鈴鹿市(すずかし)は、三重県の北部に位置する人口約20万の市である。市のキャッチコピーは「さぁ、きっともっと鈴鹿。海あり、山あり、匠の技あり」。古くは日本書紀に市内の地名の由来伝説が登場し、奈良時代には東海道、伊勢国の国府が置かれたなどの長い歴史を持つ。第二次世界大戦中に鈴鹿海軍工廠が開かれて以後、工業都市として生まれ変わった。かつては旭化成やカネボウなど繊維産業が盛んだった。また、本田技研工業の鈴鹿製作所があり、関連の自動車部品工場なども多くみられる。鈴鹿製作所の建設当時、市側が本田技研工業に対し「本田市」へ市名を変更する意向があることを伝えたが、本田技研工業側が丁重に断ったという逸話がある。F1の日本グランプリやオートバイの8時間耐久レースなど国際及び国内レースなどが多数開催され、世界的にも有名な日本有数のレーシングコースである鈴鹿サーキットがあり、近年では日本のモータースポーツの聖地とも言われる。日本の市町村を「いろは順」に並べると、当市が最後になる。三重県の北部に位置し北は北勢地方の中心都市であり三重県下で人口が最多の四日市市に、南は三重県の県庁所在地津市に接しており四日市と津の中間に位置する。東は伊勢湾に面し、西は鈴鹿山脈まで広がっている。かつて市街地は、旧城下町の神戸(近鉄鈴鹿市駅前)、漁港の白子、軍の飛行場があった平田の3か所に分散していたが、次第に中央道路に沿って商業施設を中心に開発が進み、西条や庄野羽山も発展してきている。現在の鈴鹿市の領域は、飛鳥時代から東国に通じる交通の要衝として発展し、中心部の神戸藩(かんべはん)と、伊勢亀山藩、紀州藩、伊勢西条藩の各藩が存在していた。戦国時代には神戸城へ織田信長の三男・神戸信孝を養子に迎え、江戸時代には東海道の宿場町として石薬師宿と庄野宿を擁し、白子(しろこ)は港町および伊勢参宮街道の宿場町として栄えた。戦前から戦時中の工廠建設によって、広域合併をして発足。「鈴鹿」の市名を持つが、旧河芸郡の地域が市の中核だった。副市長が2人が置かれているほか、会計管理者は会計課の職員が担っている。歴代市長は以下のとおり。鈴鹿市議会の定数は32人である。任期:(平成27年)2015年5月1日から(平成31年)2019年4月30日構成:平成28年5月17日現在1992年、市制50周年を記念して首に鈴を付けた鹿をモチーフとしたキャラクターが制定され、名称の「ベルディ」は公募で決定された。東名阪自動車道では市のカントリーサインにも使用されている。なお、デザインは手塚プロダクションによるもので同社が著作権を有している。三重県議会議員選挙は市の全域をもって「鈴鹿市選挙区」を成している。定数は4人である。衆議院議員選挙は市の全域が三重2区に含まれている。2016年時点の選出議員は、中川正春(民進党)である。工業の製造品出荷額、農業の生産額はともに県内トップクラスであり、農工のバランスがとれた都市といえる。第二次世界大戦前は海軍工廠、基地を擁する軍都。戦後は海軍施設跡地に自動車、電機などの企業を誘致し、現在は製造品出荷額は県2位である。米、伊勢茶、さつきなどを中心とする農業の生産額は県1位である。のりが養殖され、また、アナゴ、コウナゴが水揚げされる。白子地区には三重県水産研究所鈴鹿水産研究室がある。(2015年9月現在)※鈴鹿市内の郵便番号は以下の通り。鈴鹿市は23の地区から成る。伊勢鉄道の鈴鹿駅と近鉄名古屋線の白子駅には、それぞれ特急列車が停車する。市役所は鈴鹿駅のほか、近鉄鈴鹿線の鈴鹿市駅からも近い。関西本線は市の西部を、近鉄名古屋線は市の東部を通過している。市道については主なものを記載。従来、市内を使用の本拠地としている自動車のナンバープレートには三重運輸支局を示す表示(三重ナンバー)がなされていたが、ご当地ナンバー制度が初めて施行された2006年(平成18年)10月10日より「鈴鹿ナンバー」が導入され、鈴鹿市と亀山市を使用の本拠地とする自動車が対象となっている。この表記について統計に基づく世論調査ではないが、ポータルサイトのYahoo! JAPANが施行に先立つ同年9月25日から27日の間に行ったウェブ上における人気投票では、同時に施行された17のご当地ナンバーの中で次点より4倍近い得票を得る人気となった。この結果について投票主催者は『鈴鹿サーキットやF1のイメージが強い』ことが理由ではないかと分析している。県営市営★は鈴鹿市シティセールス特命大使
出典:wikipedia
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