稲荷神(いなりのかみ、いなりしん)は、日本における神の1つ。稲荷大明神(いなりだいみょうじん)、お稲荷様・お稲荷さんともいい、貴狐天皇(ダキニ天)、ミケツ(三狐・御食津)、野狐、狐、飯綱とも呼ばれる。稲荷系の神社では、玉藻の前(九尾の狐・殺生石)が祭られていることもある。稲荷神社の総本社は伏見稲荷大社とされている。元々は京都一帯の豪族・秦氏の氏神で、現存する旧社家は大西家である。稲荷神を祀る神社を稲荷神社(いなりじんじゃ)と呼ぶ。京都市伏見区にある伏見稲荷大社が日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社となっているが、歴史上(下記参照)仏教系寺院も数多く含まれる。神道系神社では朱い鳥居と、神使の白い狐がシンボルとして広く知られ、廃仏毀釈が起こる前の仏教系寺院でも鳥居が建てられ、現存する寺院もある。「イナリ」は「稲荷」と表記するのが基本だが、「稲生」や「稲成」、「伊奈利」とする神社も存在する。稲荷神(稲荷大神、稲荷大明神)は、山城国稲荷山(伊奈利山)、すなわち現在の伏見稲荷大社に鎮座する神で、伏見稲荷大社から勧請されて全国の稲荷神社などで祀られる食物神・農業神・殖産興業神・商業神・屋敷神である。また神仏習合思想においては仏教における荼枳尼天と同一視され、豊川稲荷を代表とする仏教寺院でも祀られる。神道の稲荷神社では『古事記』、『日本書紀』などの日本神話に記載される宇迦之御魂神(うかのみたま、倉稲魂命とも書く)、豊宇気毘売命(とようけびめ)、保食神(うけもち)、大宣都比売神(おおげつひめ)、若宇迦売神(わかうかめ)、御饌津神(みけつ)などの穀物・食物の神を主な祭神とする。総本宮である伏見稲荷大社では、主祭神である宇迦之御魂大神を中央の下社、佐田彦大神を中社、大宮能売大神を上社に据え、明応8年(1499年)に本殿に合祀された左右の摂社、田中大神・四大神とともに五柱の神を一宇相殿(一つの社殿に合祀する形)に祀り、これら五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化としている。稲荷社によっては祭祀する祭神が異なり、例えば、また豊受稲荷神社では、大己貴命を佐田彦大神、大宮姫命を田中大神、保食命を四大神に、祐徳稲荷神社では大宮売大神をアメノウズメノミコトに当てている。仏教系寺院では荼枳尼天を奉じている。日本の神社の内で稲荷神社は、2970社(主祭神として)、32000社(境内社・合祀など全ての分祀社)を数え、屋敷神として個人や企業などに祀られているものや、山野や路地の小祠まで入れると稲荷神を祀る社はさらに膨大な数にのぼる。江戸の町の至る所で見かけられるものとして「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」とまで言われるようになった。本来は穀物・農業の神だが、現在は産業全般の神として信仰されている。稲荷神社は日本全国に点在するが、その中でも東日本に多く信仰されている。例えば、武蔵府中においては、明治時代初期に市内に6ヶ所で稲荷神社が祀られており、市内の家々の屋敷神は566件にも上るなど、多摩地域においては顕著である。稲荷と狐はしばしば同一視されており、例えば『百家説林』に「稲荷といふも狐なり 狐といふも稲荷なり」という女童の歌が記されている。狐は古来より日本人にとって神聖視されてきており、早くも和銅4年(711年)には最初の稲荷神が文献に登場する。宇迦之御魂神の別名に御饌津神(みけつのかみ)があるが、狐の古名は「けつ」で、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのが発端と考えられ、やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった。なお、「三狐神」は「サグジ」とも読む。時代が下ると、稲荷狐には朝廷に出入りすることができる「命婦」の格が授けられたことから、これが命婦神(みょうぶがみ)と呼ばれて上下社に祀られるようにもなった。 上記されているように稲荷神は元々は農業神であるが、狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食すること、狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ていることから、狐が稲荷神の使いに位置付けられた。江戸時代に入って稲荷が商売の神と公認され、大衆の人気を集めるようになると、稲荷狐は稲荷神という誤解が一般に広がった。またこの頃から稲荷神社の数が急激に増え、流行神(はやりがみ)と呼ばれる時もあった。また仏教の荼枳尼天は、日本では狐に乗ると考えられ、稲荷神と習合されるようになった。今日稲荷神社に祀られている狐の多くは白狐(びゃっこ)である。稲荷神社の前には、狛犬の代わりに、宝玉をくわえた狐の像が置かれることが多い。他の祭神とは違い、稲荷神には神酒・赤飯の他に稲荷寿司およびそれに使用される油揚げが供えられ、ここから油揚げを使った料理を「稲荷」とも呼ぶようになった。ただし狐は肉食であり、実際には油揚げが好物なわけではない。伏見稲荷大社を創建したと伝えられる秦氏族について、『日本書紀』では次のように書かれている。平安時代に編纂された『新撰姓氏録』記載の諸蕃(渡来および帰化系氏族)のうち約3分の1の多数を占める「秦氏」の項によれば、中国・秦の始皇帝13世孫、孝武王の子孫にあたる功徳王が仲哀天皇の御代に、また融通王が応神天皇の御代に、127県の秦氏を引率して朝鮮半島の百済から帰化したという記録があるが、加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられている(新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承がある)。雄略天皇の頃には、当時の国の内外の事情から、多数の渡来人があったことは事実で、とりわけ秦氏族は絹織物の技に秀でており、後の律令国家建設のために大いに役立った。朝廷によって厚遇されていたことがうかがわれるのも、以上の技能を高く買われてのことだと考えられている。彼らは畿内の豪族として専門職の地位を与えられていた。こうして深草の秦氏族は、和銅4年(711年)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして神威赫々たる大神社を建てた。深草の秦氏族は系譜の上で見る限り、太秦の秦氏族、すなわち松尾大社を祀った秦都理《はたのとり》の弟が、稲荷社を創建した秦伊呂巨(具)となっており、いわば分家と考えられていたようである。『山城国風土記』逸文には、伊奈利社(稲荷社)の縁起として次のような話を載せる。秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐの はたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした。するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった。伊呂具はその稲の元へ行き、過去の過ちを悔いて、そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、それを祀ったという。また、稲生り(いねなり)が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が宛てられた。都が平安京に遷されると、この地を基盤としていた秦氏が政治的な力を持ち、それにより稲荷神が広く信仰されるようになった。さらに、東寺建造の際に秦氏が稲荷山から木材を提供したことで、稲荷神は東寺の守護神とみなされるようになった。『二十二社本縁』では空海が稲荷神と直接交渉して守護神になってもらったと書かれている。東寺では、真言密教における荼枳尼天(だきにてん、インドの女神ダーキニー)に稲荷神を習合させ、真言宗が全国に布教されるとともに、荼枳尼天の概念も含んだ状態の稲荷信仰が全国に広まることとなった。荼枳尼天は人の心臓を食らう夜叉、または、羅刹の一種で、中世には霊狐と同一の存在とみなされた。このことにより祟り神としての側面も強くなったといわれる。稲の神であることから食物神の宇迦之御魂神と同一視され、後に他の食物神も習合した。中世以降、工業・商業が盛んになってくると、稲荷神は農業神から工業神・商業神・屋敷神など福徳開運の万能の神とみなされるようになり、勧請の方法が容易な申請方式となったため、農村だけでなく町家や武家にも盛んに勧請されるようになった。江戸時代には芝居の神としても敬われるようになり、芝居小屋の楽屋裏には必ず稲荷明神の祭壇が設けられるようになった。明治政府による神仏分離の際、多くの稲荷社は宇迦之御魂神などの神話に登場する神を祀る神社になったが、一部は荼枳尼天を本尊とする寺になった。稲荷寿司は「お稲荷さん」とも呼ばれており、稲荷神社の稲荷神(稲生り、つまりお米の出来を司る神様)から、俵を模した俵型の寿司が稲荷寿司となった。三角形の稲荷寿司が狐の耳を模しているという説もあるが、狐は肉食であって油揚げを好むわけではなく、稲荷神社の狐と関連させた後付けともされる。「稲荷神と狐」を参照)。稲荷神社では、2月(新暦・旧暦)最初の午の日を初午とし「初午祭」が行われる。これは伏見稲荷神社の祭神が降りたのが和銅4年(711年)2月の初午だったからと言われる。行灯に地口とそれに合わせた絵を描いた「地口行灯」を街頭に飾ることもある。稲荷信仰は様々である。神道的稲荷で祭祀者が神職で宇迦之御魂神・保食神などを祀る神社によるもの、仏教的稲荷で祭祀者が僧侶・修験者で、寺の鎮守堂で荼枳尼天を祭祀しているもの、民俗的稲荷で祭祀者が土地所有者や氏子・講員などで、狐神・山の神・水神・福神・御霊神などとして信仰されているものがある。伏見稲荷大社は、「日本三大稲荷神社」について伏見稲荷以外の2社については様々な説があって特定できないとしている。笠間稲荷神社や祐徳稲荷神社を日本三大稲荷とする説があり、最上稲荷(最上稲荷山妙教寺)や豊川稲荷(豊川閣妙厳寺)を日本三大稲荷とする説もあるが、この2社は正確には神社ではなく寺院である。以下の神社は日本三大稲荷のひとつを自称している。どの神社を日本三大稲荷としているか丸印で示している。「自」は自社を示す。以下の神社は日本五大稲荷のひとつを自称している。どの神社を日本五大稲荷としているか丸印で示している。「自」は自社を示す。更に地域により、「関東三大稲荷」(神奈川の白笹稲荷神社・茨城の笠間稲荷神社・東京の装束稲荷神社)や「九州三大稲荷」と称する場合もある。他に、王子稲荷神社は江戸市中の全稲荷の総本宮であり、「関東八州稲荷総司」とも、「東国三十三国の稲荷の頭領」とも伝えられる。
出典:wikipedia
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