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遊就館

遊就館(ゆうしゅうかん)は、靖国神社境内に併設された同社の祭神ゆかりの資料を集めた宝物館(博物館法の適用外)。幕末維新期の動乱から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る戦没者、国事殉難者を祭神とする靖国神社の施設として、戦没者や軍事関係の資料を収蔵・展示している。1882年(明治15年)に開館した日本における「最初で最古の軍事博物館」。「遊就館」という名称は、『荀子』勧学篇の「君子居必択郷遊必就士」(くんしはおるにかならずきょうをえらびあそぶにかならずしにつく)に拠る。靖国神社の祭神の霊を慰め、その徳を頌するため絵馬堂を兼ねて祭神の遺物を陳列する所とし、1878年(明治11年)に陸軍卿・山県有朋その他の主唱によって西南戦争の際に献納された華族の恤兵金の一部で建築に着手した。1882年、幕末維新の新政府軍(官軍)戦没者ゆかりの品を展示する目的で開館。日清戦争や日露戦争を経て、1910年(明治43年)には明治天皇の勅令「武器ノ沿革ヲ知ルヘキ物件ヲ蒐集保存シ軍事上ノ参考ニ供スル所トス」(勅令第192号)が発布。第一次世界大戦を経て展示資料は増加し、施設も逐次増築されたが、1923年(大正12年)の関東大震災で損壊。翌年に仮館を建設し、1932年(昭和7年)に再建された。支那事変(日中戦争)・第二次世界大戦の戦時中は陸軍省の貸出しで戦地で鹵獲した国民革命軍や連合軍の兵器の展示も行われた。第二次大戦後は敗戦により遊就館令が廃止され閉館。国家補助を打ち切られた靖国神社は、遊就館の修理を条件に、建物および周囲の土地の貸与を表明。1947年(昭和22年)11月に、社屋を進駐軍に接収された富国生命保険と月額5万円(当時)で賃貸契約が結ばれ、同生保会社の「九段本社」として使用された。1961年(昭和36年)に遊就館に隣接する靖国会館の一部を「宝物遺品館」として再開した。1980年(昭和55年)に富国生命保険が立ち退くにあたり、当時の社長が靖国神社の経済的窮状を財界有力者に訴えた。これを契機に「靖国神社奉賛会」が発足。1985年(昭和60年)7月13日に施設の改修が終わり遊就館として再開。その後、建物の老朽化と展示スペースの不足から創立百三十年記念事業の一環として本館改修と新館増築の工事が行なわれた。その際、野外の展示資料も館内に収納展示され、2002年(平成14年)7月13日に再公開した。

出典:wikipedia

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