および The University of Tokyo 名を入れた商品なども販売している。報道各社では東大ブランドと使うときには、こちらの商品以外のものにも使われる場合がある。大学公認の商品の場合には、図形商標および The University of Tokyo 名が入った商品が大学公認のものである。なお、校章の入ったものは、学生証、本部出版物などに限られている。三菱UFJニコスと提携し、同窓生向けのクレジットカードを発行している。黒を基調にした一般カードとゴールドカードがある。付加機能としては総合図書館の入館証(2011年以降発行者は利用不可)、東大生協での会員と同等の割引サービスの適用(別途、生協への申し込みが必須)がある。学部卒業者数の累計は276,803人(2016年3月31日現在)である。大学院修了者数の累計は129,035人(2016年3月31日現在)である。論文博士の取得者数は29,335人(2016年3月31日現在)である。職員数は10,246人(2013年5月1日現在)である。東京大学では、学部入学者全員が教養学部へ一旦所属し、2年間の教養学部前期課程を経て、進学振分けにより各学部学科へ進学する制度を採用している。なお、教養学部においては、学部専門教育組織としての後期課程、そして大学院研究科として総合文化研究科もある。東京大学の学部入学者は全員が6つの科類(文科一類、二類、三類、理科一類、二類、三類)に分かれて教養学部に所属し、2年間の前期課程を履修する。その後、教養学部も含めた10学部に分かれて2年間(ただし医学部医学科、農学部獣医学課程、薬学部薬学科は4年間)の後期課程を履修する。前期課程から後期課程への進学時に行われる進学振分けについては東京大学大学院総合文化研究科・教養学部#進学振分けを参照。なお、後期課程(3年次)への編入学、学士入学を行っている学部もある。特記している以外の専攻には修士課程および博士後期課程が設置されている。各学部、大学院各研究科が運営・管理している組織。各組織は教育および研究課題別に組織されており、学部附属が教育組織・実習組織、センターが大学院研究科毎の研究室に相当する組織。研究課題や共同研究によっては、学外からの利用も可能。専門研究、大学院教育を行う。研究課題によっては、学外からも利用可能。東京大学教員、学生全てに開放されている。学生証のIDおよび教員のIDで利用可能。大学共同利用の場合にも開放している。総合研究博物館は学外にも開放されており、企画展なども開催されている。東京大学附属図書館は本郷キャンパスの総合図書館、駒場キャンパスの駒場図書館、柏キャンパスの柏図書館と、5つの部局図書館、21の部局図書室から構成されている。蔵書数は全館合計で約926万冊、国内の大学機関で最も多い。卒業生でも利用カード、あるいは東京大学卒業生カードを作れば利用が可能である。東京大学全体の学術の卓越性の向上および国際化を強力に推進するため、全学組織である「東京大学国際高等研究所」(TODIAS) を2011年(平成23年)1月1日に設置した。世界最高水準の研究と、国際発信力を強化し総合研究大学としての国際的プレゼンスを高めることなどを達成目標としている。東京大学総長室直属の研究機構。最大の目的は、研究分野毎の研究科連携を進める学際横断型研究機構および専門研究機構からなる。総括プロジェクト機構が大学本部内機構。事務部門の効率化を進め、各研究分野毎の公平性を保つことを目的にしている。東京大学総長を会長とする財団法人。正確には附属機関ではなく独立採算制を執る独立した機関であるが、東京大学本郷キャンパス内に事務所があることや東京大学関係者の書籍を発行することを目的としているため、本節にまとめた。主に学術書や大学の講義で使う教科書などを出している。東京大学の教養教育は、カリキュラムこそ現代に合わせて変化しているものの実質的に旧制高等学校時代で重視されていた教養教育の流れを汲んでいる。大手予備校などの教育関係者やマスメディアの間では、旧制高等学校からの教養教育体系がそのまま維持されている大学は、現在の日本では東京大学以外存在していないという評価がある。これは現在の日本では実学が重視されており、多くの大学で教養教育を大幅に縮小するというカリキュラム改変が実施されているためである。文部科学省の国公私立大学を通じた大学教育改革の支援プログラムに採択されたプログラム名を以下に掲げる。学生の家計について、所得評価額が基準値以下の場合に授業料の半額~全額を免除、また総所得が218万円以下(給与所得のみの場合は400万円以下)の場合は原則として授業料全額が免除される制度が存在する。これにより、入学試験合格者のうち年収450万円以下の家庭の占める割合は18%となった。ただし、私費外国人留学生については、外国人留学生奨学金(150,000円/月)受給時に、授業料減免申請の取下げ手続きを行うこととする。2010年に、創立史上初の学位の取り消しが行われた。2003年3月28日に博士(工学)の学位を授与されたトルコ国籍の大学院工学系研究科博士課程学生(その後、大学院工学系研究科建築学専攻助教となっていた)について、不正な方法で学位を受けた事実が判明したため、学位を取り消すこととなった。28件のプロジェクトが採択された。17件のプロジェクトが採択されている。注:21世紀COEプログラム、グローバルCOEプログラム以外にも通常の研究教育活動や、特に科学研究費(略:科研費)による研究は行われている。なお、科研費以外にも研究テーマによって、特別研究費・企業委託研究費・採択研究費(特定領域など)の研究費があり、これらが研究活動の源泉となっている。例として、GRAPEプロジェクトは、採択研究費と企業委託研究費(委託研究員も受け入れている)からなる。また、寄附講座によって運営される研究室もあり、この場合には教職員は企業からの派遣によって成り立っている(研究費は企業からの持ち出しであり、税額控除対象となっているようである)。東京大学で世界的に著しい功績を挙げた教授あるいは勤務した者に対して授与される終身称号のことである。東京大学より称号の授与とともに栄誉手当が支給される。2004年4月1日に「東京大学特別栄誉教授規程」を制定し、2005年1月1日付で4人の東京大学元教授に初めて東京大学特別栄誉教授の終身称号を授与した。2005年には独立採算制による株式会社「東大TLO」を設立し、研究成果の特許化および特許流通を進めることになった。研究成果を広く社会に認知してもらうことと、大学研究資金の一助としての活動が期待されている。なお、TLO組織は会津大学より始まり、東京大学でも2008年度から特許流通事業を開始したところである。課外活動を行う団体・組織は、大きく分けて運動会とサークルに分かれる。このうち運動会は一般に他大学で称されるところの体育会に当たる。学部生は原則として全員運動会に入会するので、学部生であれば誰でも御殿下記念館などの運動施設の利用、運動会主催の各種大会・講習会への参加、保健体育寮「スポーティア」などでの宿泊等が可能である。大会等に出場するには、運動会に属する部に所属する必要がある。運動系の活動は、運動会に属する部の他、サークルに参加しても行うことができる。音楽系や文化系の活動を行う場合には、サークルに参加することになる。学部生・院生・研究生・教職員・卒業生・元教職員などを会員とする財団法人。学部生は原則として全員加入であり、年会費が必要。アメリカンフットボール部や漕艇部、硬式野球部、応援部は有名である。全国七大学総合体育大会の参加校で、2009年より京都大学との間で東京大学京都大学総合対校戦も開催されている。大きく分けて、学生部(もしくは各学部)学生課の管轄下にある学生団体と、教養学部学友会(同窓会の連合体としての東京大学学友会とは別組織)に加盟しているサークルの2つに分けられる。またこのどちらにも属さない非公認サークルも存在する。大学当局の公認サークル。団体設立には必ず顧問教官を置く必要があるほか、本郷キャンパスにサークルの活動拠点になるような場所が事実上存在しないため、サークル活動を維持するには駒場キャンパスでの便宜を受けられる学友会加盟サークルで十分な場合が多いなどの理由から、公認を受けないサークルが多い。教養学部の学生自治団体の一つである学友会に加盟しているサークル。サークル設立に際し顧問教官を置く必要がない上、学友会を通じ大学からのサークル援助金を受け取ることが可能。また援助金以外にも部室の確保など、駒場Iキャンパスにおけるサークル活動を行う際の便宜が十分に得られることから、大半のサークルはこちらを選択している。かつては各学部の学生自治会の連合組織として学生自治会中央委員会が置かれていたが、現在は存在していない。学生自治会ないしそれに相当する自治団体としては、教養学部前期課程の東京大学教養学部学生自治会、法学部の東京大学法学部緑会、医学部自治会などがある。五月祭(本郷キャンパス)と駒場祭(駒場キャンパス)の2つがある。五月祭は研究発表が中心であるのに対して、駒場祭は教養学部前期課程に在籍している学生の活動の発表を中心に行われている。五月祭(ごがつさい、May Festival)は東京大学本郷キャンパス(弥生地区も含む)で開催される大学祭。五月祭常任委員会により開催されている。例年5月末の土日の2日間にかけて開催されている。五月祭の起源は、1923年5月5日に東京帝国大学で催された第1回大園遊會であり、その後、全学大懇親會、全学公開と名称が変わり、1933年に現在の名称になった。駒場祭と違い、五月祭ではテーマがある回とない回がある。駒場祭(こまばさい、Komaba Festival、略称:駒祭)は東京大学駒場Iキャンパスで開催される大学祭。教養学部前期課程の学生を中心に構成される。駒場祭委員会により開催されている。例年11月下旬勤労感謝の日付近の3日間に開催される。駒場祭の起源は、1891年(明治24年)に旧制第一高等学校(一高)で開催された第1回紀念祭にまでさかのぼる。1950年(昭和25年)3月一高が廃止され、新制東京大学に移行した後、同年11月25日に第1回駒場祭が開催され、現在に至る。初代委員長は小倉寛太郎。総長は、学内選挙によって選出される。大学の管理責任者であるのみならず、東京大学という学問の府を象徴する存在として機能している。理事(国立大学法人法の定めにより7名以内)は総長が任命し、総長と理事で役員会が構成される。このほか、幹部職員として副学長(若干名)や監事(2名)、副理事(若干名)等が置かれている。このうち、監事は文部科学大臣が任命する。学生新聞「東京大学新聞」を発行している財団法人。編集部はすべて東京大学の学生で構成されており、新入生募集などが一般のサークルと一緒に掲載されることもあるが、東京大学教授を理事長とする財団法人である点が大きく異なる。東京大学の活動の発展に顕著な功績のあった個人、法人あるいは団体に授与される。2002年度から授与されている。具体的には、私財の寄付、ボランティア活動、寄附講座設置などを行った者が対象とされている。稷門は、中国の戦国時代の斉の首都・臨淄の城門の名前である。斉の威王、宣王が学者を都に集めたため、学府として栄えたことに由来する。各学部・学科ごとに同窓会が分立している。これは、東京帝国大学時代に各学部(分科大学)の独立性がとても大きかったことの名残である。近年は、全学的な同窓会連合組織である「東京大学同窓会連合会」や「赤門学友会」が発足している。卒業生個人は各学部ごとの同窓会や赤門学友会に加入できる。この他に、サークル・ゼミ・クラス単位の同窓会や地域ごとの同窓会もある。また、女子卒業生のみ(女子在学生も入会可能)の「さつき会」もある。駒場友の会は駒場キャンパスの同窓会としての性格をもっている。1886年に東京帝国大学卒業生によって設立された同窓会組織であり、旧帝国大学出身者および教授・准教授(助教授)・学長とその経験者で構成されている。2008年度まで本郷キャンパスの赤門付近に学士会分館があったが、一帯の再開発計画(経済学部学術交流研究棟など)に伴い閉鎖された。1965年から毎年夏季に開かれていたビアガーデンも2007年度を最後に廃止された。東京大学は新制大学となってから長い間(日本全国に分布する研究施設などを除くと)本郷・駒場の主要2キャンパスで構成されていたが、1992年6月に立案された三極構造構想に基づいて柏キャンパスが設置されてからは、本郷・駒場・柏が主要キャンパスと扱われるようになった。現在、東京大学公式サイトでは、これらに白金・中野を加えた5キャンパス体制を謳っている。本郷・駒場・柏はさらに複数のキャンパスに分かれている。「東京大学キャンパス計画委員会規則」(平成14年2月19日評議会可決)では、「『本郷地区』とは本郷、浅野および弥生の各キャンパスをいい、『駒場地区』とは駒場第一および駒場第二の各キャンパスをいい、『柏地区』とは柏キャンパスをいい、『検見川・西千葉・柏II地区』とは検見川、西千葉および柏IIの各キャンパスをいう」と定義されていたが、2007年1月の「柏地区キャンパス開発・利用計画要綱」(平成7年12月12日評議会承認)の改正により、現在では柏IIキャンパスは柏地区キャンパスに含まれることになっている。東京大学構内には歴史的建築が多数存在するため、代表的な建造物については東京大学の建造物で詳しく解説している。後期課程と大学院のほとんどが設置されているキャンパス。教養課程などが設置されているキャンパス。自然科学系研究所などが集中設置されているキャンパス。「白金地区」あるいは「白金台キャンパス」とも呼ばれる。「中野地区」とも呼ばれる。旧制東京高等学校が所在した場所である。現在は東京大学教育学部附属中等教育学校が所在する。1962年に東京大学海洋研究所が設置されていたが、2010年4月に東京大学大気海洋研究所として柏キャンパスへ完全移転した。この他、スーパーカミオカンデ、農学生命科学研究科附属演習林、医科学研究所附属奄美病害動物研究施設など全国各地に研究施設を持つ。東京大学大講堂は「安田講堂」の異名を持ち、赤門(次節を参照)と並んで東京大学を象徴する建物となっている。東大紛争の際に発生した東大安田講堂事件は昭和の事件史では必ず取り上げられるエポックとなっている。本郷キャンパスの校門の一つである。正門ではない。1827年に建てられた、旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門である。御守殿門は一般に焼失しても再建を許されない慣習があり、貴重な現存物となっている。1931年に国の重要文化財に登録された。「赤門」は東京大学の異称にもなっている。第二次世界大戦前における日本国内の大学の異称にも影響を与え、「○門」という異称を持つ大学を増やした。東京大学医学部が自ら名乗る異称である「鉄門(てつもん)」も、赤門に影響されて付けられたものと推測されている。テレビなどで東京大学を紹介する際にも、東京大学の象徴としてよく背景に用いられる。東京大学には以下の4つの学生寮がある。前期課程学生は三鷹国際学生宿舎または白金学寮に入寮できる。千葉市花見川区にある。運動場の利用は東京大学関係者に限定されていない。かつてはゴルフコースや検見川学生寮があり、地方から上京した学生が東京都内の駒場、本郷のキャンパスに通っていた。部活動やサークルの合宿が行われることも多かったが、現在はあまり使用されていない。大賀一郎博士(当時・関東学院大学非常勤講師)が、1951年(昭和26年)に約2000年前の地層から古代ハスの種子を発見した場所でもある。このハスは大賀ハスと名付けられ、このため植物学者の間でも著名な場所となっている。朝日新聞社と連携して度々シンポジウムや世論調査を含む共同調査などを行っている。以下の附属学校がある。本学への優先的入学制度はない。
出典:wikipedia
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