鈴木 哲(すずき てつ、1964年1月22日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手(投手)。福島県立福島高等学校では斎藤智也と同期。夏の甲子園県予選では準々決勝まで進出するが、平工に惜敗。2年浪人して慶應義塾大学文学部に進学した。入学時は肩の筋肉が衰えていたが、トレーニングを重ねて2年春には志村亮とともに投手陣の柱に成長。秋季リーグではチーム13年ぶりとなる優勝を飾る。直後の明治神宮野球大会でも、決勝で西崎幸広を擁する愛知工大を降し初優勝に貢献した。春季リーグでは、勝てば優勝の決まる早慶戦で9回2死から加藤正樹に逆転サヨナラとなる二塁打を打たれ、優勝を逃している。4年生になると最速145km/hの速球で六大学リーグ屈指の速球派右腕と評される。の日米大学野球選手権大会日本代表に選出された。リーグ通算48試合登板、18勝10敗、防御率2.74、199奪三振を記録。プロからも注目を集めたが、海外に出て勉強をしたいとしてドラフト会議前に熊谷組への入社を宣言し、指名する球団は現れなかった。中日ドラゴンズと読売ジャイアンツはそれぞれドラフト1位での指名を検討していたが、鈴木の指名拒否を受けそれぞれ立浪和義と橋本清(ともにPL学園の同級生)を1位指名した。社会人1年目のは都市対抗に出場し、1回戦から3試合連続で先発、準々決勝では日本たばこを完封する。しかしNTT東海との準決勝では、同点の9回1死一、三塁の場面で登板し、湯之戸孝修にサヨナラ3ランホームランを打たれた。また同年は第30回アマチュア野球世界選手権日本代表、ソウルオリンピック野球日本代表に選ばれている。翌の都市対抗にもエースとして出場、2勝をあげ準々決勝に進むが新日鐵堺に敗れた。チームメートに宮里太、佐藤和弘らがいた。社会人時代も一貫してプロ入り拒否の姿勢を示していたが、1989年のドラフト会議で西武ライオンズから指名を受けた。指名直後は入団しない事を明言したが、一方でドラフト直前に西武のスカウトと接触しており、二回の交渉の結果、契約金と年俸それぞれ7,500万円、840万円(金額はいずれも推定)で入団に合意している。1年目のから先発・中継ぎとして1軍の試合に登板し、9月12日の対ロッテ戦ではプロ初先発で完封勝利を挙げている。また、11月にはパ・リーグ東西対抗にも出場した。翌はオープン戦の第一戦に先発するなど期待され、7月には連続完投勝利を挙げるなど14試合に先発している。同年の日本シリーズでは第4戦に登板し、2回を3安打1失点に抑えた。は登板機会が減少して年俸は400万円減の1,400万円(推定)となっている。ひじ痛などで思うように成績が伸ばせず、オフに植田幸弘との交換トレードで広島に移籍。は自己最多の36試合に登板して防御率2.62と、リリーフとして活躍した。10月に金銭トレードにより西武に復帰。のシーズンを最後に引退し、西武のスカウトとして東北地区や海外を担当した。2012年に二軍ディレクターに就任し、2017年からは編成部(プロ担当チーフ)。スリー・クォーターから繰り出す140km/h台の速球が持ち味で、スライダーやフォークも投げていた。一方で制球力が課題となり、先発ローテーションに定着できなかった。
出典:wikipedia
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