


対戦車ライフル(たいせんしゃライフル)は、戦車の装甲を貫くための銃。現在の対物ライフルの前身。対戦車ライフルは、徹甲弾を用いて運動エネルギーで敵戦車の装甲を貫き、中の乗員を殺傷したり、内部構造を破壊するための兵器である。戦車や装甲車の装甲は小銃で徹甲弾を発射するだけでは貫通が難しいため、より大型の銃が必要となり、対戦車ライフルが誕生した。初期の戦車や装甲車程度の装甲板であれば小銃の徹甲弾や対戦車ライフルの銃弾で貫通できた。しかし、“ライフル(小銃)”の形式であるかぎり、人が肩で受けられる反動には限界があるため、貫通能力の向上には限界があった。戦車の装甲がどんどん増加すると対戦車ライフルの進歩は到底追いつけなくなり、対戦車兵器としては陳腐化した。どうしても戦わないといけない場合は覗き窓などの弱点を狙ったり、履帯を狙って走行を妨害する戦術を用いた。その後は成型炸薬弾を発射する個人携帯式対戦車兵器が登場すると完全に対戦車兵器としての地位を明け渡した。対戦車ライフルは重い弾丸の持つ優れた弾道直進性を生かして、対人狙撃に用いられたり、軽車両などを狙うようになる。第二次世界大戦後はしばらく軍から姿を消すが、フォークランド紛争を機に対物ライフルとして復活した。それ以前にもベトナム戦争でアメリカ軍が使用した例がある。第一次世界大戦の後期に戦車に対抗するための歩兵用の火器として開発された。当時は戦車自体のエンジンの出力の関係上、装甲を厚くできなかったため、小口径な対戦車ライフルでも威力を発揮できた。第一次大戦後に各国で開発が進められたが、軽量で貫通力の低い銃と大型で貫通力の高い銃の二極化が進んだ。日本、フィンランド、スイスは大型化、他は1人でも持ち運べる小型を採用した。第二次世界大戦の初期においても使用されたが、戦車の装甲が強化され、小口径な対戦車ライフルでは装甲を貫通できなくなった。しかしソ連赤軍ではバズーカやパンツァーファウストのような、有力な歩兵用対戦車兵器が実用化されなかったこともあり、ドイツ戦車の覗き孔の防弾ガラス部分を狙うよう射撃手を訓練してかなりの戦果をあげ、終戦まで現役で使用した。第二次大戦中のドイツ軍装甲車輌が装備したシュルツェンは、元来HEAT対策ではなく、対戦車ライフル対策のためである。また、フィンランドの継続戦争においてラハティ20mm対戦車ライフルがKV-1重戦車を撃破した事例がある。戦後、歩兵用の対戦車兵器は成型炸薬を利用したRPGなどに引き継がれた。現在では、フォークランド紛争でアルゼンチン軍が編み出した戦術である、ブローニングM2重機関銃での遠距離狙撃などの戦訓から、対物ライフルと名を変えて装備が行われている。3名(指揮観測、射手、弾薬運搬)で一丁を運用するのが通例であった。日本、フィンランド、スイスなどの大型銃の場合には対戦車砲なみに一個分隊、十数名で運用する場合もある。小型の対戦車ライフルは歩兵小隊ごとに一丁から数丁が配備され、小隊規模で運用されていた。対戦車ライフルが必要とされた最大の理由は歩兵小隊が直接、戦車に対抗できることにある。大型の大砲による直接射撃を行うには大隊本部か連隊本部を通して砲兵に動いて貰わなければならず、最前線にいる歩兵小隊が目の前にいる戦車への攻撃を依頼するには命令系統が遠すぎるのである。この点において対戦車ライフルは敵と直面している小隊長レベルの判断で即時、自由に運用できるメリットが大きい。現在でもバズーカやRPG-7などが小隊レベルの指揮で運用されているのも同じ理由による。個人が扱える銃火器の中では最大クラスである対戦車ライフルは、その見栄えの良さから、数多くのフィクション作品で活躍している。以下はそのごく一部である。
出典:wikipedia
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