沈下橋(ちんかばし、ちんかきょう)とは河川を渡る橋の一種。地方により潜水橋、潜没橋、潜流橋、沈み橋、潜り橋、冠水橋、地獄橋などともいう。沈下橋は、低水路・低水敷と呼ばれる普段水が流れているところだけに架橋され、また床板も河川敷・高水敷の土地と同じ程度の高さとなっていて、低水位の状態では橋として使えるものの増水時には水面下に沈んでしまう橋のことをいう。なお、沈下橋ではない通常の橋は、「沈下橋」の対語としては「永久橋」「抜水橋」などと呼ばれ、橋の床板は、増水時などの高水位状態になっても沈まない高さに設けられており、増水時にも橋として使うことができるようになっている。沈下橋は、低い位置に架橋されることや、架橋長が短くできることから、低廉な費用で速やかに作ることができるというメリットを持ち、災害で橋が崩落した場合に仮設橋として建設する例もある 。反面、増水時には橋として機能しなくなるという欠点を持つ。橋の両岸で高低差が大きい場合には、一方が通行可能でも対岸側は水没している可能性もある。沈下橋の特徴として、橋の上に欄干がないか、あってもかなり低いもの・増水時に取り外し可能な簡易的なものしか付いていないことがあげられる。これは、増水時の橋が水面下に没した際に流木や土砂が橋桁に引っかかり橋が破壊されたり、川の水がせき止められ洪水になることを防ぐためである。また、壊れても再建が簡単で費用が安いという利点もあり、実際に流されることを前提としている例もあり、これらは「流れ橋」などと呼ぶ場合がある。増水時に流木などが橋脚・橋桁を直撃して損害を与えることを防ぐために、上流側に斜めに傾けた丸太・鉄骨などの流木避けが設置されているケースもある。その構造から建設費が安く抑えられるため山間部や過疎地などの比較的交通量の少ない地域で生活道路として多く作られた。しかし現在では山間部でも広い道路や本格的な橋が造られること、また慣れているはずの地元住民といえども転落事故が絶えないことから、徐々に姿を消しつつある。一方、沈下橋を河川の文化的景観、技術的遺産、観光資源として保存する動きもあり、例として龍頭橋(大分県)の土木学会選奨土木遺産認定や、四万十川流域(高知県)の重要文化的景観選定などが挙げられる。詳細は次項を参照。1999年の高知県による調査によれば全国の一級河川及び支流には合計410ヶ所の沈下橋があり、都道府県別に見ると、高知県(69か所)、大分県(68か所)、徳島県(56か所)、宮崎県(42か所)の順で多い。一級水系以外も含めると、大分県では、合計212か所の沈下橋が確認されている(2007年8月6日現在)。現存するか否かを問わず、確認されているうちで日本で最古の沈下橋は、1876年に大分県杵築市の八坂川に架けられた永世橋であるが、この橋は2004年9月29日に台風21号による増水で流失した(もちろん、確認されていないものは、はるかに歴史を遡る)。現存する日本で最古の沈下橋は、1912年(明治45年)に同じく八坂川に架けられた龍頭橋である。茨城県の久慈川水系や小貝川水系には、いくつかの沈下橋が2008年現在も存在している。久慈川水系には、大子町南田気 - 久野瀬を結ぶ久野瀬橋、常陸大宮市盛金にある平山橋、常陸太田市下河合町 - 那珂市額田東郷にある落合橋などがある。この地方では「地獄橋」と表現されている。小貝川水系の沈下橋は、つくばみらい市下小目 - 同市平沼を結ぶ小目沼橋など古くからの構造を留める木橋もあるものの、常総市水海道川又町内を横切る川を渡る川又橋や、常総市箕輪町 - つくばみらい市福岡を結ぶ常総橋など、比較的新しい重量鉄骨によるものも存在する。小目沼橋は流れ橋で、茨城県が主催する「いばらきフィルムコミッション」や、「つくばみらいフィルムコミッション」でロケ地として挙げられている。川又橋・常総橋などは流されることは想定していない沈下橋である。 ただし数は減りつつある。かつて常総市淵頭町 - つくばみらい市北袋を結んでいた小貝川の水和橋は「いばらきフィルムコミッション」のロケ地リストに入っていたが、2006年6月の増水の際に、橋桁が流されただけにとどまらず木製の橋脚が損害を受け、国土交通省が橋脚の補修に難色を示したことから廃橋とされた。埼玉県の荒川水系にも比較的多く存在しており(荒川水系に22橋、荒川本流に6橋、2002年調査)、冠水橋(かんすいきょう)と呼ばれている。流木避けが設置されているケースも多い。荒川本流には樋詰橋などがあり、いずれも昭和初期に行われた河川改修(直線化)の結果、右岸側に飛地化した農地等を結んでいる。荒川支流には島田橋(越辺川)や流川橋(市野川)などの木橋も数橋あり、島田橋は映画やNHK大河ドラマなどで撮影に使用されている。久下橋(荒川)の冠水橋は新橋の架橋により撤去され、長楽落合橋(都幾川)は補修が行われず通行止めとされている。群馬県板倉町を流れる谷田川には木造の通り前橋があり、重要文化的景観「利根川・渡良瀬川合流域の水場景観」の構成要素となっているが、老朽化と平成27年9月関東・東北豪雨での損傷により通行禁止となっている。大和川下流域の生駒郡斑鳩町と北葛城郡河合町の間に、大和川唯一の沈下橋(現地での表記は「潜水橋」)である大城橋が存在する。幅員2mほどの橋で欄干は一切ないが、普通自動車も通行する。また、一方通行ではないため、堤防から橋に進入する際には、対向車が来ていないことを確認する必要がある。通行量は比較的多い。これは、上流側は奈良県道5号大和高田斑鳩線の新御幸橋まで、下流側は国道25号の昭和橋まで道路橋がなく、どちらの橋も交通量が多く、前後に信号交差点が多いため、斑鳩町〜河合町を移動する際の最短ルートとなっているためと考えられる。飛鳥川源流域となる奥飛鳥には複数の沈下橋と、架橋技術が未発達だった時代の飛石が複数残る。櫛田川や名張川などにはいくつかの沈下橋が存在する。特に、名張市では市街中心部を取り囲むように流れている名張川に、大屋戸潜水橋、朝日町潜水橋、宮橋潜水橋が架橋、支流の宇陀川にも数橋存在する。三木市を流れる志染川にはいくつかのコンクリート製の沈下橋が点在する。画像は背後に淡河川疏水の御坂サイフォン橋が写る。県東部芦田川の中流に沈下橋が存在する。芦田川ゴルフクラブに存在するものが最も下流側であり、以後府中市と尾道市境界にわたって数箇所のみ残っている。橋脚の上にコンクリートパネルを4つまたは5つ縦に並べた構造となっている。流木よけが設置されている沈下橋もある。徳島県は平野部に吉野川、那賀川、勝浦川水系等の河川が多数流れていることもあり、県内各地に多くの沈下橋が存在する。地元では主に「潜水橋(せんすいきょう)」と呼ばれており、沈下橋という呼称はあまり浸透していない。徳島市など、比較的市街地に近い地域にも潜水橋が多数残っている為、現在でも川を渡るための手段として重要な役割を果たしているのだが、数が多く利用も多い事から転落事故なども毎年の様に発生。橋を管理する県や自治体には抜水橋への架け替えが利用者から強く求められている状況にあり、一時的な対策として道路の両側に転落防止用のブロックが設置された潜水橋もみられる。高知県の四万十川には支流も含め47の沈下橋がある。吉野川流域では潜水橋や潜り橋と呼び、四万十川流域では沈下橋と呼ぶ。1993年に高知県では沈下橋を生活文化遺産ととらえ保存し後世に残すという方針を決定している。2009年には、沈下橋を含む四万十川流域の流通・往来を通じて生じた景観が文化庁による重要文化的景観に選定された。現存する高知県で最古の沈下橋は、1935年に架けられた四万十川の一斗俵沈下橋である。九州では、沈下橋は沈み橋と呼ばれている。大分県では、一級水系以外に架かるものも含めると合計212ヶ所の沈下橋が確認されている(2007年8月6日現在)。これは、確認されている範囲では、日本の都道府県の中で最も多い数である。その分布も、国東半島に22%、県北部に26%、県南部に40%と、県内各地に広がっている。前述の通り、現存する日本最古の沈下橋は、大分県杵築市の八坂川に架けられた龍頭橋であり、この橋は日本最古であることを選定理由として2007年に土木学会選奨土木遺産に認定されている。また、大分県内には、1924年に安岐川に架けられた高原橋(国東市安岐地区)、1925年に山国川支流の屋形川に架けられた神迎橋(中津市本耶馬渓町)が残っているが、これらは竜頭橋に続き、それぞれ日本で2番目及び3番目に古い沈下橋である。数多くの沈下橋の中には、変わった特徴を備えたものもある。宇佐市院内町の津房川と恵良川の合流地点近くの駅館川には三つ又橋というT字型の沈下橋があり、両岸と中州とを結んでいる。佐伯市の番匠川支流の久留須川にも同様にT字型の沈下橋がある。また、日田市天ヶ瀬の久大本線天ヶ瀬駅・豊後中川駅間では、沈下橋が鉄橋の橋脚の間をくぐり抜け、2本の橋が交差しながら玖珠川をまたぐ様子を見ることができる。キャプションの数字は撮影年を示す。
出典:wikipedia
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