『北野ファンクラブ』(きたのファンクラブ)は、1991年2月13日から1996年3月22日までフジテレビで放送されていた深夜バラエティ番組である。キー局であるフジテレビでの放送時間は金曜日の深夜25:25 - 26:25(JST)(※後期には25:30 - 26:30)で、いわば『ビートたけしのオールナイトニッポン』のテレビ版ともいえる番組である。『オールナイト』は前年の1990年12月で終了しており、わずか2か月のブランクでたけしと高田のフリートークが事実上復活した。ビデオソフト「北野ファンクラブ会報」(過去の放送の名場面+未放送シーンを取り上げた)、単行本「北野ファンクラブ」(北野武・監修、高田文夫・編著、フジテレビ出版、「北野ファンクラブ会員証」のおまけつき)が発売されており、2007年11月21日にはDVDが発売された。同番組終了後も、たけしメインのフジテレビ系深夜番組は番組内容・タイトル・放送時間を変えながら、2013年9月23日まで実質22年半継続放送された。番組は『オールナイトニッポン』同様ビートたけしと高田文夫をパーソナリティに迎え、最近の時事問題から深夜放送ならではの下ネタまで幅広いジャンルから毎回話題を取り上げて爆笑トークを展開した。セットも予算の関係から「北野」の印判をイメージしたパネルとテーブル。その上に東京スポーツや週刊誌(たけしがネタにされているものが多い)、黒板数枚(グレート義太夫・ダンカンがイラストデザインやレイアウトをし、毎回チョークで書き込んだ)だけという地味なものであった。初期の放送では、床面にミステリー・サークルが大きく描かれたパネルが敷かれていた。番組当初からのコンセプトは「たけしのたけしによるたけしのためのテレビ。」たけしのやりたい事だけで企画構成され「深夜なんだから嫌なら見なくてイイ」という事で制作していた。また、番組内ではたけし軍団出演による、海パン一丁や全裸姿のキャラが登場するコントや、当時の人気番組をパロディー化したゲーム、亀有ブラザース(たけし、ガダルカナル・タカ、つまみ枝豆、グレート義太夫)の生バンドによる下ネタ(男性器の俗称をそのまま替え歌の歌詞にして連呼したり、女性器の俗称を業界用語風に言い換えたものを織り込んだ替え歌を毎回ピー音なしで放送するなど、放送コードスレスレの替え歌をほぼ毎週放送していた)を絡ませた替え歌コーナーが人気を呼んだ(オフィシャル単行本で、同コーナーの替え歌を掲載する企画も出たが、著作権などの理由で断念している)。放送数ヶ月で、髪型もオールバックから、ボッチャン刈りに戻している(この写真はオフィシャル単行本の裏に掲載)。こういった深夜番組志向が功を奏し、コアなたけしファンにとどまらず夜型生活の若者たちの間で一気に人気が広まる。人気深夜トーク番組の「東西の雄」として、『鶴瓶上岡パペポTV』(読売テレビ)と比較されることも少なからずあったが、晩期には放送曜日が同じとなり、放送時間もわずかながら重なる(『北野ファンクラブ』が終了する10分前に『パペポTV』のオンエアが始まる)時代もあった(関東地区の場合)時期もあった。最高視聴率は、深夜枠レギュラー番組としては当時異例中の異例ともいえる7.9%であった(最終回のトークより。最低視聴率は0.7%)。また当番組のトークやコントは1994年12月30日放送の特番「たけし大全集'94 たけしが愛した101人」で再編集放送された。当番組はテレビ業界のみならず、各マスメディアからたけしの動向や発言が注目される事から一般視聴率だけでなく「業界視聴率」も極めて高い番組だった。上記の通り、キー局での放送時間は金曜の深夜であったが、関西地区では関西テレビがネットしておらず、独立UHF放送局であるKBS京都やサンテレビなどで番組販売という形で放送されていた。KBS京都では一時期水曜の22時から放送されていたことがあり、これを知ったたけしが番組中のトークで「こんな危ない番組をゴールデンタイムに放送しているバカな放送局がある」などといった発言をしたことがある。それを知ってか知らずか、半年後にはKBS京都での放送時間も23時30分からの放送に変更された。収録はほとんどが渋谷ビデオスタジオで行われていたが、ニッポン放送のスタジオや船の科学館、神立高原スキー場、逗子湘南海岸などで行われたこともある。『平成教育テレビ』での特別放送「たけしの平成ファンクラブスペシャル」の時は、河田町のフジテレビ本社(当時)で行われ、多数のスタッフと美術セットや台数の多いカメラとクレーンに対し、たけしがイヤミを言ったこともある。反面、『平成教育テレビ』での特別放送では、普段の視聴者のみならず、一般人も多数視聴(コーナー視聴率13.8%)しており、過激発言や替え歌にクレームが殺到した。放送回数はレギュラー化する1991年4月12日以前の2月13日(水曜深夜TV-PLUS+90)と3月6日(水曜深夜TV-PLUS+90)と4月5日に放送された90分スペシャルを含めて、全232回(レギュラー放送225回+90分スペシャル7回)。他に1992・1993年の25時間テレビ平成教育テレビ内で「たけしの平成ファンクラブスペシャル」と題して2回生放送を行った。たけしがバイク事故で入院しテレビ出演できなかった期間も、高田とたけし軍団がこの番組を支えた。1995年春にたけしが復帰し番組も元の形態に戻ったが、これ以降たけしは精彩を欠くようになり(事故復帰後はたけしと高田の2人だけのトークよりも、たけし軍団やその他の芸人を交えてトークすることの方が多くなった)、翌1996年3月に番組は終了した。この番組終了後も同じくたけし・高田の司会による『北野富士』、たけし軍団や女性タレントがトークに加わった『足立区のたけし、世界の北野』と題されたたけし司会の深夜番組が継続して放送された。また1993年10月に当番組のゴールデンタイム版として『ビートたけしのつくり方』が半年間放送された。さらに当番組シリーズから派生したものでスカパーで開局した『北野チャンネル』(後のフジテレビ721の『チャンネル北野』)やBSフジの『たけしの等々力ベース』などもある。なお番組終了から18年半後の2014年10月17日深夜に当番組が特別番組で復活。番組タイトルは『たけしのダンカン馬鹿野郎!!』と改訂して、放送曜日と時間も当番組とほぼ同じ時間で放送された。出演者はたけし、ダンカン、玉袋筋太郎、〆さばアタル(旧芸名は雨空トッポ)、アル北郷、ビートきよし。当番組からの同じスタッフは企画者のたけしと吉田宏プロデューサー、構成のダンカン、音効の有馬克己、美術の高松浩則の5名が参加。番組のオープニングテーマは美空ひばりの「STAR DUST」。エンディングテーマは、番組初期は1クールごとに変わり、鈴木結女「PART OF LIFE」や藤原久美「卒業の朝」、杉山清貴「夏服最後の日」等。また森田浩司「愛のX」、TWIN FIZZ「BODY」、KAZZ「青空に追いついて」などトライアングル・プロダクション所属のアーティストが歌うものが多かった。さらに、遊佐未森「恋かしら」もエンディングテーマとして使われる予定があったが、アーティストと番組のイメージが合わないという理由で実際には使われなかった。後期ではたけし自身が歌う「嘲笑」が長く使用されていた。たけしがバイク事故から復帰した番組末期には「浅草キッド」など過去に歌った曲も使われていた。また番組の最終回の最後は、たけしが「浅草キッド」をフルコーラスで歌いスタジオから去っていく後姿の後にオープニングタイトル(モノクロ加工された映像にスタッフロールが流れる)の「STAR DUST」が流れ番組が終了する演出がなされた。北野ファンクラブビデオ会報1・会報2にて使用されているスタッフロールの曲は、92年1月の番組放送時で使用されたエンディングテーマ、杉山清貴の「LOVE IS YOU」である。また一度だけ使用されたエンディングテーマには、尾崎豊「LONELY ROSE」、鈴木結女「TELL ME」「強さの意味」、Sing Like Talking「Steps of love」、藤原久美「純愛」、五十嵐はるみ「LONELY NIGHT」、山下達郎「クリスマスイブ 英語版」等がある。コント「暫定ドラマ びっくり仮面」のコーナータイトルバックのテレビ放送時のBGMにはアニメ『聖闘士星矢』のアスガルド&海皇ポセイドン編で使用されていた音楽が使われていた。(DVD版は違う曲に差し替えられている。)この番組の音声は、放送開始当初からステレオ放送であったが、スタジオ内音声はモノラル収録したものを流していた(テーマ曲や編集時に加えられる音楽、BGMなどと効果音のみステレオ放送)。『亀有ブラザーズ』などの替え歌コーナーも番組中期頃までは、実質的にはモノラル放送(モノステレオ放送)であった。この手法は、後に家庭用ビデオレコーダーのCMカット機能防止が目的と考えられる一部のバラエティ番組に活用されることとなっていった。なお、1993年11月5日放送分からはスタジオ内の音声もステレオ収録されるようになり、替え歌コーナーもステレオ放送へとグレードアップした。トークコーナーにおいてはモノステレオ放送時代は原則、オープニング直後及びCM明け直後にBGMとして洋楽を数十秒間流していたが、フルステレオ放送化された翌週からは取り止められている。ビデオ会報では、企画:吉田宏・プロデューサー:高橋松徳と入れ替わりになっている。
出典:wikipedia
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