ヴィエルコポルスカ県 (Województwo wielkopolskie) は、ポーランド中西部の県である。県都はポズナン。ポーランドの全16県の中では、面積で2番目、人口で3番目に大きい。1999年に、旧ポズナン県、カリシュ県、コニン県、レシュノ県と、ピワ郡の大部分の地域を統合して発足した。ルブシュ県、ドルヌィ・シロンスク県、オポーレ県、ウッチ県、ポモージェ県、西ポモージェ県、クヤヴィ・ポモージェ県と接している。ヴィエルコポルスカ()を意味する県名は、「ポーランド揺籃の地」であるこの地域の歴史的呼称でもある。歴史学者によれば、これは旧い村の隣に新しい村を立てた際に旧い方と新しい方をそれぞれ「大」「小」を冠して並び称するポーランドの習慣にしたがったものであり、1242年にプシェムィスウ公とボレスワフ敬虔公が「大ポーランド両公(ラテン語: Duces Maioris Poloniae)」と共同で称したのが公文書における初出である。実際のところ、かつてのポーランド・リトアニア共和国の時代には、マウォポルスカ地方は現在のウクライナ全土までをも含む広大な地域を指しており、本来はヴィエルコポルスカ地方のほうがマウォポルスカ地方よりも面積が小さい。ポーランド王国の建国時より大司教座がある。グニェズノ大聖堂の扉は1175年に製作されたロマネスク様式。公式サイト(英語・ポーランド語・ドイツ語)あり。古代ローマ時代の天文学者プトレマイオスが「カリシア」として紹介したポーランド最古の街。スラヴ語で「湿地帯」を意味する「カル」が語源。当時の「琥珀街道」にあり、琥珀その他の商品の一大集散地だった。この周辺ではローマ時代の遺物が大量に発掘される。城塞都市としては9世紀に建設。ずっとポーランド人(ポラン人)の実質的な支配下にあったが、1106年より正式にポーランド王国領となる。中世ポーランド時代は木材の集散地で、それ以来伝統的に木工品産業が盛ん。1264年には国内のユダヤ人の人権を保障する画期的な法律「カリシュの法令」が発布された。市庁舎は1426年に完成。1793年の第二次ポーランド分割によりプロイセン王国に併合され、以来1945年に第二次世界大戦が終結するまでドイツ支配下にあった。戦争末期のナチス・ドイツとソ連の激しい戦闘で市街地が被災したが、戦後元通りに修復された。木材加工、食品加工、航空機エンジン生産が盛ん。ポーランドを代表するピアノメーカーの「カリシア」社や、プラット・アンド・ホイットニー社の航空機エンジン工場などがある。市街地や聖ユゼフ教会などの歴史的建造物がみどころ。市公式サイト(英語・ポーランド語・ドイツ語)あり。ヴィエルコポルスカ県の県都。ポーランドでも最も古い都市の一つであり、ポーランド王国の最初の首都であった。第二次世界大戦ではドイツ軍とソ連軍との戦闘で市街地の大半(旧市街の90%以上、市街地全体の55%以上)が破壊されたが、戦後になると旧市街をはじめとした歴史的建造物はポーランド市民の努力で完全に復元され、中世の美しい姿を回復した。昔から東西陸上交易の中継地として栄えており、現在でもポーランドでも有数の商業都市で、国内外のメーカーによる大規模な見本市が開かれる。市公式サイト(英語・ポーランド語・ドイツ語)、ポズナン観光サイト(英語)あり。ヴィエルコポルスカ県、ルブシュ県、クヤヴィ・ポモージェ県にまたがる5万5千平方キロの広大な地域にゴプラン湖(イェジォーロ・ゴプウォ)をはじめとする数千の大小さまざまな湖が散在する。ヴィエルコポルスカ県公式サイト(英語・ポーランド語・ドイツ語・フランス語・ロシア語、日本語は製作中)あり。ヨーロッパで唯一ここでのみ、蒸気機関車による旅客列車が定期運行していることで有名。特にイギリスの鉄道ファンに大変人気のある街。蒸気機関車はヴォルシュティン-ポズナニ間で運行されている。市公式サイト(ポーランド語・ドイツ語)あり。
出典:wikipedia
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