兵庫県南部地震(ひょうごけんなんぶじしん)は、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒(日本時間=UTC+9)に発生した地震である。兵庫県南部を中心に大きな被害と発生当時戦後最多となる死者を出し、この震災を阪神・淡路大震災と称する。日本で初めて大都市直下を震源とする大地震で、気象庁震度階級に震度7が導入されて以来、初めて気象庁によって震度7が記録された地震である。地震の震源は野島断層(六甲・淡路島断層帯の一部)付近で、地震により断層が大きく隆起して地表にも露出している。なお、1996年9月30日まで運用されていた旧震度階級では最初で最後の震度7が記録された地震である。これ以降は、観測員の体感での震度決定ではなく、より客観的とされる機械計測となった。以後、震度7と観測された地震、「新潟県中越地震」2004年(平成16年)10月23日、「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」2011年(平成23年)3月11日、「平成28年熊本地震」2016年(平成28年)4月14日は、いずれも機械計測での震度判定である。気象庁は地震が発生したその日のうちに会見を行い、この地震を「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」(The Southern Hyogo prefecture earthquake in 1995)と命名した。しかし、気象庁による正式名称に先立って毎日新聞が「阪神大震災」と呼び始め、他の報道機関の中にもこれに追随する動きが出始めた。その一方で、朝日新聞や日刊スポーツでは「関西大震災」、読売テレビでは「関西大地震」など、当初は様々な名称が入り混じっていた。2月14日に政府は、今回の災害の規模が大きい事に加えて今後の復旧に統一的な名称が必要であるという観点から、淡路島地区の被害も大きかったことも考慮し、「関東大震災」になぞらえ、災害名を「阪神・淡路大震災」と呼称することが閣議で口頭了解された。2月24日には、5年間の時限立法として阪神・淡路大震災復興の基本方針及び組織に関する法律(1995年(平成7年)法律第12号)が制定、即日施行された。この時から広く「阪神・淡路大震災」と呼ばれるようになり、この名称が現在でも使用されている。震度1以上の揺れを観測した地域は以下の通り。震度1-6は震度計、震度7は現地調査による。地名は当時のもの。地震発生当初は、神戸・明石・洲本の震度6が最大震度とされていた。当時の震度が震度6までは各地の震度計の測定情報を基にした速報体制が敷かれていたものの震度7については倒壊家屋の割合が3割を超えることが基準であったため、後の現地調査によって判定されていたことによる。そのため、気象庁が正式に震度7と判定された地域を発表したのは地震から半月以上経った2月7日である。1948年の福井地震を契機として1949年に震度7が創設されて8段階になった震度で初めて震度7を観測、後述する翌年10月からの新震度移行により「烈震」や「激震」などの別名が廃止されたため日本の地震史上最初で最後の「激震」と呼ばれる地震となった。震度5や震度6では同じ震度でも被害の程度に大きな差があることが指摘され、地震発生や震度などのより早い情報提供を求める声も高まっていた。この反省を踏まえて1995年3月1日には気象庁が発表する地震情報を改編し、地震速報(震度3以上の地域名)・津波予報(津波の到達地域と高さ)・津波情報(津波到達予想時刻、観測時刻、観測波高)・地震情報(震源位置・規模・震度3以上の地域名)・各地の震度に関する情報(震源位置、規模、震度1以上の観測点)の5段階の体制となった。1996年10月1日から震度5と震度6をそれぞれ「弱」と「強」に分けられ、震度7についても震度計を使った10段階による測定に移行、「烈震」や「激震」などと言った別名を廃止した。大阪での震度が4で、大阪よりも震源から遠い京都が5となっている。気象庁が大阪に設置した震度計はひとつだけで上町台地の固い地盤に設置されていたため震度4となっているが、日本道路公団が阪神高速11号池田線の建設現場に設置した震度計が震度7、北大阪急行電鉄が桃山台駅に設置した震度計が震度6を観測している。気象庁は本地震発生後間もなく、各予報区に「ツナミナシ」の津波注意報(なし)を出した。顕著な津波も見られず、津波被害は報告されていないが、各検潮所の記録を解析した結果、淡路島の江井で最大振幅68cm、大阪の深日で同40cmなど、小規模な津波が発生していたことが明らかになった。今村・飯田の津波規模では "m" = -2 であり、地震の規模に対し2段階ほど小さいものであった。堺、泉北および四国側では験潮記録が押し波で始まり、洲本、和歌山および播磨灘側の東二見および広畑は引き波の初動であった。この播磨灘側の引き波初動は本地震において野島断層の西側が沈降した事実と調和的であった。兵庫県南部を中心に大きな被害を出した。死者は発生当時戦後最多となる6,434人、行方不明者は3人、負傷者は43,792人に上り、689,776棟の建物が被害を受け、被害総額は約10兆円に達した。戦後の国内災害では、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に次ぐ被害である。地震前後の測地データを解析および余震の分布などから、兵庫県南部地震を起こした断層は「六甲・淡路島断層帯」で、断層帯南部の淡路島北側の江井崎から伊丹市中心部付近まで南西から北東に伸びる淡路区間と呼ぶ約50km、深さ約5 - 18kmの断層面であった。この断層面の南西の端から始まった断層のずれは、約10秒間に断層全体に広がって大きな揺れを引き起こしたと推定されている。断層面の真上に当たる帯状の地域を概観すると淡路島北部では地下の六甲-淡路断層帯のずれが地上にまで明瞭に現れ、野島断層のずれが地表にあらわれたが、走方向の異なる野島断層の南側にある志筑断層は活動をしていない。一方、本州の神戸市南部では堆積層に隠されたため地面の亀裂が見られた程度で明瞭な断層面は地表には現れなかった。しかし、堆積層下の断層に沿った神戸市須磨区から西宮市の地上には幅1km長さ20kmの『震災の帯』と呼ばれるの帯状の被害集中域が生じ、その地域の揺れが特に大きかったことを示している。この被害の『震災の帯』は六甲・淡路島断層の真上ではなく未知の活断層による物とする説と盆地境で生成された表面波や回折波と増幅干渉効果のためとする説があり、縄文海進より海岸側の沖積平野に集中している。振動データの解析結果より、約10秒間の本震は複数のサブイベントからなる多重震源地震であった。解析結果はいくつかあり、周辺の測量結果からは、5つのサブセグメントの断層モデルが提唱されている。なお、古村(1995)は堆積層内で反射し回析した地震波が、神戸地域で木造家屋を倒壊させやすい周期約1秒のパルス(キラーパルス)となり倒壊被害が拡大したと分析している。余震の推移を見ると震度0の無感以上の地震が本震以後の1995年で2360回、1996年と1997年がともに100回台と次第に回数が減少し、規模も小さくなっている。最大余震は本震と同日の7時34分に起こったM5.4の地震で、奈良で震度4の中震を観測した。2008年4月17日には、大阪湾を震源とするM4.1の地震が発生し、明石市で震度4を観測している。後の研究より幾つかの前兆現象が発生していたことが明らかとなっている。京都大学防災研究所らの観測によれば、1989年終盤から1995年にかけて近畿地方の広域に「急激な圧縮から伸びに転じる」地殻歪み変化が生じていた。この歪みの変化はプレート運動に起因し、急激な変動により兵庫県南部地震が誘発されたと分析している。第3種地震空白域として、一部の研究者により発生位置は予測されていた。また後年のデータ解析により、1992年後半から北摂・丹波山地全体で静穏化現象も生じていた事が判明した。「1994年11月9日以降、兵庫県猪名川町付近で有感の微震が断続的に発生した一連の活動が、前兆であった可能性が高い」とする研究がある一方、「兵庫県猪名川町と本震の震源が40km以上離れており無関係である」とする指摘がある。本震前日の1月16日の18時28分、明石海峡付近を震源とするM3.3の地震が発生し神戸で震度1の微震を観測したのを始まりに16日中に計4回の小さな地震(M3 - 1.5)が観測された。これは大方のところ、翌日の大地震の前震だったと見られている。しかし当時も含め現在、前震から大地震の発生を予測するのは困難であるとされる。これは無数にある地震のパターンからどのようなものが前震であるかいまだに見つけられていないことや、前震を捕らえるためには特定の地域を精密に長期的に観測し続けることが必要なことなどが理由として挙げられる。ただ前震と本震との関連性やパターンが明らかになれば大地震の予知につながるものだとされ、研究が行われている。地震の数日前から直前に至るまでの間に、関西地方を中心として様々な異常現象が見られたという一部の人からの報告がある。異常現象の例として、地下水位(井戸)の水位異常、「地震雲」をはじめに謎の夜間発光現象の目撃情報、ミミズや昆虫の異常大量発生、動物の異常な行動、携帯電話などの電波を用いる機器の異常、太陽・月の光などの異常などである。これらは、宏観異常現象として将来の地震予知に役立つのではないかと考えられている。それらの証言・情報を収集し研究する研究者もいるものの検証不足などが指摘されており、疑似科学程度に過ぎないとされているものが多い。しかしながら地震発生約10年前の1984年から神戸薬科大学において記録が残っている大気中のラドン濃度の異常や地下水位および水中ラドン濃度の変化など、ある程度の有意性が認められているものもある。
出典:wikipedia
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