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リチャード・ジェファーソン

リチャード・ジェファーソン(Richard Allen Jefferson , 1980年6月21日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。ロサンゼルス生まれ、アリゾナ州フェニックス育ち。NBAのクリーブランド・キャバリアーズに所属し、2016年にキャバリアーズでNBAチャンピオンを経験。背番号は所属したチームでほぼ全て「24」を着けているが、ゴールデンステート・ウォリアーズ在籍時には「44」をつけた。主なポジションはスモールフォワードだが、シューティングガードもこなせるスウィングマンである。大学はアリゾナ大学でプレイ。3年目のシーズンにはNCAAトーナメントで決勝まで勝ち進む。デューク大学との決勝でジェファーソンは後半だけで15得点あげるなど活躍し、オール・ファイナル4チームに選ばれたが、惜しくも優勝はならなかった。在学中のチームメイトにはギルバート・アリナス、ルーク・ウォルトンらが居る。アリゾナ大学に在学中、2001年のNBAドラフトでヒューストン・ロケッツから1巡目13位指名を受けるも、開幕前にトレードでニュージャージー・ネッツに入団した。以降、2008年までネッツ一筋でプレーしている。ルーキーシーズンは、79試合に出場、9.4得点、3.7リバウンドの記録を残す。2002年には、チームを去ったスモールフォワードのキース・ヴァン・ホーンの後釜としてジェファーソンは先発メンバーとしてその才能を発揮させるようになる。03-04シーズンでは、82試合すべての試合に出場した。同シーズン、スモールフォワードであるにもかかわらず、フィールドゴール成功率でリーグ12位にランクインする活躍を見せた。2004年オフシーズンには、アテネオリンピックアメリカ代表としてもプレーした。04-05シーズン開幕からはチームの大黒柱ジェイソン・キッドの怪我やケニオン・マーティンらの主力放出により孤軍奮闘を強いられたが、キッドの復帰に加え、トロント・ラプターズのエースヴィンス・カーターをトレードで獲得し、NBA屈指のトリオ(ビッグ3)が誕生した。だが、直後にジェファーソンが右手の靭帯断裂の大怪我をしてしまい、シーズン中3人が同時に出場したのは8試合にとどまった。05-06シーズンには3人そろってプレー。ジェファーソンは周囲から「カーターとポジションがかぶり、2人の能力が出せなくなってしまう。」と言う不安をうけていたが、そんなことはほとんどなく、上手くコート上に共存している。カーター加入後は第2オプションとしてプレー。得点は下がったものの、FG成功率はアップした。06-07シーズンは右足首に怪我を抱えたままのプレーが続き、成績は下降。2007年1月には手術を決意し、戦線から離脱した。シーズン中の復帰は絶望と見られていたが、3月には復帰。彼の不在で低迷していたチームもシーズン最終戦には勝率5割に達し、プレイオフに進出した。故障から立ち直ったジェファーソンは07-08シーズンにはカーターに代わってチームの得点源として目覚しい活躍を見せ、「故障に弱い」というイメージを払拭して全82試合に出場し、平均22.6得点の好成績を残したが、ネッツはシーズン序盤から不調に陥り、さらにジェイソン・キッドがチームを去ったため、プレーオフ進出は果たせなかった。2008年オフ、ネッツは再建を図るためにジェファーソンのトレードを決意。ジェファーソンはルーキーイヤーから7年間過ごしたネッツを去り、ミルウォーキー・バックスへ移籍した。バックスではエースのマイケル・レッドとのデュオが注目を集めたが、レッドは故障でシーズンの大半を欠場し、ジェファーソンは孤軍奮闘を強いられ、チームはデビジョン最下位に沈んだ。2009年オフ、ブルース・ボーウェン、カート・トーマス、ファブリシオ・オベルトとのトレードでサンアントニオ・スパーズに移籍する。移籍後、最初のシーズンはスパーズの豊富な数のプレーコールになかなかうまく対応できず、NBAデビュー以来2番目に悪い平均得点でシーズンを終えた。うまくフィットしなかったこともあり2010年オフに契約を解約しFAとなり、有力なメディアもスパーズとの再契約はないと報じるなど移籍は決定的と思われていたが、4年3900万ドルでスパーズと再契約を結んでいる。2010-2011シーズン序盤では主にシュートセレクションと3ptの正確性が前のシーズンとは見違えるようになり、スパーズの戦術に欠かせないピースの一つとなった。そのことについてジェファーソンは「スパーズに加入した選手は2年目に良くなる、とずっと言われていた。昨シーズンの間ずっと、今シーズンが本当に待ち遠しかった」と話している。しかしながら、ジェファーソンのスタッツは年々落ちていき、2011-12シーズン途中のトレードデッドライン直前に、スティーブン・ジャクソンとの交換で、引退を表明していたT.J.フォードとの契約権、将来のドラフト指名権と共に、ゴールデンステート・ウォリアーズへ放出された。2012年3月15日、ゴールデンステート・ウォリアーズに移籍。2013年7月5日、ユタ・ジャズに移籍。チームが低迷する中、全82試合フル出場した。2014年7月、ダラス・マーベリックスと1年契約した。2015年7月21日、クリーブランド・キャバリアーズと契約が合意。2016年のキャバリアーズ初優勝を経験し、同日の祝勝会でのインタビューで引退を表明したが、数日後に引退を撤回し、もう1年プレーすることを仄めかし、7月6日に2年500万ドルで再契約した。優れた身体能力を持ち、オフェンス・ディフェンス両面において活躍できるオールラウンダー。ダンクなど派手なプレイも得意な一方で、真面目な性格でチームに対する献身的な姿勢もこれまて所属した全てのチームから高く評価されている。例えば大活躍を見せていたにもかかわらず、04-05シーズン直後にヴィンス・カーターがネッツに加入した後はファーストオプションを譲るなど常にチームの勝利を優先している。ネッツ在籍時にはジェイソン・キッドが得意とする速攻のファーストオプションとして、誰よりも速く敵陣に駆け上がっていた。キッドもジェファーソンには絶大な信頼を寄せており、「バッシュの音を聞いただけで彼がコートの何処に居るか分かる」と語っていた。

出典:wikipedia

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