LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

但馬飛行場

但馬飛行場(たじまひこうじょう; "Tajima Airfield")は、兵庫県豊岡市にある飛行場で1994年(平成6年)5月18日に開港した。通称は但馬空港。コウノトリ但馬空港の愛称がある。新幹線や高速道路などがない高速交通空白地帯であった兵庫県北部(但馬地域)の交通インフラの整備を目的として兵庫県を事業者として1987年6月に基本建設計画が発表され、日本初の「コミューター専用空港」として、1994年(平成6年)5月18日に開港した。山間を切り開いて開設されたため、早朝の霧や荒天による欠航や出発空港への引き返しが比較的多かったが、2001年10月より兵庫県が計器着陸装置(LOC・T-DME[滑走路01側]。空港には導入されているが、一般飛行場では異例)を導入したため、運航率は向上している。航空管制については、定期便は大阪国際空港航空管制官による遠隔指示 により行われ、それ以外については、空港に設置された管制室により行われている((財)航空機安全運航支援センターに委託)。2014年10月現在、旅客定期便の運航は大阪国際空港線の1日2便のみであり、昼間は原則として全く離着陸がないので、貸切状態とすることもできる。モーターグライダーや、エアロックチームがシーズンオフのトレーニング等を行っている。1995年(平成7年)から年1回「コウノトリ但馬空港フェスティバル」を開催していたが、2014年(平成26年)の第20回をもって終了した。年間利用客数は、国内28,726人(2013年(平成25年)度)。建設費は当初計画では105億円であったが実際には約116億円。附帯施設・事業も含めると180億円。建設が始まった当初の1988年10月に運航会社は朝日航空に内定していたが、朝日航空が子会社の西瀬戸エアリンクの経営難から1991年(平成5年)3月でコミューター事業から撤退、計画が白紙に戻ってしまった。兵庫県は日本航空、全日本空輸、日本エアシステムなどに運航を打診するも色よい返事が得られなかった。開港が目前に迫った1993年(平成5年)9月、ようやく日本エアコミューター (JAC)が大阪国際空港線の運航を決定したが、JACには鹿児島県奄美群島の市町村が40%を出資しており、不採算路線に就航をすることには難色を示したため、兵庫県側からの積極的な財政支援が求められた。就航の決め手となったのは、使用機材のサーブ 340Bを兵庫県が14億円で購入し無償貸与するという異例の条件であった。1987年の基本建設計画では旅客数は開港予定の1993年(平成5年)度に47,000人、2000年度に53,000人としていた。しかし実際には当初の就航が1日1往復であったこともあり低迷。1日2往復となった後も2003年度で24,665人と計画値を下回る状況が続いていた。また、兵庫県は維持に年間1億4400万円(2007年度予算)の赤字補填を行っている。搭乗率約60%と低迷する利用を何とか引き上げようと、飛行場近辺の自治体、豊岡市・養父市・朝来市・香美町・新温泉町が空路を利用した住民に助成金を出す制度を設けている。2006年(平成18年)現在は年間7000万円前後が支出されているとされる。また、兵庫県豊岡市と京都府京丹後市が府県を越えて共同でコウノトリ但馬空港の利用を促進し、特に首都圏からの観光客の呼び込みを強化する取り組みが行われている。このような努力もあって2006年度は過去最高の27,000人を突破、2007年(平成19年)上期の搭乗率は原油高の影響などで落ち込んだが、9月に初めて設定された但馬空港から行く東京ツアーによって搭乗率も急回復(前年度比115%)しており、10月、11月も同様の傾向が続いている事から今後の動向が期待される。2007年(平成19年)11月27日には定期航空便の搭乗者数が、開港より13年6ヶ月で30万人を達成した。今後の東京直行便実現の足がかりとして、招致活動等に拍車がかかるものと期待されている。ただ、最近の利用者の半数は助成金を利用しない但馬外の利用(観光・ビジネス)であり、地元住民の利用は地域の人口減が著しい事もあり伸び悩んでいる。空港を運営する兵庫県は、大阪国際空港線のみでは空港のメリットが十分には活かせず、東京国際空港線の開設が必要との見地から、滑走路延長事業を計画しており2006年(平成18年)から基礎調査が進められている。この計画では現在の1200メートルから1500メートルに延長し、ジェット機材による東京国際空港線が就航できるようにする。地元との協議が調えば2012年(平成24年)から2014年(平成26年)度頃の運用開始を目指すというものである。事業費は約100億円を予定している。2004年(平成16年)の台風23号の災害復旧事業により出た土砂を延伸工事に使う計画もあった。市民からは早急の羽田就航が期待されている。MRJの標準型であるMRJ70-STDであれば、離陸滑走距離1450m、着陸距離1430mであるので、1500mの滑走路で運航可能である。2010年現在、東京国際空港直行便実現を目指して、地元での機運が盛り上がって来ている。。なお、神戸空港の開港に伴い路線就航も検討されたが、運航経費の財政負担を求められた豊岡市、養父市などで構成する但馬広域行政事務組合が2006年6月に「東京国際空港線の開設に具体的に寄与しないのなら神戸空港線は不要」と兵庫県に申し入れ、計画は棚上げされている。2015年(平成27年)1月1日から第三セクターに移管し、地方自治体が管理する空港としては全国初となった。2020年(平成32年)3月まで運営権を譲渡する。2015年(平成27年)4月9日 H26年度の東京乗り継ぎが開港以来利用最多の11,193人であったと報道され、利便性が定着したと報道された。運行会社の日本エアコミューターがサーブ340Bの更新機材として、ATR42-600型への切り替えを決めたことを受け、兵庫県も、現在貸与している機体の更新に取り組むとしている。会議室・多目的ホールを一般に貸し出している他、ターミナル横には兵庫県のパスポートセンター(兵庫県旅券事務所但馬空港窓口)がある。なお、日本エアコミューター(日本航空)のカウンター・運航支援業務を全但バスに委託している。ターミナル右側にはYS-11(11A-500R型/YS-11の103号機)およびエアロコマンダー式680FL型の退役機が展示されており、2010年(平成22年)9月現在、主翼の真下まで近づいて見学できる。無料。空港から最も近い市街地にある西日本旅客鉄道(JR西日本)豊岡駅と大阪駅間には福知山線経由の特急「こうのとり」が所要時間2時間28~49分、播但線経由の「はまかぜ」が2時間35~57分、共に片道5,270円(通常期、運賃・特急料金込)で運行しており競合関係にある。高速バスは全但バスが豊岡市街(豊田町バス停、豊岡駅から徒歩15分)と大阪梅田間を所要時間2時間23分~3時間9分、片道運賃3,450円で運行しており競合関係にある。2006年7月には北近畿豊岡自動車道が和田山インターチェンジまで開通し、豊岡市街から大阪梅田まで自動車での移動時間が約20分から30分程度短縮された。引き続き和田山インターチェンジから養父市八鹿町の間に和田山八鹿道路の建設が進み、2012年に開通した。これらの道路整備に伴い全但バスも豊岡市街・大阪梅田間が従来3時間超であったものが、一部の便を除いて2時間台へ時間短縮されており、高速バスの競争力強化にともない行政当局も但馬空港の利用者減が懸念されている。このため、伊丹で乗り継ぎをする事で東京や福岡、出雲、仙台、松山、山形など全国から短時間で訪れることができるようになるという利用価値を見出そうと必死の努力が続けられている。これ以外にも、2003年(平成15年)5月4日には、但馬空港より飛び立った「但馬飛行クラブ」のアクロバット飛行機が京都府北部の日本海に墜落し、クラブ会長「昇雲」こと白石公男(航空自衛隊出身の全日本空輸元機長)と訓練生パイロットの2人が死亡する事故も起きている。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。