スティーヴン・フレデリック・セガール(Steven Frederick Seagal, 1952年4月10日 - )は、アメリカ合衆国の俳優で、テキサス州ハズペス郡保安局の執行官。合気道七段。ユダヤ系の父とアイルランド系の母のもとミシガン州ランシング市に生まれる。7歳から格闘技に接する。青年期はカリフォルニア州フラートン市で過ごす。カリフォルニアにあるアミューズメント施設のジャパニーズ・ディア・パーク ("Japanese Deer park") で空手道の実演をした。17歳で来日して英語を教えながら、禅や合気会で合気道を学び始める。そのほかにも剣道・柔道・空手道や、太極拳など複数の日本武道と中国武術を学び、合気道は七段を允許されている。1975年に大阪府十三にある合気道道場の娘・藤谷美也子と結婚し、大本へ入信。藤谷文子と剣太郎セガールを設けたが、1983年にアメリカへ帰国した。1984年、女優のアドリエーン・ラルッサと結婚。この時点でセガールは事実上の重婚となる。1986年には、最初の妻・美也子と離婚が成立。その後、『ハード・トゥ・キル』で共演した女優のケリー・ルブロックと交際をはじめ、ラルッサとは1987年に離婚した。同年9月5日にケリー・ルブロックと再婚し、一男二女を授かるが、1996年に離婚。その当時、ベビーシッターだったアリッサ・ウルフと不倫し、一女(サバンナ)をもうけている。2009年にはモンゴル出身の女性と再婚した。2012年1月からテキサス州ハズペス郡保安局で執行官(警察官)を務める。17歳の時から10年以上大阪府に滞在していたため、日本語が堪能。千葉真一と親交があり、千葉がハリウッドに拠点を移してからは、セガールが流暢な大阪弁で「千葉先生、居てはりまっか?」などと、頻繁に千葉へ連絡している。淀川長治とも日本語で対談を行い、淀川の「日本語がお上手ですね」に対してセガールは「恐れ入ります」と応えた。初主演作品の『刑事ニコ』のオープニングシーンおよびコンベンションセンターでのシーンや、2005年公開の映画『イントゥ・ザ・サン』では日本語の台詞を用いているほか、いくつかの作品では日本語の単語を台詞の中で用いている。2008年正月、『奪還 DAKKAN -アルカトラズ-』のテレビ放映時に出演し、「あけましておめでとうございます」と挨拶をし、日本語で映画のみどころをアピールした。しかしコメントの締めの日本語を言い間違えたあと苦笑いをし、「日本語はもう20年ほど話していなかった為、忘れてしまった」とやはり日本語で語っている。それでもコメディアンで画家のジミー大西がTV番組のロケでアメリカを訪れた際、たまたまロケ現場に居合わせたセガールはジミーに「おう。元気か」「自分、大阪は何処?(ジミーが関西弁を話していた為)」「ウチはどこや」「新宿か。新宿の何処だ。四谷か。そうか」等、話しかけるなど、流暢な日本語でやり取りをしていた。『情報プレゼンター とくダネ!』に出演した際、シルヴェスター・スタローンが『ロッキー・ザ・ファイナル』の製作を発表したことについてコメントを求められ「彼は最近仕事がないから」、「品のある年の取り方をして欲しい」と答え、さらにデーブ・スペクターとパパラッチ問題について語り合ったが、デーブとのやり取り含め、全て日本語である。日本のテレビコマーシャルにも多数登場し、日清食品のカップうどん・ごんぶとのCMでは日本語で演技を行い、アリナミンAの爆走する車の屋根につかまり「こう見えても、疲れまんねん」と言うCMシリーズでは娘・藤谷文子と共演した。大阪在住時に阪神タイガースのファンとなり、タイガースの低迷期に朝日放送のインタビューで「今年もまた負けたらしいのう。わしゃ、もう情けないわ」と大阪弁でコメントしている多くの日本刀を所有し、長く伸ばした髪を後ろで束ねたヘアースタイルは、侍の髷を意識したものである。しかし『DENGEKI 電撃』ではジョエル・シルバーが役作りのため、減量と髷を切るように指示され、従った。映画の宣伝のために来日した際には、インタビューや出演したバラエティー番組等で大阪仕込のノリツッコミを披露し、尊敬する俳優は三船敏郎・志村喬と答えている。ゴジラのファンで、2004年に映画『ゴジラ FINAL WARS』が公開された際には日本のテレビ番組に出演し、ゴジラへの思い入れを得々と語ったことがあり、文子は平成ガメラ3部作のすべてに出演している。日本食のうちマグロの刺身は苦手だというが、『世界バリバリバリュー』出演時にはマグロの姿造りをホテルで特別注文させて、娘とリポーターの山崎まさやとで普通に食べていた。。反戦・反核というスタンスを明確にしており、2005年には世界最初に個人として核兵器解体基金に10万ドルの寄付をしたが、この姿勢は日本に居住していた際、広島・長崎の人々と触れ合うことによって生まれたものだという。仏教徒である。2011年に東日本大震災が発生したとき、「日本の皆さまが一生懸命、日本の苦しみをみんなが同じ苦しみを感じているからできることだけを、一生懸命日本が盛り上がるように、強くなれるように一生懸命応援しています。」と日本語でコメントした。副業として20年以上警察官をしていると主張しており(彼が「警察官」として勤務していると主張しているカリフォルニア州とルイジアナ州は彼の警官としての資格を否定しており実際には「警察官」ではなく「警察ボランティア」に過ぎない、また「勤務」の際には特別に編成されたボディガードチームが同行しており後述のリアリティ番組のためのプロモーションだと指摘されている)、ルイジアナ州ジェファーソン郡の正式な保安官代理である。彼に密着したリアリティー番組『スティーヴン・セガール:ローマン(原題)/ Steven Segal : Lawman』(日本におけるタイトルは『実録!スティーヴン・セガール警察24時!』)は日本では2011年5月3日に発売された。2012年よりテキサス州の国境警備隊員として勤務している。「」という栄養ドリンクをプロデュースした。映画中で、ギターを上手に演奏するシーンがあることから分かるとおりギター愛好家で、ヴィンテージのギターやカスタムのアンプなどを大量に保有している。腕はかなりのもので、雑誌『Player』で2005年12月号、2006年3月号で特集された。2005年にはアルバム『Songs From The Crystal Cave』でミュージシャンとしてもデビューしており、このアルバムではゲストミュージシャンとしてスティーヴィー・ワンダーも参加している。遅刻と早退の常習犯で、『沈黙の脱獄』と『沈黙の傭兵』を製作したキル・マスター・プロダクションとニュー・イメージから、映画製作を遅らせたとして訴えられた。その訴訟内容の中には勝手に脚本を書き換えたり、取り巻き連中による撮影の妨害という内容まである。ジャッキー・チェンとは彼がまだ香港映画にしか出ていない頃からの親友であり、彼のハリウッド進出を歓迎した。主演作の邦題には「沈黙の~」で始まるものが多いため、まとめて『沈黙シリーズ』と呼ばれることが多いが、実際のシリーズ作は『沈黙の戦艦』とその続編『暴走特急』(シリーズ原題『Under Siege』)のみである。他は日本国内での配給権を得た会社が、配給会社にかかわらず、原題とは無関係に「沈黙の~」としているにすぎない。当初は作品によって声優が異なっていたが、『沈黙の戦艦』以降、ソフト版を玄田哲章、テレビ朝日版を中心に大塚明夫が担当する形だったが、2000年代からは媒体を問わず大塚が専属で担当している。ちなみに玄田自身はセガールは明夫君の持ち役だとインタビューで語っている。また、セガール自身日本語に堪能であるが、東京を舞台にした『イントゥ・ザ・サン』を除き、出演作において本人が吹き替えを担当した事はない。なお、セガール本人の声は、どちらかと言えばややか細く優しい感じで、その勇ましい顔つきとは対照的である。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。