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プランタジネット朝

プランタジネット朝(プランタジネットちょう、)は、中世イングランド王国の王朝。フランスの貴族であったアンジュー伯アンリが1154年にイングランド王ヘンリー2世となり、1399年にリチャード2世が廃されるまで続いた。ただし、その後に続くランカスター朝、ヨーク朝ともプランタジネット家の男系の傍系であるため、広義ではプランタジネット朝に含まれる。この場合はヨーク朝のリチャード3世が最後のプランタジネット朝の王となる。ヨーク朝を滅ぼして王位を得たテューダー朝およびその後のすべての王朝は、女系でプランタジネット家の血を引いている。アンジュー伯家から興ったことから、その初期(ヘンリー2世からジョンまで)についてはアンジュー朝(Angevin Dynasty)とも呼ばれる。プランタジネット家の前身はガティネ家といい、北フランスのガティネの伯爵家であったが、11世紀に一族のフルク4世がアンジュー伯となり、その家系は以後アンジュー家とも呼ばれるようになった。12世紀にはヘンリー2世の祖父フルク5世がエルサレム王となった。フルク5世はアンジュー伯を長男ジョフロワ4世(または5世)に譲り、エルサレム王位は女王メリザンドとの間に生まれたジョフロワの異母弟ボードゥアン3世、その弟アモーリー1世へと継承されたが、アモーリーの子の代で断絶した。その後、第3回十字軍に出征したリチャード1世(ジョフロワの孫)はエルサレム王即位を要請されたが、これを断わっている。「プランタジネット」とはマメ科の植物エニシダの木(planta genesta:日本名は「金雀枝」)のことで、ジョフロワ4世がエニシダを紋章としていたことから、後に家名となった。ただし、「プランタジネット」を姓として名乗ったのはヨーク家のヨーク公リチャード・プランタジネットが最初である。ノルマン朝最後のイングランド王となったヘンリー1世は、1120年に嫡男ウィリアムをホワイトシップの遭難で失った。他に正嫡の男子を持たなかったヘンリー1世は、ウィリアムの姉マティルダを後継者に指名し、アンジュー伯ジョフロワ4世と結婚させた。しかしヘンリー1世の死後、その姉アデルを母とするエティエンヌ・ド・ブロワがロンドンを押さえ、イングランド王スティーヴンとして戴冠した。その後、スティーヴンとマティルダおよびそれぞれの支持勢力の間で20年近くにわたり内戦状態が続いた(無政府時代と呼ばれる)。スティーヴンが継承者としていた息子ウスタシュが1153年に急死すると、マティルダの息子アンジュー伯アンリとの間で和平協定を結び、自身の王位の承認と引き換えにアンリを王位継承者とすること、またウスタシュの弟ギヨームは王位請求権を放棄することとした。1154年にスティーヴンが死去すると、協定通りアンリがヘンリー2世としてイングランド王に即位し、プランタジネット朝が成立した。ヘンリー2世はフランスに広大な所領を持ったままイングランド国王に即位し、アンジュー帝国と呼ばれる一大領邦群を形成した。プランタジネット家はまた、フランス王侯諸家との血縁関係も強かった。そのため、フランス王室(カペー朝、ヴァロワ朝)との領地・王位を巡る争いが絶えることなく、百年戦争を招く結果となった。歴代国王に失政が多かったと言われるのも、こうした「対フランス政策」に忙殺されざるを得ないという、同王朝特有の事情が引き起こした現象であるといわれている。ヘンリー2世以外の歴代の国王はフランス人としての意識も強く、特にヘンリーの息子であるリチャード1世は、本来は兄若ヘンリーが王位を継ぐべき身で自身は母方のアキテーヌに最も執着したこともあり、イングランド統治への関心が低かったともいわれている。リチャード2世は後継ぎに恵まれず、また百年戦争の戦費調達のための増税で民衆の反乱に直面した。百年戦争での敗戦を巡る宮廷闘争も絶えず、王は従兄弟にあたるヘンリーの所領没収を命じたために内戦を挑まれて捕えられ、殺された。エドワード3世の男系の孫に当たるヘンリーは、ランカスター朝を創始した。ランカスター朝で3人の王が立った後、やはりエドワード3世の男系の子孫であるエドワード4世がヨーク朝を立てた。その後、ランカスター朝の女系ではあるが男系の血は引かないヘンリー7世がテューダー朝を創始し、名実ともにプランタジネット朝は終焉を迎えた。ヘンリー2世はまたアイルランド卿の称号を有し、1171年にイングランド王として初めてアイルランド島へ上陸して、アイルランドの諸王に服属を誓わせた。この称号は末子ジョンに与えられ、ジョンの王位継承後は歴代イングランド王の称号の一つとなった。ただし、プランタジネット朝(またランカスター朝、ヨーク朝)期を通じて、アイルランドの支配は限定的なものであった。

出典:wikipedia

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