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松島

松島(まつしま)は、宮城県の松島湾内外にある大小260余りの諸島のこと。または、それら諸島と湾周囲を囲む松島丘陵も含めた修景地区のことである。日本三景の1つに数えられている。2010年の観光入込客数は624万人。松島は、仙台平野を南北に分ける松島丘陵の東端が海にまで達し、それが沈水して出来たリアス式海岸がさらに進んだ沈降地形で、溺れ谷に海水が入り込み山頂が島として残った多島海である。全体として松島湾(広義)を形成し、湾内の水深は10メートル以内である。これは、この一帯が過去から大きな地震のたびに地盤が少しずつ沈下してできた地形であることを物語っている。この地域の大部分の地層は第三紀層の凝灰岩、砂岩、礫岩など侵食に非常に脆い岩質で出来ており、特に波に洗われる部分は容易に侵食される。そのため多くの小島は上部に松などが植生し、海面に近い基部は白から灰白色の岩肌を見せている。さらに、海水面近くが波に洗われて鋭角に抉られており、ややキノコに似た形になっているものもある。また、侵食による奇岩や日本三大渓に数えられる嵯峨渓のような海蝕崖も見られる。このように侵食、風化作用を受けやすい地層の上に松島は成り立っているため、長い間に風景も少しずつ変化してきたと考えられ、過去の文献に記載されたものと現在のものとの間には微妙な違いがあると考えられている。五大堂が設置されている島も海水面近くが侵食されており、将来が危ぶまれている。尚、260余りの島すべてに名前がつけられている。2007年、日本の地質百選に選定された。2011年3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)とその直後に襲来した大津波によって、島の文化財の一部が破損するなどの被害が発生したが、周辺の自治体と比較して被害は軽微で済んでいる。その理由として、津波は浅い海に入ると速度が落ちて急激にエネルギーを失うのと、松島湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波の勢いを弱めたと見られている。松島は国の特別名勝に指定されており、管理団体である宮城県によって「特別名勝松島保存管理計画」が策定されている。文化財保護法および前述の保存管理計画に基づき、特別名勝「松島」指定区域内の保護地区において現状変更(建築物の新築等)を行う際には、宮城県教育委員会および文化庁の許可が必要になる。高台での建物新築も現状変更にあたるが、東日本大震災による被害により住民から高台への移転要望が高まったため、宮城県が文化庁に規制緩和を求め協議の結果、その方向で検討されることとなった。今後宮城県と指定範囲の塩竈市、東松島市、松島町、七ヶ浜町、利府町などで協議を進めていく方針。また文化庁は、松島における「がれき処理施設」の建設も特例で許可することとなった(2014年3月までの限定許可。周囲の景観に対して施設の色・形状を配慮するなどの制約のもと)。松島湾(広義)は、宮城県の太平洋沿岸部に大きく広がる仙台湾(広義)を3つの支湾に分けたうちの1つである。すなわち仙台湾(狭義)、松島湾(広義)、石巻湾と並んだうちの真ん中である。他の2つは砂浜海岸が主であるのに対し、松島湾(広義)は磯を主としている。松島湾(広義)は更に、北側の松島湾(狭義)と南側の塩竈湾(千賀ノ浦)に区分される。松島湾(狭義)は暗礁が多く、外来者にとっては航行が困難な海域である。そのため、江戸時代には伊達政宗によって暗に「軍港」と見なされ、瑞巌寺を始めとした伊達家直轄施設が暗に軍事施設として多数建設された。松尾芭蕉が、松島を始めとして仙台藩の城や要害、関所などの主要軍事施設を回っていることから、隠密説がある。現在それらの施設は観光資源となっている。南側の塩竈湾は、古くは陸奥国府・多賀城()の外港として、江戸時代以降は城下町・仙台()の外港として機能し、第二次大戦後は仙台塩釜港の塩釜港区として機能してきた。現在は仙台港区に物流の中心が移動したため、塩釜港区は近海マグロを主とする漁港として機能している。港に近接する山の上には鹽竈神社があるが、この神社は平城京政府、奥州藤原氏、伊達氏など、この地を治めた統治者によって保護されており、信仰と並んで山城としての機能も有していた。2013年に世界で最も美しい湾クラブへの加盟が認められた。湾内の主な魚類はハゼ、アナゴ、貝類はカキ、アサリ。石斛(せっこく)は野生ラン科植物で宮城県辺りが野生の北限といわれる。松島周辺では「イワタケ」の別名がある。花の開花時期は5月下旬から6月初旬で、ピンクの花が咲く。絶滅危惧種だったが、瑞巌寺境内の老杉の枝に着生している原株から増やして、現在は鉢植えの土産になっている。日本三景・松島は、松島湾沿いに仙台側(南側)から「塩竈」「松島」「奥松島」の主に3つの観光地区に分かれる。松島湾周囲の松島丘陵や島の高台には「松島四大観」(まつしましだいかん)と呼ばれる修景地点が散在している。これらは、江戸時代に仙台藩の儒学者・舟山萬年によって選ばれた「塩松環海四山」に由来する。観光用の展望施設はないが、797年(延暦16年)に征夷大将軍・坂上田村麻呂が絶賛した「長老坂」(。現・宮城県道144号赤沼松島線)からの眺望が古くから著名。その他の展望台としては、「西行戻しの松」()、新富山()、松島城(いわゆる天守閣風建築物)、塩竈と松島海岸一帯が望める「双観山」()などがある。また、松尾芭蕉が松島に滞在した際に宿泊した熱田屋(瑞巌寺参道入口付近)の跡地にある商業施設の屋上が無料開放されている。大観山は現在ホテルの敷地内であるため、ホテルの利用客しか入れない。かつて松島湾を見晴らせる松島タワーがあったが、解体された。松島には大小の遊覧船が就航しており、船上より島々を眺めることができる。船上からカモメ(主にウミネコ)に餌やりをするのが名物になっていたが、糞害により松が枯れ始めた事から2014年4月1日より湾内での餌やりは禁止となった。大型遊覧船の航路は、松島港発着で松島湾内や奥松島を巡るものが中心だが、塩釜港と松島港とを繋ぐ航路もある。小型船の航路は、奥松島遊覧船桟橋を発着して嵯峨渓を巡る観光航路と、主に塩釜港発着で湾内の小島へ渡る連絡船航路がある。日本三大渓といわれる奥松島の嵯峨渓には暗礁が多くあるため、大型遊覧船では遠巻きにしか見られないが、小型船だと近づけるため波の静かな日には海食洞をくぐることが出来る場合がある。その他に季節運航で、松島灯籠流し花火大会を船上から見るための特別運航、ディナークルーズ(仙台港発着もある)、サンセットクルーズ、ナイトクルーズ、かき鍋クルーズなどがある。なお、江戸時代には仙台城下町と東北太平洋岸海運の拠点港である石巻港とを繋ぐ石巻街道があったが、このうち塩釜港から石巻港の間を船で繋ぐ航路は「松島海道」と呼ばれた。松尾芭蕉が奥の細道で塩竈から松島へ舟で渡ったとの記述があるが、これは「松島海道」の一部に乗船したものと考えられている。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震による津波で浮桟橋4基、や小型の遊覧船の多くが流出する被害を受けたが同年4月29日に遊覧船の運航が再開された。仙台空港()発着の遊覧飛行も存在している。セスナ機またはヘリコプターで、仙台および松島の上空を巡るコースがいくつか設定されている。松島灯籠流し花火大会を上空から見ることも可能。松島は月見の名所として著名である。松島の月は、14世紀には中国にも知られるほど著名で、元代の薩都拉がその著書『雁門集』において「雄島煙波松島月」と記している。17世紀初頭には、伊達政宗が豊臣秀吉から伏見桃山城にあった茶室を譲り受け、月見をするための観瀾亭(月見御殿)を設置した。月見御殿は、その後も伊達家の迎賓館として使用された。1643年(寛永20年)には、儒学者・林春斎がその著書『日本国事跡考』において、「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、与丹後天橋立・安芸厳島為三処奇観」と記し、日本三景という括りが始まったとされるが、この日本三景の原典にも松島の月が出てくる。この原典もあって、日本三景に各々「雪月花」をあてる場合、松島には「月」があてられる。17世紀後半になると、松尾芭蕉が延宝年間に「武蔵野の月の若生えや松島種」と詠んで松島の月に憧れ、『奥の細道』の冒頭でも「...松島の月先心にかゝりて...」と記して江戸を発っている。1922年(大正11年)12月3日、アルベルト・アインシュタインが月見をするため松島を訪れた。東北本線で仙台駅から(初代)松島駅に到着し、松島電車(路面電車)に乗り換えて五大堂前電停に着いた頃には既に16時を過ぎ、十三夜の月が上っていた。それを見たアインシュタインは、「おお月が…おお月が…」と言ったまま絶句したという。その後、「どんな名工の技も、この美しさを残すことはできない」と同行者に言ったとされる。以上のように、松島は「雪月花」の「月」があまりに有名で、松島温泉も月見風呂をイメージ写真に使用している。「雪」については、年に数回積もる程度であるためほとんど見ることは出来ないが、積雪があるとプロのカメラマンのみならず、アマチュアの写真愛好家も集まってきて、主に五大堂越しの松島の雪景色をフレームにおさめている。「花」については、展望台でもある「西行戻しの松」が桜の名所として著名である。西行戻しの松公園一帯には260本余の桜が植えられている。各指定の範囲は、基本的に松島湾に面する自治体である。松島湾に面する自治体は、仙台側(南側)から七ヶ浜町・塩竈市・利府町・松島町・東松島市である。この内、利府町は浜田地区のみ松島湾に面し、東松島市も旧鳴瀬町地域のみ松島湾に面する。旧鳴瀬町は桃生郡、それ以外は宮城郡に属す。以上の内、「仙台・松島国際観光モデル地区」は、松島湾に面していない仙台市(政令指定都市移行前の旧市域)、宮城町(現・仙台市青葉区の一部)、秋保町(現・仙台市太白区の一部)、および多賀城市の4市町(当時)も加わる。「日本遺産・百選」では『仙台・松島』が範囲である。なお、松島の一部が指定されているものには以下のものがある。松島湾の南東端を構成する七ヶ浜町には、宮城県で最も利用客が多い海水浴場である菖蒲田浜()、県内有数のヨットハーバーである小浜港、高山外国人避暑地()と七ヶ浜国際村()、鼻節神社()などがある。その他、塩竈と仙台の間には、陸奥国府・多賀城、県民の森、仙台港などがある。奥松島と石巻の間にある東松島市の旧矢本町には、ブルーインパルスの本拠地として著名な航空自衛隊・松島基地()があり、航空祭の開催日には全国からファンが集まる。仙台からの行き方。仙台側(南側)から列挙。JR東北本線の一ノ関・小牛田方面からは、塩釜駅で仙石東北ラインに乗り換え(または松島駅で途中下車し、高城町駅まで徒歩連絡)、高城町駅で仙石線普通列車に乗り換えて松島海岸駅もしくは野蒜駅へ向かう。松島電車、日本三景交通の松島 - 塩釜 - 仙台空港線、および、松島国際観光の松島循環バスは廃止されているので注意。松島は、「海面上、湖上の松が茂っている単独の島」という一般名詞でもあるため、それが固有名詞化して日本各地に「松島」という地名がある。他方、宮城県の松島と似た風景「海面上や湖上に大小さまざまな島や岩が散在する風景」を「○○の松島」などともいう(類例:銀座)。この場合、島の頭部に生えている木が松でなくともよく、場合によっては木が生えていなくともよい。ただし、同様な風景である三重県の英虞湾は、「松島」と言われることを非常に嫌う傾向がある。なお、各地にある「松島温泉」という名称の温泉では、宮城県の松島との混同を防ぐため、「○○松島温泉」(「○○」は地域名など)という名称も併用している。

出典:wikipedia

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