太田 宏介(おおた こうすけ、1987年7月23日 - )は、東京都町田市出身のサッカー選手。エールディヴィジ・フィテッセ所属。日本代表。ポジションはディフェンダー(DF)。5歳の時にサッカーを始め、同市出身のサッカー選手秋元陽太とは幼馴染である。幼少時から母と兄との3人暮らしで中学3年生時に両親の離婚が成立。兄と共に将来の母孝行を誓った。2003年、同郷の小林悠と共に麻布大学附属渕野辺高校に進学。在学時に国体選抜に選出されたことを契機にクロスを武器とする左ウイングバック(WB)としてプレーするようになり、当時日本代表で同ポジションを務めた三都主アレサンドロを目標に挙げていた。同期生の小林や小野寺達也と共に2年生時に第83回全国高校選手権大会、3年生時には同84回大会と2年連続で選手権に出場したが、J1クラブからのオファーは得られなかった。大学進学を考えていた中で、憧れのFW三浦知良が所属し、自身も練習生としてトレーニングに参加していたJ2(当時)横浜FCからのオファーを受け、プロ入りを決めた。横浜FC加入の経緯については、2012年5月26日に行われたJ1第13節、FC東京対浦和レッズ戦のTV中継時に、ハーフタイムに放送されたクラブ応援コーナーにて「横浜FCに入った時はカズ選手がいたから?」との質問を受け「それ、Wikipediaで載ってましたけど、もちろんカズさん大好きな選手ですけど、それで判断したわけではないです」と述べている。また太田自身がこのWikipediaのページを読んでいるのかを尋ねられ、実際に読んだと答えた上で「両親は太田の大学進学を希望していたが」との記述に対し「『両親は大学進学を希望していたが』みたいに書いてあったんですが、別にそんなことはないですよね。『あれ? どこからの情報だ?』と思って」と答えている。2005年12月、翌2006年からの横浜FC入団が発表された。この時はMFの選手とリリースされていたがJリーグではDF登録となり、新たな環境と不慣れなポジションへの適応に苦しんだ。2006年6月、J2第20節山形戦でプロデビュー。2007年シーズン序盤には、高木琢也監督の下でCBのレギュラーに抜擢される。ここでの活躍から同年、カナダで開催されたFIFA U-20ワールドカップに臨むU-20日本代表に選出された。同大会ではナイジェリア戦に左SBとして先発フル出場し、グループリーグ首位通過に貢献した。CB起用が多い状況には葛藤を抱えていたが、2008年には元日本代表の左SB都並敏史監督の指導の下、ポジションを左SBに絞って練習に励み、「師匠」と慕う三浦淳宏の支えもあって守備面でも成長、左SBとして不動の地位を確立した。同年オフに清水エスパルス、サンフレッチェ広島、大宮アルディージャからオファーを受けた。2009年、たびたびJリーグベストピッチ賞に選ばれている日本平スタジアムでプレーしたいという希望もあり、清水に完全移籍。清水にとっては左サイドからの攻撃強化のため、2年越しでのオファーの末の獲得だった。左サイドからの高精度のクロスを武器に、児玉新らとのポジション争いを制して左SBのレギュラーに定着。2010年1月のAFCアジアカップ最終予選・イエメン戦に、若手主体の構成ながらA代表として招集され、先発フル出場。国際Aマッチデビューを飾った。2011年は、チーム最長となるリーグ戦全試合に出場する一方でDFながら無警告を達成し、Jリーグアウォーズで優秀選手賞及びフェアプレー賞を受賞。8月に札幌でおこなわれた日本代表候補のトレーニングキャンプにも招集された。同年オフには清水から契約延長を要請される中、オランダ・FCトゥウェンテ、FC東京、浦和レッズから獲得の打診を受け争奪戦となった。2012年、運動量と突破力を評価されFC東京に完全移籍。この年は清水在籍時からの古傷の影響により本領を発揮できなかったが、2013年シーズンにかけて復調。プレースキッカーも任され、高精度のFKによるアシストの量産と自身初となるリーグ戦での複数得点を記録。優秀選手賞にも選出された。2014年は正確なクロスに加え守備面でも大きく向上し失点減に貢献。踵の負傷に耐えながらも自身初となるリーグ戦全試合フル出場、リーグ最多のクロス、10アシストを記録し、自身初のJリーグベストイレブン選出。同年10月にはキリンチャレンジカップに臨むA代表に選出され、4年9ヶ月ぶりに代表復帰。親善試合ながら好機を作って手応えを掴み、12月には翌年開催のアジアカップメンバーに選出された。2015年3月、ウズベキスタン代表戦で自身初の国際Aマッチでのアシストを記録。クラブでも次々と得点を生み出し、同年7月のJ1-2nd第2節新潟戦でJリーグ史上初となるDF登録選手としての2年連続二桁アシストを達成し、通年ではJ1最多の13アシストを記録。昨年に続きリーグベストイレブンを受賞した。2015年12月、「熱心に自分のことを追いかけてくれた」というオランダ1部リーグ・フィテッセへの完全移籍を発表。FC東京とは2017年末までの契約を残していたが、フィテッセは満額の違約金を支払い、2020年夏までとなる4年半の長期契約となった。翌2016年1月より合流し同月17日、エールディヴィジ第18節カンブール戦で左SBとして初出場。同年2月、SBとしてレギュラーに定着した第25節のヘーレンフェーンでは初アシストを記録。2016-2017年、開幕戦のヴィレムII戦で左SBとしスタメン出場した。184||6||29||1||20||4||233||1132||0||colspan="2"|-||2||0||34||016||0||colspan="2"|-||0||0||16||0232||6||29||1||22||4||283||11その他の公式戦|2012||FC東京||6||4||0!通算!!colspan="2"|AFC|2010||1||0 !通算
出典:wikipedia
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