湯平温泉(ゆのひらおんせん)は、大分県由布市湯布院町湯平(旧国豊後国速見郡)にある温泉。その歴史は、隣接する由布院温泉よりも古く、伝承では鎌倉時代に始まるとされ、史料でも室町時代には存在していたことが確認されている。昭和の町村大合併で旧由布院町と合併して旧湯布院町となる以前は、療養型温泉として著名で、戦前は別府温泉に次ぐ、九州で第2位の入湯客を誇る温泉地として知られていた。ナトリウム-塩化物・硫酸塩泉飲泉時に胃腸に対する効能が特に優れているとされる。温泉水を料理に使ったり、飲用で提供したりする旅館も存在する。かつてはこの温泉水を全国に出荷していた。花合野川沿いの谷間に温泉街が広がる。温泉街の通りには江戸期に作られた石畳が敷かれ、その両側に飲食店や土産屋、共同浴場、旅館が並ぶ。温泉の旅館・ペンションなどが共同で営業するショットバーも存在し、昔ながらの雰囲気だけではなく新しいものも取り入れられている。人気の由布院温泉にも近く、最近は若年層を中心とした宿泊者が増加傾向にある。共同浴場は以下の5軒が存在する。上流部から順に記す。入浴料は1箇所につき100円 - 200円であるが、管理人は常駐しておらず、各浴場の入り口付近に祀られた地蔵の賽銭箱に入浴料を投入する。当温泉の宿泊施設の宿泊者は無料である。実際のところは、江戸期、明治期に大火のため、湯平温泉の歴史を記す古文書の多くが消失してしまったため、その歴史をたどるには、湯平の外の文献に拠るしか方法がない。一説では、大昔に木樵が猿が湯に入っていたところを見て、温泉があるのを発見したという開湯伝説がある。その効能の高さから、古くから湯治客が多く訪れ、鎌倉時代には既に湯治場として開けていたとされる。史料でも、室町時代には温泉が存在していたことが確認できる。現在の温泉街の象徴的光景ともいえる石畳は、約300年前の江戸時代に、住民たちにより花合野川の石を用いて作られた。明治時代に2度あった大火からの復興時も、石畳が取り壊されることはなく、石畳の道を中心として町並を復興した。1930年には、種田山頭火がこの地を訪れている。1959年5月4日、厚生省告示第115号により「湯布院温泉」として、由布院温泉とともに国民保養温泉地に指定。
出典:wikipedia
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