阪急5000系電車(5000けいでんしゃ)は、1968年から1969年に製造された阪急電鉄の通勤形電車である。2016年6月現在、全車が西宮車庫に配置されて神戸本線・今津(北)線にて使用されており、5100系から編入された車両と共に8両編成7本・6両編成1本を組成している。本項目では解説の便宜上、梅田方先頭車+F(Formation=編成の略)を編成名として記述(例:5000以下8両編成=5000F)する。1960年代の阪急電鉄は、輸送力増強と、神戸高速鉄道東西線・山陽電気鉄道本線(以下「山陽電鉄」)乗り入れ計画の具体化から、神戸線の架線電圧を当時の600Vから1500Vに昇圧する事を予定していた。それに備えて双方の電圧に無改造で対応できる複電圧車の2021系が在籍していたが、1967年に行われる昇圧以降の600V対応機能の不要による単電圧化、および居住性や乗り心地向上のための足回りの改善を眼目に新たに設計したのが5000系で、合計47両が製造された。 基本的な構造は先輩格の3000系に準じており、170kW主電動機を搭載し、歯車比も3000系と共通で定格速度も高い(車体は先々代の2000系以来の構造を引き継いでいる)。3000系からの変更点としては、などがある。当初は3両編成を2本繋いだ6両編成(5000形‐5500形‐5050形×2)が神戸本線に配備された。最終編成の5012Fは投入直後の1969年秋に、新規に製造された5550形付随車を連結して宝塚本線に転出したが、その後の増備は本形式の冷房搭載仕様車5200系に移行し、47両で製造は終了した。1970年末より、神戸本線で連結解放運用が始まった。これは、6両編成に梅田側に2両を増結して8両編成を組成し、編成長が6両に制限される山陽電鉄乗り入れ時にはこの2両を三宮駅で切り離して入線するというものである。これに伴い、5000F、5002Fが編成を崩され、新規に製造された※を組み込んで以下のように再組成された。製造・組み込みは前年中で、連結解放運用の開始までは神戸本線内で8両固定で使用された。5563が組み込み先編成の車両番号を考慮して飛び番号で製造されたのに対し、今回は製造順に0、1と番号が付された。連結解放運用はこの4本が5200系の同様の編成と共に限定的に充当された。一方、5200系5200Fが製造されたのに伴い、連結解放運用対象外の編成のうち2本が暫定的に5200系と編成を組んで以下のようになった。ここでは5200系を"※"で示す。5006Fは、編成内に5両編成が発生した点、非冷房の5000系編成内に冷房車の5200系が連結された点で非常に特異な存在となった。また、5004F、5005Fは5200系が密着式電気連結器を装備していたため、連結解放運用に使用された。1971年、5000系は5012Fが宝塚本線から神戸本線に再転用され、5200系は5203Fが製造され、再び編成替えが行われた。※が新たに製造された車両である。5004Fと5006Fは6両編成に復帰し、5013Fは分割の上で新たに連結解放運用に充当されるようになった。1973年~1974年にかけて、京都線特急車2800系の追う形で冷房搭載工事が施工された。搭載された冷房機は2800系や5200系で採用された扇風機併用集約分散式(形式:RPU2202形)8000cal/h×4基/1両であり、冷房ダクトが設置された関係で屋根が室内側に若干低くなった。同時にそれまで屋根上にあった通風ダクト(モニター)が、パンタグラフの下の部分を除いて撤去され、2両に1台の割合で搭載されていた60kVAMGが京都線車両と同様の4両に1台の割合で120kVAを搭載する方式に変更、台車が重量増加に対応するために5100系等が使用するFS-369A、FS-069A形と同等までに強化(形式は変更されず)されるなど、機器類の更新が図られている。1977年12月、連結解放運用が6000系に置き換えられることになり、それに先立って同年3月に、5000系の連結解放運用編成が元々6両編成だった編成も交えて編成替えが実施され、4両編成×2本の8両編成が5本造られた。上記の通り付随車が1両しか製造されていないことから車両が大幅に不足したが、製造終了から時間が経っていたうえ、同時期に機器の構造が複雑な2021系(改造後・2071系)の編成解除・付随車化工事が行われていたことから、これらが5550形付随車の代用として5000系に編入されることになった。連結位置は基本的に上記の5013Fに準じていたが、連結解放運用に用いられていた4本は変則編成となった。ここでは新たに組み込まれた付随車を※で表す。この時編入された2021系12両は、エコノミカル台車と呼ばれる空気バネ台車を装備しており、この改造で2021系の空気バネ台車装備車両は全車5000系に編入されて消滅することになった。また、当時非冷房であったので転用改造時に冷房搭載改造された。車内側の意匠は極力前後の5000系に合わせられたものの、冷房機は当時の新造車に使用されていた新型機(10500cal/h×3基/1両)が搭載され、さらに元先頭車は運転台撤去跡が残る改造のみで編入されている。1979年、連結解放運用からの撤退後も6M2T編成(他の8両編成は4M4T)のままとなっていた5200系との混結編成が、編成替えによって6両編成化された。この時5563は5202Fに編入され、連結していた2本は製造時の編成に復帰した。ここでは5200系を"※"で示す。1984年からは車体更新工事が行われた。この時、パンタグラフ下に残っていた通風ダクトが撤去され、2071系も含めた全車両の側面と先頭車の前面上部に方向幕が設置された。前面は方向幕の設置に伴い、同部分にあった標識灯2灯に代わって、窓下に種別灯と尾灯が別々に4灯新設されたが、伊丹線予備車となった5000Fを除いて4両編成での運用機会はなくなっていたため、この時点で1、8両目に連結されていた先頭車のみが施工された。5000F中の5040、5030以外の4、5両目の先頭車は、後にマスコン、ブレーキ、スタフ切替器といった運転機器が撤去されて先頭車としての機能を失っている(乗務員室自体は残存)。その他、車内化粧板張替えなどの車体の補修など施工された。この頃の阪急の車内更新は現在のリニューアルと異なり新製時に近い内装更新であった。工事は1990年に完了した。また、同年6両編成のまま残った3編成に対して増結が行われ、全編成が8両固定編成となった。6両編成は長らく今津線を中心に使用されていたが、西宮北口駅の神戸本線ホーム延長に伴い南北に分断されることになり、それを機に2000系と入れ替わる形で神戸本線に集結することになった。組成順に以下の通りである。この時連結された車両は、2000系は支線転出で、2800系は7両編成化で余剰となった車両で、特に元特急車の2800系は窓の形状などに大きな差異があった。ここでは2071系を※、2000系を"**"、2800系を*で示した。しかし、同年中に発生した六甲事故で廃車された2000系2050の代車を手配するにあたり、他形式を巻き込んだ編成替えが行われた。これにより、5010Fの2171が3100系編成に転用され、代わりに2800系の2886を編入することとなった。1987年、車体更新の進捗に伴い、5010F、5012Fは改造時に対象から外れた2800系中間車を差し替えるための編成替えが実施された。ここで長らく5200系の編成内に連結されていた5563が5000系編成に復帰。抜かれた2800系は中間車捻出元の5200系や2000系の編成に転用された。ここでは新たに連結された車両を※で示す。1995年、阪神・淡路大震災が発生。5000系は特に被害を受けなかったが、他形式の破損したパンタグラフの予備品を確保するため、5001F・5004F・5006Fの菱型パンタグラフ(東芝製)がシングルアーム式(東洋電機製)に交換された。その他の編成はその後も菱型パンタグラフを搭載していたが、後述のリフレッシュ工事を受ける際に同時に交換されている。2000年よりリフレッシュ工事が始まった。詳細は後述する。これにより、順次2000系列付随車を連結した状態でリフレッシュ入場し(出場時に脱車)、代わりに同様の工事を受けた5100系付随車5650(→5580)形を連結して下記編成図の状態になった。ただし、5012Fのみ2003年に未改造のまま、同じく未改造の5650形を連結し、2071系を置き代える編成替えが行われた。ここでは新たに連結された車両を※で示す。5012Fはリフレッシュまでの約1年間、この編成で使用された。阪急電鉄の経営は厳しいことから新車の大量投入が難しく、3000系や増結用中間車となった2000系列が大量に残存している状況であることから、今後の使用のためにアルナ工機(2002年以後はアルナ車両)で製造から30年近くになった本形式に大規模な更新工事が実施された。全編成が新車同様に改造されている。この工事は、編成中に空気バネ台車ではない2000系列車両を含む編成から優先的に施工され、2007年11月に5002Fの出場により全編成のリフレッシュが完了した。制御装置は従来の抵抗制御のままである。2016年6月現在、8両編成が6編成、6両編成が2編成在籍している。全車神戸線西宮車庫所属となっている。2016年5月に5010Fが5580、5581のT車2両を抜いた6両編成となり、今津北線専用編成となった。なお抜かれたT車は阪急のリニューアル車両で初の廃車・解体となっている。さらに、2016年6月には5004F編成も同様に6両編成として、今津北線専用編成となった。連結解放運用からの撤退以降、基本的に神戸線の連結解放がない全ての運用に入っていた。しかし、2006年10月28日に115km/h運転を行う特急(A特急)が設定された際、加減速に優れる本系列は普通運用を中心とすることになり、同種別が運行される昼間は運用が限定されるようになっている。方向幕取り付けの改造工事を行うまでは6両編成も存在していたために定期列車として山陽電鉄本線須磨浦公園駅まで乗り入れた実績もある。また1970年の大阪万博開催時には臨時列車として京都線、千里線での入線実績(冷房改造前)もある。2016年5月より今津北線の線内完結運用にも入るようになった。2016年5月以降の編成。矢印は中間に組み込まれる先頭車の運転台(簡易中間化改造車は撤去跡)の方向で、←は梅田向き、→は新開地向きを示している。"斜体字"は他形式由来の車両。改番が行われた車両は括弧内に旧車番を示す。神戸本線今津北線
出典:wikipedia
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